和田真由子《鳥》2010年 ビニールシート、合板、紙粘土、メディウム 27 x 16 x 80(h) cm 撮影/写真提供:児玉画廊
貴志真生也《アナクロニム 1》2010年 木材、紙、インク、アクリル絵の具、ウレタンシート、テープ、コンクリートブロック、ワイヤー、キャンバス等 約 332 x 420 x 400(h) cm 撮影/写真提供:児玉画廊
「ignore your perspective 10 “Is next phase coming?”」展に出品されていた和田真由子の作品は、上述の彦坂、村山、関口とは別のアプローチによる、「絵画的なもの」への取りくみであると思われる。四角い木枠に、あるいは壁に直接かけられた和田の作品は、透明なシートの間から、白い鳥の羽のような形象や、二股に分かれたツバメの黒い尻尾のような形象が垣間見えている、不思議な印象を与えるものである。和田によれば、頭に浮かんだ鳥のビジョンをそのままキャンバスに描くのではなく、イメージを出力するメカニズムをどのように視覚化できるか、について考えているという。その際、重要な役割を果しているのが、素材の物質感の差異である。例えば、鳥の白い翼といった、鮮明に浮かんだビジョンには硬い板が用いられ、白く塗られているのに対し、不鮮明な胴体の部分は柔らかく透明なビニールシートが使われているという。つまり、画材や溶液の選択、絵具の塗りの薄さ/厚さやタッチの粗さ/細かさといった差異の代わりに、透明なシート/厚紙/板といった素材の物質感の違いへと置き換えられているのである。平面性と立体性を同時に獲得した、ハイブリッドな和田の作品は、イメージが立ち上がる場について独自の考察を行っていると言えるだろう。
一方、貴志真生也の作品は立体ではあるものの、角材の囲いが空間を仕切る「フレーム性」が、絵画のメタファーとして読み取りたくなる誘惑に誘われた。貴志はブルーシートや角材、発砲スチロールといった身近で安価な素材を用いて、即興的に雑然と置かれただけなのか、それともいかなる意味づけも拒むような計算ずくの配置が慎重になされているのか、判然としない仕方で、空間の中に配置を行う。それは何かのイメージや形象というよりも、出来事の生起と言った方が近い。そして「結界」のように空間を仕切る囲いは、建設現場のような雰囲気や仮設性を強調する一方で、「作品」が文字通りのカオスへと崩壊することをぎりぎり防いでもいる。ここに、劇場の舞台空間のような、絵画の矩形のフレームと描かれた中身の関係に対する一種の比喩的な考察を読み取ることができるかもしれない。ただしここでは、もはや「中身」には意味作用や表象行為と呼べるものはなく、ただむき出しのマテリアルだけが、意味や価値付けをあざ笑うかのように、その存在感を主張しているのである。
貴志真生也《リトル・ヘラクレス 2》2010年 木材、ブルーシート、発泡スチロール、金属パイプ、コンクリートブロック、照明装置等 約 400 x 400 x 300(h) cm 撮影/写真提供:児玉画廊