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美術散歩

「ロシア・アヴァンギャルド」展を見て

TEXT 菅原義之


同展フライヤー(表面)


同展フライヤー(裏面)

 埼玉県立近代美術館で「ロシア・アヴァンギャルド展」を見た。いろいろな発見があった。NHK「新日曜美術館」で紹介されたピロスマニ絵画を何点も見ることができたし、マレーヴィチ絵画の変遷が分かり面白い、参考になる美術展だった。

 去年の夏から「アヴァンギャルド・チャイナ」展「ブラジルの創造力」展「インド美術の新時代」展と立て続けに見たが、今回は「ロシア・アヴァンギャルド」展だ。一般に言われているBRICS4カ国の美術展をこれですべて見たことになる。前3展は現代美術展だったが、今回のロシア展は主に1910年代から30年代までが対象である。この時代のロシアは近代化に向かって速度を速めたときだった。アヴァンギャルド・チャイナ展、ブラジル展、インド展なども近代化に向かって速度を速めた時代を取り上げていた。速度を速めた時代は面白いし、歴史上値打ちがある。ロシア美術の面白いところを見過ごすことはないだろう。取り上げたのはこんなことからだった。

 この美術展のハイライトはロシア・アヴァンギャルドの動きとマレーヴィチ絵画の推移が見られたことだ。当時のロシアにはシチューキン、モロゾフなどの富豪収集家がいて、あの時代に本場のパリと時間差なくロシアでも作品を見られたそうである。しかも収集した作品を一般公開したとのこと。凄い。それだけにアヴァンギャルド運動がヨーロッパの辺境から起こったのも分からないではない。

 展示構成は次のように分かれていた。
1−(1).西欧の影響とネオ・プリミティミズム 
1−(2).見出された画家ピロスマニ
2.マレーヴィチと抽象の展開
3.1920年代以降の絵画


 展示室の始めはあまり見慣れない具象絵画が並んでいた。風景画、人物画など。いずれも程度の違いはあれフォーヴィスム、キュビスム、未来派の影響を受けた作品のように思えた。この中からロシアの伝統的あるいは土着の文化を掘り起こし、プリミティヴな美術を称賛する画家たちが新しい様式ネオ・プリミティミズムを展開する。この中の一人が無名の画家ピロスマニを見出したそうである。 
 ピロスマニ(1862〜1918)は当初街中で居酒屋の看板や壁の絵を描いていたとのこと。作品10点ほどが展示されていた。ピロスマニの出身地グルジア地方(現在は独立国グルジア)の伝統的服装?の人物が描かれていた。素朴派といわれるフランスのアンリ・ルソー(1844〜1910)を想起させる。作品≪うたげにようこそ!(居酒屋のための看板)≫(1910年代)など特にそう感じた。また、≪雌鹿≫(1910年代)は鹿が池で水を飲んでいる様子を描いたもので愛らしい雌鹿と鹿の輪郭の光り輝く姿が素晴らしかった。今ではグルジアの国民的画家だそうである。

 そのあとマレーヴィチ(1878〜1935)が登場する。1910年に「ダイヤのジャック」展が開催される。ここにマレーヴィチは参加し、これをきっかけに左翼的センセーショナルな催しや展覧会に参加し始めたそうである。32歳の頃である。
 マレーヴィチの展示コーナーには8点の絵画が並んでいた。最初は≪収穫≫(1912〜13)である。3人の農婦の働く様子が描かれている。マレーヴィチ特有の丸みを帯びた農婦の身体つきや畑に続く丸みを帯びた丘、山である。収穫した作物が赤味を帯びているのはフォーヴィスムの影響かもしれない。いかにもネオ・プリミティミズム風作品のようだ。マレーヴィチは常に田園生活、特に農民のイメージを好んで描いたようで、これはその典型だろう。
 ≪刈り入れ人≫(1912〜13)は画面一面にあまり大きくない円筒、円錐が入り組んで描かれていた。前の≪収穫≫とは全く異なる。上部の顔部分には小さい女性の横顔が丸い枠内に見える。手足、身体など細部は円筒、円錐を用いた描き方が目立つが、全体を見ると人物が歩いているように思える。表現が難しいがフォーヴィスム、キュビスム、未来派を全部ひっくるめたような、ゴチャゴチャしているようでまとまっている素晴らしい絵画だ。よくもここまで描いたものだと感心しきり。これがキュビスム(立体主義)とフチュリスム(未来主義)を取り入れた立体未来主義の作品だそうである。
 1915年の「未来派最後の絵画展」にマレーヴィチは30数点の絵画を出すが、その中で≪黒い正方形≫という白地に黒い正方形を描いただけの作品が含まれていた。いわゆるマレーヴィチの抽象絵画であり、これこそシュプレマティスム(至高主義)絵画だ。
 マレーヴィチは「絵画は具体的なものをそれらしく描く、つまり再現することにこだわる限りいつまでも奴隷の状態にある」と考えたそうである。物の効用を考えるとか、物の表面的部分を見るのではなく、そのものの本質を見ること、これが大切であるという。本質を見るということは余分なもの、不純なものを取り除いた「感覚」=「純粋な感覚」の中にあるという。マレーヴィチは「シュプレマティスムの名のもとに私が言いたいのは、創造的な芸術においては純粋な感覚だけが、最も良い次元に到達できるものだということです。・・・大切なのは感覚そのものです。そして、それは、感覚を生じさせる環境とは全く切り離されているのです」という。  
 また、「私は形態の零度に変身して、アカデミックな芸術のガラクタだらけの泥沼から我が身をひきだしました」と。「形態の零度」とは、もうそれ以上にどこにも行きようのない、いわば形態の原点、マレーヴィチの場合は正方形であろう。また零度はどうか。当然「黒」(闇)と「白」(光)。シュプレマティスムで使われる色は原則としてこの2色。外には革命の色「赤」。これらを用いて作品を制作した。以上がシュプレマティスム絵画の概略であろう。(シュプレマティスム部分は「○△□の美しさって何?」本江邦夫著から引用)
 展示では、≪シュプレマティスム(黒い十字架のあるシュプレマティスムのコンポジション≫(1920〜22)、≪シュプレマティスム(白い十字架のあるシュプレマティスムのコンポジション≫(1917〜18)の2点を見ることができた。前者は、「白」地に「赤」の四角が描かれ、さらにその上に「黒」の十字架が描かれたもの。後者は「白」地に「白」の太い十字、しかも斜めに十字が描かれている。同じ「白」でも十字のほうがより「白」い。
 今から100年近く前である。あの時代にこの作品だ。凄い。抽象絵画の原点に触れたようでしばし見とれた。

