topspecial[アートエッセイ/淺井裕介展 根っこのカクレンボ 「Masking Plant Project in Yokohama Museum of Art」/神奈川]
淺井裕介展 根っこのカクレンボ 「Masking Plant Project in Yokohama Museum of Art」
   
     

■つながり / 植物の 〜11.筆者にとっての〜

 さて、振り返ってわたしのことをみよう。これを書いているのは、その取材から1年過ぎたある日だ。この時差は、ひとえにわたしの至らなさゆえにおきたことだ。でもこの間、一度も、わたしは彼にせかされたことはない。ただ、じっくりと発酵するその時間をわたしが必要としていることを、彼は恐らくわかっていたのだろう。何度でも、インタビューに答えてくれ、資料をたくさん見せてくれた。
その彼の成長を見守る様子は、彼の作品に通底するひとつのことと、とても深い関わりがあると、わたしは思う。

 マスキングプラントが伸びてゆく。伸びてゆくその様子を見るとき、わたしは安堵する。植物が伸びてゆくその様子、大きくのびのびと伸びてゆく。その成長を止めるものはいないし、その成長が誰かの邪魔になることもない。ただ、だんだんと大きくなってゆく。彼の手を通して、ともに植物が育ってゆく。時間をかけて。至極当たり前でいて、意外とないこと。
 例えば、雑草が伸びすぎれば、人間はあまり躊躇もせず、それを切り払う。あるいは緑が好きならば、園芸をたのしむ。しかし、その緑は、好き放題には育てない。剪定される、植え替えられる。伸びすぎた街路樹は枝を切られる。道路工事のために樹は伐採される。あるいは、まっすぐな板を作るためだけに、樹木を真っ直ぐに伸ばそうとする。そこには常に、植物の側の伸びようとする意志と派別の、他者の思惑が関与する。人間の思い通りに、植物の姿を変えようとする力がそこにはある。大げさだが、それを「暴力」と呼ぶこともできる。

 他者との関わりを持つとき、多かれ少なかれそれは人間にも起きていることだ。そもそも人間は植物と違い、生まれ落ちたその時から、誰かの手によって育まれない限り生き延びられない。そこには、必ず他者の「力」が必ず存在する。育てるものは、その「力」を有・無意識に使っている。それは間違えば「暴力」になりかねないが、必要な「力」だ。
 淺井が、描いているとき、最も注意しているのはこのことなのだろうと思う。自分の中から出てくる植物を描くとき、間違った力をかけないこと、出てくるものをきちんと手と頭と身体を使って外に描き出してゆくこと。その植物の元は恐らく、淺井の意識の外あるいは奥に起源を持つのだとわたしは思う。それ故に、彼は自分が起こしうる「力」について、これほどまでに自覚的なのではないだろうか。これは、彼の活動全部に通底するもっとも大事なことのひとつだと思う。


