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吉田尚美作品 展示風景
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吉田尚美「ヘットライト」
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吉田尚美「スナハマ」
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吉田尚美「mi.na.mo」
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吉田尚美「Scene06−07」
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吉田尚美「Scene06−07」(部分)
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5/26〜27 吉田尚美
最後の週は、吉田尚美による平面作品が展示された。
吉田は、夜の景色やその中に浮かび上がる街灯や家の灯りなど、日常目にする光景の中で目に留まったモチーフをふくらませて、墨や色鉛筆などで描く他、新聞紙や布などを画面に貼り付けることで作品を制作する。吉田によれば、図柄に惹かれてこうした素材を用いているとのことだが、こうした手法は第1週目の牛腸のそれとも共通する。
しかし、実際に作品を観たときの印象は牛腸の作品とは大きく異なる。牛腸の作品はモノとしての存在感、立体感が強く打ち出されているのに対し、吉田の作品の場合は、貼り付けた新聞紙や布は、あくまでも平面を構成する一要素として、その広がりの中に収斂されていく。
吉田によれば、貼り付ける新聞紙や穴開けパンチのくずなどに書かれた文字と作品とは直接の関連はないとのことだが、観ているうちに、こうした文字や図柄に触発されて、過去の記憶が徐々に湧き上がってくるように感じる。そして頭の中で湧き上がる記憶と作品に描かれた風景が結びついて、新たな景色が浮かび上がってくるのだ。
そうした感覚をより強く感じさせるのは、奥に展示された「Scene06-07」シリーズの展示だ。
これは、複数の小作品と長椅子、苔などを組み合わせたインスタレーションになっているのだが、小作品は木枠が分厚くてまるで箱のような形状をしており、記憶というメタファーをより強く印象づける。その間に配された樹皮や苔ともあいまって、観ているうちに記憶の森の中を漂うような感覚を味わうのだ。
そしてそうした感覚と、吉田の作品から感じる闇の中のほのかな光、ガラス張りで階下がピロティになっているHAT
cafeの特性とが作用しあって、何ともいえない浮遊感を味わう。それは、時間の経過や外光の加減によっても微妙に変化し、その場にいるだけでも心地いい空間となっていた。
1年間の成果と課題、そしてその先へ
3週の展示を振り返ると、それぞれの作家がHAT cafeという場の特性を三者三様に活かしていることに気づく。これは作家の選考が大きく影響しているだろう。
今回の開催においては、公募や主催者のスカウトによって作家の選考が行われているが、いずれもこのHAT cafeという個性の強いスペースで展示することを前提とした選考がなされている。
HAT cafeは、その壁面の多くがガラス張りであること、スペースが縦に細長いことなど、展示する作品を選ぶ、癖のあるスペースである。特に平面作品を展示するには困難を伴い、今回の展示においても苦心の跡が散見された。しかし、それぞれの作家は、そうした状況を逆手に取り、このHAT
cafeならでは、「週末芸術」ならではの展示を作り上げた。そうした点において、今回の「週末芸術」は見ごたえのある展示であったということができるだろう。
だがこれは、手放しで喜んでよいことではない。今回のようなHAT cafeという場の特性を活かした展示はどんな作家でもできることではないのだ。結果として「週末芸術」は展示する作家を選ぶ企画となってしまっており、それは当初の目的である若手作家への発表機会の提供とは一部乖離してしまっているように思える。
その一方で、保守的な気質が色濃い宇都宮という地においては、「週末芸術」のような自由な表現の場は貴重であるとも強く感じる。この「週末芸術」も、過去の出展作家や愛好者などがボランティアとして運営の一部を担ったり、地元企業の協賛を得たりするなど、徐々に支援体制が構築されつつある。昨年5月のスタートから1年を経て、ゆっくりだが着実に成果を挙げているのだ。
だからこそ「週末芸術」のこれまでの成果と浮き彫りとなった課題を踏まえ、「週末芸術」が今後何を目指しどこへ向かうべきか、改めて確認する必要があるのではないか。現代美術の発表・交流の機会が今後もあり続けるために。
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