 また、マレーヴィチはよく正面を向いた円筒型の農民の立像を描く。10年代初頭と20年代後半とであり、20年代後半の農民像は「第二の農民シリーズ」と言われている。マレーヴィチの絵画は制作年が不明な点が多いようだ。体制批判ととられるのを恐れて意識的に変えたものもあるようである。
 今回の3点の農民像のうちの2点は共通していた。≪農婦、1913年のモティーフ≫(1923〜29)と≪刈り入れ人、1909年のモティーフ≫(1920年代)である。前者は青い空と農地を背景にした顔の描かれていない農婦の姿。黄色い服をまとっている。後者は手に鎌を持ち畑に立っている農夫である。これも黄色い服だ。後ろに農婦が一人見える。
 またもう1点は≪農婦、スーパーナチュラリズム≫(1920年代初頭)である。人物は「白」と「黒」だけで描かれ、顔は描かれていない。背景の農地は単なる黒、白、赤、黄などの色面の連続である。前2点と異なるようだ。人物の色彩、背景の描き方などからシュプレマティスム通過後の作品かもしれない。「第二の農民シリーズ」であろう。

 20年代に入り革命の熱気が冷めると、ネップ(新経済政策)(1921年)と呼ばれる市場経済が導入される。抽象絵画は個人的と批判され、アヴァンギャルドは、陶器やポスター、服飾、建築などデザインの分野に向かったとのこと。20年代の半ば以降、体制に順応する勢力であろうプロレタリア派が勢力を伸ばし、ついにスプレマティスム理念は、国内では封印され1988年のマレーヴィチ展まで50年以上そのままになったそうである。体制の影響がいかに大きいか思い知らされる話である。国外に伝わった作品がアメリカの抽象表現主義の画家たちに影響を与えたのではないか。
 この時代のマレーヴィチ絵画がこのコーナーにも2点展示されていた。「あれっ!」こんな絵も描いていたんだ。抽象の痕跡はない。≪自画像≫(1933)と≪芸術家の妻の肖像≫(1933頃)である。マレーヴィチの過去の作品と比較すると見るも無残だ。しかしこの時代のマレーヴィチの作品は体制に順応しようとして変わったのではないようだ。2回も逮捕歴のあるマレーヴィチは厳しい環境に耐えしのばなければならなかったが、依然として持論は持ち続けていたようだ。例えば前記2作品中後者をよく見ると妻の肖像に向かって左腕の下の部分に「黒い正方形」が気付かないほど小さく描かれている。これは重要だろう。シュプレマティスムの象徴のようなものだからである。これこそマレーヴィチの本心を物語るものではないか。これを見て「ホッ!」とした。こんな形で真実を叫んでいたのかもしれない。

 今回この美術展を見てマレーヴィチについて見直してみた。「モダンアートから現代アートにつながる大きな流れの一つに、「抽象化」の問題があると思います。・・・」美術手帳(2008年4月号)。この表現がなぜか気になった。こんな見方もあるんだろう。そういえば、つい先日国立新美術館で「アーティスト・ファイル2009」展を見たが、この中にも抽象絵画があった。そのちょっと前に見た府中市美術館の「トゥルー・カラーズ」展でも同様だった。今更ながらではあるが抽象絵画は現代美術の大きな流れの一つかもしれない。いずれにせよ、ロシア・アヴァンギャルド展は面白かったし、参考になる美術展だった。
(注)「スプレマティスム」と「シュプレマティスム」の表現の相違は「シュプレマティスム」に統一した。「シュプレマティズム」と「シュプレマティスム」も「・・・スム」に統一した。 

(参考図書)
1.「ロシア・アヴァンギャルド」展図録
2.「○△□の美しさって何?」本江邦夫著
3.美術手帖1998年1月号
4.美術手帖2008年4月号


   
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社勤務、退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室作品ガイド)を行う。

ウエブサイト ART.WALKING

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。

 

 

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