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ベルリンアート便り
   
 
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1.フリドリチアヌム美術館前。中央の木は、ボイスの樫の木。手前の芝生では、サーニャ・イヴェコヴィッチがポピーの花を咲かす(まだ芽が出ず)。2.アーパビリオン外観


今回はベルリンアート便り・番外編として、カッセルで行われているドクメンタ、ミ ュンスターの彫刻プロジェクトのぷちレポートをお届けします。





 ドクメンタは、五年に一度ドイツのカッセルで行われる世界有数の国際展である。12回目を迎える今年は、ロジャー・M・ブーゲル氏をディレクターに起用し、近代性とは古代の遺物か? むき出しの生とは何か? 何がなされるべきか? という3つのテーマのもと、116名のアーティストによる500以上もの作品が展示されている。

会場は大きく5つに分けられるが、作品が2-3の会場に分散されて展示されている作家も多い。

 まず、フリードリヒス広場に立つフリドリチアヌム美術館(写真1)からみてみよう。
ここで目を引くのは振付家、トリシャ・ブラウンによる1970年の作品〈floor of the forest〉(写真3,4)。ロープとカラフルな洋服が編んである黒い長方形のパイプを囲み、10数人の女性がロープの上に登ったりぶら下がったり身体を動かす。展覧会という枠組みの中で、パフォーマンスがいかに観客や場所と関係していくかを試みている。

2006年のワールドカップ決勝戦を12個のモニターで見せているのは、ハルン・ファロッキ(写真5,6)。モニターでは、試合の模様や選手の動きのクローズアップに加え、スタジアムの監視カメラの映像、コンピューターが瞬時に分析した選手の動きやパスが線で表されたり、文章に翻訳されたものが映し出される。


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3,4.トリシャ・ブラウン5,6.ハルン・ファロッキ7.田中敦子8.グルーポ・デ・アーティスタス・デ・バンガルディア
今回は、近代性を顧みるというテーマのもと、最近の作品だけではなく、1950年代〜70年代の作品も多く展示されている。例えば、日本では具体の田中敦子(写真7)が大きく取り上げられ、代表作の電気服やコラージュによるカレンダー等が展示されている。他にも、60-70年代にかけて、独裁制や歪められた社会のルールに抗う手段としてパフォーマンスを用いた、東欧やラテンアメリカのアーティストの記録も展示されている。ブエノスアイレスのアーティスト集団、グルーポ・デ・アーティスタス・デ・バンガルディア(写真8)は、独裁政権の農業構造改革によって職を無くし、生活に苦しむ人々の現状を写真や手記を集め、展覧会を開き政府のプロバガンダに抵抗を試みた。これらの作品は、西洋中心の美術史の中では言及されてこなかったものである。


 次は仮設のアーパビリオンへ。パレ・ド・トーキョーの改装を担当したラカトン&ウ゛ァッサルによる温室のような建物(写真2,9,10)は、床には茶色の木が敷かれ、透明の外壁は中から外が見えるようになっている。建物内には大きな仕切りも個室もなく、特に順路もない。これらは脱ホワイトキューブの試みと読み取れる。大きい作品も小さい作品もごちゃ混ぜに設置しているのは、作品同士の共鳴をはかっているからだそうだ。

ゼン・ユーチン(写真11,12)の映像作品では、顔にヨーグルトをかけられ、喜んだりはにかんだりする子供たちの表情が印象的だ。別会場では、子供が母親とソファで戯れる作品も上映されているが、どちらの作品も私たちが失って久しい子供の持つ純粋さやもろさを、カメラを通して見せている。

ロミュアルド・ ハゾーム(写真13)による、プラスチックの石油容器をつなぎ合わせて作られた船には、<Dream>というタイトルがついている。夢というにはあまりにも輝きの無い真っ黒のリサイクル・ボートは、経済的搾取、植民地支配など問題の山積みがあることを示唆する。

アイ・ウェイウェイ(写真14.15)は、1001人の中国人をカッセルに招待し、全体主義から解放された人々が、異文化理解や個の確立を行うきっかけを提供するという壮大なプロジェクトも会期中に行っている。また、1001個の中国の古い椅子、野外には古い民家のドアで作った立体作品も展示している。