*
*
*

 ところで、そのような丁寧な慎重さをもって伸びゆくマスキングプラントを通して、彼は何をつなげたかったのだろうか。冒頭にあげた、職員用通路に一つのマスキングプラントを描いたことにあげられる理由を、彼は、「美術館が縦割り構造だから、それを(横に)ほんの少しつなげたかったのだ」といった。これは当初の担当スタッフの意図とは少し異なる。担当スタッフの意図は、あくまで作品とお客さんをつなげようとしていたのである。淺井は、それ以上に美術館の内部をもつなげようとしていた。
 さて、美術館は縦割り構造だろうか。例えば、案内サービス員の人の声は、館長までは届かないのかもしれない。あるいは、自分の担当の作家さん以外の人は食事に誘えない雰囲気さえあるのかもしれない。こういったことが縦割りであるという根拠になるかどうかはわからない。また、その存在の有無を議論してもあまり意味がない。だからあえて、それを自明の事実はないとしよう。しかし、規模が大きくなればなるほど、組織は縦割りの管轄をせざるを得なくなる。例えば、たらい回しにされる質問。誰もきちんと回答する人がいない場所。だれでも、一度はそういったコミュニケーションの断絶を感じたことはあるだろう。そういったコミュニケーションのなさ。それを淺井は注意深く避けようとする。今回の現場、横浜美術館にそのコミュニケーションの断絶があるかとどうかは、人によって感じるところが違うだろう。しかし、淺井は、前述したようなことは実際に感じて、それをどうにかしたいと思った。
そういったつながりのなさを彼は壊そうと思う。それは破壊的であり、同時にとても創造的な技術だ。でもなぜ彼は、そこまでして、「何か」をつなげようとするのか?
11月3日に起きた、その場を一斉につなぐような昂揚感は、一人でではできない何かに可能性があることを感じさせる。あるいは、何かの理解を共通に持つことができる。それは単なる快さだけではなく、何かもう一つ大きなことを提示している。それは、おそらく前述したスタッフの足取りが元に戻ったことと通じるのだろう。彼の作るつながりの前で、人々は役職をすて一人の個として素の自分に戻ることができるのだと思う。
 マスキングプラントを前にしたとき、人々に階層は関係ない。入場料さえいらない。横浜美術館にきた人、全員に、それは平等に提示されていた。その作品を前に、学芸員も、スタッフも、お客さんも、皆同じラインにたっている。必要なのは、アートの知識や歴史ではなく、自分自身が持っている感覚だけだ(あるいは少し、植物のに記憶は必要かもしれない)。一人の個として向かい合わせられる力を作品が持っている。その意味で、鑑賞者はフラットな立ち位置に置かれている。それ故に、そのフラットな立ち位置から、彼は横につながりを広げてゆける可能性を作る。そして、そのつながりができたとき、わたしたちは、一体感を感じる。一緒に何かを作り上げた感覚でもなく、何かを信仰するようなこととも違う。それは、何か大事なものを、何か壊れやすくて大事なものを共有するという体験に他ならない。そして、そのつながりができたそばから、彼は上手に手を離す。一瞬それはやってきて、後は自分で作ってゆくんだよと彼はいっているかのようだ。
   なにも、このような、壁を越えたつながりを美術館にもたらしてきたのは、彼一人ではないだろう。他の多くの作家も果たしてきたことだろうと思う。しかし、なぜ、それはアーティストがやる、あるいは、できることなのだろうか。そしてなぜ、アーティストが去ったとき、わたしたちは、それを継続させることができないのか。なぜ、彼はあえてつなげようとするのか。
 彼は、これまでもマスキングプラント以外にもたくさんの小さなイベントを行い、小さくも楽しい時間を共有できるようなイベントもたくさん行っている(ちかいカフェ)など。そういう場所でも、彼は人と人をつなげている。なぜなのだろう。

 彼はただ、描くだけだ。しかし、描くだけでたくさんのことを実現してゆく。実際に、彼の「描く」という行為は、人を動かす。例えば、11月3日のこと。あるいは、職員の人々の生き生きとした表情。それとも、わたしがこの文章をつづっていること。確かに、その人の次への行為へと彼は橋を渡すのだ。描くことを通して彼は植物とその人と自分をわずかに肯定する。少しずつそうやって、彼は育む。

 今、美術館にマスキングプラントはない。それでも、それは一度起きたのだ。一度起きたという事実は、そうなればいいと願っているだけの状態とは全く違う。また、起こりうることとして、含蓄されて得る。
その人が、その人自身の素の時間にたち戻ること。そのことがマスキングプラントには織り込まれている。彼自身は特に言葉をつけたりしないその術。淺井が作ったような見事な「つながり」を自分で作り直すことは難しいだろうか。それともそのつながりは、わたしの理解とはどこか違うところを目指しているのだろうか?それでも、一瞬でもそれは可能だったということを知ることは、希望という言葉を知ることと、よく似たことではないか。淺井が追いかけている、探しているものは何だろうと、わたしはあれからずっと考え続けている。(文中敬称略)

*印 photo:鶴巻育子

前のページへ 123456789  





topnewsreviewscolumnspeoplespecialarchivewhat's PEELERwritersnewslettermail

Copyright (C) PEELER. All Rights Reserved.