topreviews[アサヒ・アート・コラボレーション「岸にあがった花火−宮永愛子展」/東京]
アサヒ・アート・コラボレーション「岸にあがった花火−宮永愛子展」

左.「そらみみみそら(sumida)」右.「そらみみみそら(sumida)」(一部)
「そらみみみそら(sumida)」(一部拡大)(6月16日撮影)
 
「そらみみみそら(sumida)」(一部拡大)(7月15日撮影)

時の流れと、地域の広がりと


また、今回の展示の特徴として、墨田という地域の資源を作品に取り入れていることが挙げられる。
例えば『そらみみみそら(sumida)』では、近隣の商店街から実際の生活に使用されていた陶器が使われている。宮永は、それらに特殊な調合を施した釉薬をかけて再度焼成した。
釉薬をかけて焼き上げられた陶器は、窯から出された後、生地と釉薬との収縮率の差から表面にひびが入る。これを貫入と呼ぶ。
日常使われる陶器は、すぐに貫入が終わるように釉薬が調合されるが、宮永は、その調合を変えることで、会期が終わるまでの間、貫入が起こり続けるように仕掛けたのだ。
そして展示では、貫入の音を意識させるために、これらの陶器を高い位置に設置し、貫入によって生じるひびが容易に見えないようにしている。
貫入が起こるとき、「チン・・・」という澄んだ音がする。それはさほど大きな音ではないのだが、離れていてもそれとわかるほどに周囲に美しく響く。
その音を聞いていて、僕は食器を洗っているときに陶器と陶器がぶつかりあうときの音を思い出した。そしてそのとき、これらの陶器が歩んできた歴史のようなものが見えてきたような気がした。
陶器は、人に使われ、人の生活に寄り添うことで、自らも陶器としての歴史を歩んでいく。一つひとつの陶器からは、それを愛用してきた人々の慎ましくもぬくもりのある生活の連鎖が浮かび上がってくるように感じる。そして、新たに釉薬をかけられた陶器が貫入音を響かせるとき、これらの陶器が新たな生を受けて生まれ変わったかのように感じ、そのような陶器がたくさん集まることで、これらの陶器が集められた商店街の瑞々しい空気のようなものが感じられるような気がしたのだ。

それぞれの街には、その街独特の空気のようなものがある。
それは、その街に住む人々の気質や日常の生活のやり取りが何世代にもわたって積み重なってかもし出されるものだ。
人は自分ひとりだけで成長するのではなく、親や近所の人といった上の世代の人々の考えや価値観を吸収し、それを次代の子どもたちへと伝えていく。そうした人々が集まり共に生活することで、人と人との想いが結びついて地域が形づくられていく。
『そらみみみそら(sumida)』は、ひとつの展示の中に時の流れと地域の広がりという2つの要素を交差させることで、地域という人が作り出すコミュニティが持つ重層的な構造を浮かび上がらせる。そして、目で見ることはできない人の想いこそが地域を形づくっていることに気づかせてくれるのだ。

また今回の展示では、その他にも、前述の『闇に届けた話(sumida)』で使用されている金庫(近くの「金庫と鍵の博物館」所蔵品)や後述の『river mail』『空から生まれた景色』で使用されている消しゴム(近くの消しゴム工場で製造されたもの)など、地場の素材が随所に用いられている。こうしたこともこの墨田界隈の地域そのものが浮かび上がるのを助けているけているように思われた。


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