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9.手前のピンクの作品も田中敦子10.パビリオン内11,12. ゼン・ユーチン
13.ロミュアルド・ ハゾーム14.開催一週間で崩れてしまった作品15.1001脚の椅子は、会場内に点在する

 続いて、ノイエ・ギャラリー。フリドリチアヌム美術館同様、壁が青、赤、緑に塗られている部屋が多い。
イヌイットのアーティスト、アニー・ポートーゴック(写真16)が描くカナダ北部に住むイヌイットの日常生活の中には、近代文明の介入によりもたらされた明暗が見え隠れする。

フェミニズム運動の世代の変化を文字と光のインスタレーションで表現するのは、メアリー・ケリー(写真17)。内から光を放つ家の壁には、1971年のミスワールドコンテスト反対のデモの声明から引用された言葉が並ぶ。

チャーチル・マディキダ(写真18)は、エイズの世界的蔓延をテーマにする。ウイルスが体内を蝕んでいくようなイメージの映像や写真に加え、棺桶と慰霊の蝋燭が灯された部屋が作られ、アフリカでは処女や子供との性交渉でエイズは治るという迷信の犠牲となった子供たちと、エイズで命を落とした人々を弔う。

 トラムとバスを乗り継いでたどり着くヴィルヘルムスヘーエ城では、古代彫刻や15〜18世紀の絵画の常設展に加え、一部がドクメンタの会場となっている。
ここでのメインは、時代やコンテクストの異なる作家たちの作品に共通項を見いだし、展示された作品だ。
例えば、ケリー・ジェイムズ・マーシャル(写真19,20)のギャングに殺された若者の絵は、中世に描かれた略奪の場面の絵画と、黒人をモチーフとした絵画の下に掛けられている。
他にも、葛飾北斎による「万職図考」の表紙、18世紀のインドの水彩画、14世紀のアラビアの書などが、ミラ・シェンデル(写真21)のアルファベットのドローングや、スージー・スライマン(写真22,23)のコラージュ本と一緒に並べられ、紙に描かれた文字や絵の中で、フォームの類似性を見いだしている。

 ドクメンタ・ホールでは、展示に加え、今回は「教育」や「ディスカッション」も重要なテーマであることから、出版プロジェクトに参加した世界の90の雑誌が閲覧できるスペースや、会期中毎日行われるランチレクチャー会場となっている。

 こうしてみると、今回のドクメンタでは、宗教、戦争、グローバル化、植民地化、ジェンダー、エスニック、セクシュアリティ、マイノリティ―近代化がもたらした負の側面が、作品によって浮き彫りにされている。そんな中、現実社会との接点をつかみ取り、混沌に取り組み立ち向かうアーティストの真摯な態度が我々に問いかけるものは多い。お祭り気分やスペクタクルを期待していくと、肩すかしを食らうだろう。
加えて、スター作家の不在、作品の傾向や展示方法、年代順に作品を並べるカタログなどから、ブーゲル氏が従来の展示のあり方を見直し、マーケットや政治と結びつく大型国際展から一線を画そうという試みは、あちこちに見て取れる。とはいえ、やはり散漫な印象は否めない。
次回のドクメンタ13は、ここからどう発展していくのだろうか?その未知なる可能性に期待したい。

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16.アニー・ポートーゴック17.メアリー・ケリー18.チャーチル・マディキダ19,20.ケリー・ジェイムズ・マーシャル21.ミラ・シェンデル22.スージー・スライマン23.展示風景24.出版プロジェクトに協力した世界のアート雑誌25.ランチレクチャー会場前26.iPodによる音声ガイドは、ホームページからもダウンロードが可能。

 
 
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基本情報
タイトル:   documenta 12
会場: カッセル市内各所
期間:   2007年6月16日〜9月23日
ウェブサイト:   http://www.documenta12.de/

著者のプロフィールや、近況など。

木坂 葵(きさか あおい)

1978年生まれ。神戸大学文学部卒業。
在学中よりNPO法人大阪アーツアポリアにてコーディネーターとして勤務。その他、関西を中心に美術の裏方業務経験を積む。
2006年10月よりドイツ・ベルリンに滞在中。

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