topreviews[アサヒ・アート・コラボレーション「岸にあがった花火−宮永愛子展」/東京]
アサヒ・アート・コラボレーション「岸にあがった花火−宮永愛子展」

左.「川から海がはじまるとき」右.「川から海がはじまるとき」(一部拡大)
「川から海がはじまるとき」(一部)
 
「川から海がはじまるとき」

変わりゆく世界、変わらない“想い”の集積


こうして一連の作品を観ていくと、あるひとつの疑問に突き当たる。
果たして今回の展示で僕は何を観たのか、ということだ。

これまで、宮永の作品は“時”というキーワードで語られることが多かったように思う。
僕がかつて彼女の展示を観たときも、ナフタリンなどの素材を用いた作品が時間の経過とともに変化していくことで、通常は目にすることのできない時間の流れが具現化されるように感じたものである。
しかし、今回の展示で僕が観たものは、“時”というよりもむしろ“想い”だったように感じている。
僕たちは、この世界に存在する様々なモノや事象に想いを重ね、この世界を自分なりに知覚していく。そしてそうした想いは、その事象がなくなっても、あるいは僕たちがいなくなっても残り続け、次の世代に受け継がれていく。
宮永の今回の展示を観ていると、そうした想いが時系列的に、そして平面的に堆積しているように感じてくる。そして、そうしたたくさんの想いに囲まれて僕たちが生きていることに気づかされるのだ。

この世のものは絶えず変化し続け、形あるものはいつかは滅する。
僕たちの想いもまた、うつろいやすいものには違いない。
しかし、そうした様々な人の想いの集積こそがこの世界を形づくっている、ということは変わることのない確かなことのように思える。

最後に、すみだリバーサイドホールに隣接するアサヒビール本部ビルのロビーに展示された『川から海がはじまるとき』にふれておきたい。
これは、『岸にあがった花火』でも使用された隅田川で採取した塩を付着させた糸をロビーの高い天井から垂らすとともに、そこから距離をおいてナフタリン製の帆をかけた古いイギリス製の玩具を設置したインスタレーションである。
この作品を観ていると、垂直方向に垂らされた塩の糸が川の歴史的な営みを感じさせるとともに、帆船を組み合わせることで大海へのつながりやその先の世界の広がりを想起させる。
まさに、時の流れと世界の広がりを一度に感じさせてくれるという点において、今回の一連の展示を象徴する作品であるように思う。

帆船は、これまでの先人たちの歩みを受け止めて、大海へと、そして未来へと漕ぎ出していく。そしてそれは僕たち自身の姿でもあるといえるだろう。
未来はこれからの時代を生きる僕たちが切り開いていくもの。
未来は僕たちの想いの中にあるのだ。


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