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[アサヒ・アート・コラボレーション「岸にあがった花火−宮永愛子展」/東京]
アサヒ・アート・コラボレーション「岸にあがった花火−宮永愛子展」
「river mail」
(手前)「river mail」(奥)「空から生まれた景色」
「空から生まれた景色」(一部拡大)
「空から生まれた景色」
川がもたらす世界とのつながり、時とのつながり
また、今回の展示のもうひとつの特徴として、会場のすぐ近くを隅田川が流れていることもあってか、川をテーマにした作品が多く展示されていることが挙げられよう。
『river mail』は、各地から送られてきた川の写真や隅田川の水上バス上から撮影した隅田川の写真をつなぎ合わせるワークショップで作品化されたものであり、『空から生まれた景色』は、黒鉛筆で一面に塗りつぶした細長い紙に、近くの消しゴム工場でつくられた消しゴムで最初に宮永が雲を描き、その後はこの紙を川に見立てて来場者に思い思いの絵を描いてもらったものである。
『river mail』は写真、『空から生まれた景色』は絵、という違いはあるが、いずれも人々の想いを川に投影させたものであり、言い換えれば、人々の想いを集めて川に見立てたものである。
一方、『river mail』や『空から生まれた景色』は、地理的な横のつながりを構成しているように感じられる。
これらの作品を観ていると、僕たちの想いが海までつながり、そのまま世界にまで広がっていくような感覚を覚えるのだ。
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「岸にあがった花火」
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「岸にあがった花火」」(一部拡大:6月17日撮影)
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「岸にあがった花火」」(一部拡大:7月15日撮影)
「岸にあがった花火」
一方、川はそうした地理的な広がりとともに、太古の昔から人を育み文明・文化を育んできた歴史的な広がりを併せ持つ存在である。
今回の展覧会のタイトルともなっている『岸にあがった花火』は、そうした川の歴史的な側面も含めた両面性を感じさせる作品になっている。
『岸にあがった花火』は、会場のすぐ近くにかかる吾妻橋のたもとでくみ上げた隅田川の水を煮詰めて取り出した塩を糸に付着させ、アーチ状に張り巡らしている。
糸に付着した塩の結晶は上からのライティングによってきらきらと虹色に輝き、そこだけ時間がゆったりと流れるような、荘厳な空気が流れているように感じる。
一般に川の水というと淡水、海の水というと塩水、と分けて考えてしまいがちだが、吾妻橋付近の墨田川は河口からも近く、満潮時になると海水が遡行してきて、汽水状態になるのだという。川の水から塩を取り出す、という今回の試みからは、川と海はひとつにつながっている、という当たり前のことだけれども忘れがちになってしまっている事実に気づかせてくれる。
また、僕がこの『岸にあがった花火』から強く感じたのは、過去からつながる歴史的な流れである。
今回の隅田川の水から塩を取り出す作業について、宮永は、作品のキャプションで、「川底で眠っている花火を誘ってみました」と表現している。つまりそれは、打ち上げられて川底に沈んだ花火を引き上げる行為ということができるだろう。
花火は打ち上げられてほんの一瞬爆音とともに光を放つとすぐに消えてしまう。
僕たちが花火を楽しむのは、花火が光を放つ瞬間だけではなく、その後の余韻も含めてのことだ。
その余韻に、刹那の美を惜しむ気持ち、あるいは刹那だからこそ強く印象づけられる美をいとおしく想う気持ちをかさねていく。
川底に沈んだ花火を引き上げるとは、そうした余韻の残り香を蘇らせる作業に他ならない。
キラキラと輝く塩の虹色の結晶を眺めるとき、昔の人々が舞い上がる花火に重ねたであろう様々な思いがあたりに漂っているように感じられるのだ。
そして、川底から引き上げられるのは花火への想いだけではない。それとともに、川が刻んできた歴史、あるいは川が見つめてきた人々の歴史をも引き上げられているように感じる。
古くから会場周辺の墨田川一帯は墨堤と呼ばれ、桜の季節を中心に多くの人々に親しまれてきた。
今回引き上げられた塩の結晶からは、川面に重ねられたそうした人々の想いや生き様をも浮かび上がらせているように感じるのだ。
そして、アーチ状に昇っていく糸の軌跡をたどるとき、そうした隅田川とともに生きる人々の歩みがそのまま未来へとつながっていくような感覚にとらわれるのだ。
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