topreviews「ignore your perspective 10 “Is next phase coming?”」「展覧会ドラフト2011 TRANS COMPLEX―情報技術時代の絵画」/京都
「ignore your perspective 10 」「展覧会ドラフト2011」
「絵画」を偽装せよ
TEXT 高嶋慈

彦坂敏昭 京都芸術センター ギャラリー南 展示風景 photo:大島拓也

「絵画」とは何か、そう問い続けることに現代的な意義はあるのか。無批判に前提化された平面への記号的表現に依存せず、「絵画」の場を開くことは可能か。
昨年末に開催された「ignore your perspective 10 “Is next phase coming?”」展(児玉画廊|京都)と、今年2月に開催の「展覧会ドラフト2011 TRANS COMPLEX―情報技術時代の絵画」展(京都芸術センター)の出品作家たちは、「絵画」のあり方に対する真摯な問いかけを作品を通して行っている点で、問題意識を共有しているように思われた。

まず、「展覧会ドラフト2011 TRANS COMPLEX―情報技術時代の絵画」展から見ていきたい。本展は、「展覧会ドラフト2011」と冠されているように、企画の公募と公開審査を経て成立した展覧会である点に特徴がある。また興味深いのは、出品作家である村山悟郎自身が企画者も兼ねているという点だ。従って、村山と、もう一人の出品作家である彦坂敏昭は、作品という視覚的成果物をただ発表するのではなく、作品の意義や展覧会の企画自体が持つ意義を言語化し、他者に伝えるという行為が要求されることになる。
この点に関して、両者が問題意識を共有していることは明瞭であり、共に複雑系(Complex System)など近年の科学理論を援用し、「システム」や「ルール」を介在させて、自らを描画システムの一部に組み込んで絵画制作を行っている姿勢に表れている。ただし、明確な方法論に則って制作するという志向性は共通しているとは言え、両者は全く同じ方法論を採用している訳ではないし、作品から受ける視覚的印象も異なったものである(このことは、両者の作品を同一空間に併置するのではなく、ギャラリー北と南にそれぞれ別個に展示し、独立した個展のセットのように配置したキュレーションの意図からも明らかである)。以下、両者の共通点と相違点について、具体的に作品に即しながら見ていこう。


彦坂敏昭《燃える家 No.09》2007年 凹版、水彩、色鉛筆、ペン、顔料/紙1160x1460mm


彦坂敏昭の作品に向き合ったとき、見る者の網膜に襲いかかるのは、細胞分裂なのか風景自体が崩壊するような爆発の瞬間なのか判然としがたい、ミクロとマクロの往還のただ中で、イメージが分裂と融合を繰り返し、眼球の中で蠢くような感触である。それは、触覚的な震えと焼けつくような熱とを持って見る者を突き刺す画面である。その暴力的なまでの断片の流動と充溢を前にして、イメージを読み取ろうとする視線はそこここで撹乱され、表面で乱反射を繰り返し、明確な像を結ぶことはない。
彦坂の作品は一見、CGを用いて描いたような印象を与えるが、デジタル処理と手作業を交えた、複雑な工程によって制作されている。まずパソコン上で、元となる写真から色彩や奥行きといった情報を削除し、エフェクトをかけた画像を作る。次に銅版などを用いて、版画の技法で紙に写し取る。そして、鉛筆や水彩などで断片化された画像をなぞり、彩色していく。断片をどのように「えらぶ」「なぞる」のか、そこには自ら設定した「ルール」に基づく明確な方法論が存在しているという。
細部に眼を凝らしてみると、それぞれの断片は、輪郭線のみの部分もあれば、内側がベタで塗りつぶされたもの、ぼかされたもの、さらに輪郭線の外側もベタ塗り、あるいはぼかし、と複雑な差異が存在していることが分かる。またそれらの色彩の明度や彩度も巧妙にコントロールされており、デジタル処理によって3次元的な奥行き感をいったん消失した画面は、奥への後退と手前への突出を新たに獲得し、明滅するような視覚効果を上げている。特に「MOTアニュアル2008 解きほぐすとき」展(東京都現代美術館)にも出品されていた《燃える家》シリーズにおいては、鮮烈な赤を主軸に用いた色彩効果も相まって、網膜が文字通りヒリヒリと焼けつくような効果をもって見る者に迫ってくる。


村山悟郎《「私」が再魔術化する時》2010年
撮影:加藤健 協力:資生堂、ホルベイン工業株式会社、Takasho

一方、燃え盛るような色彩、キャンバスの矩形を逸脱することなく遵守している彦坂作品とは対照的に、螺旋を描いて増殖していくような不定形の形態をとり、ホワイトの地に抽象的でニュートラルな描画パターンを施しているのが、村山悟郎の作品である。すばやく引かれた筆さばきの美しさ、それを際立たせるホワイトの地は洗練された印象を与える一方、画面からはみ出して放射状に伸ばされた麻紐や、微妙に形を変えながら渦を巻くように展開される描画パターンは、どこか呪術的とさえ言えるような印象を生み出してもいる。あらわになった麻紐のざらざらとした物質感やパターンを丹念に編み込んでいく行為、また大樹の年輪やオウム貝などの貝殻を形成する螺旋構造を想起させる形態が、自然の超越的な力を前にしたときの美と畏怖という、原初的な感覚を呼び起こさせるからかもしれない。
だが、このように有機的な形態を持ち、フォークロアな香りをまとっているかのような村山の作品は、彦坂と同様に、自ら設定した方法論に基づく一種の「描画システム」として制作されているという。それは、支持体となるキャンバス自体を「編む」という行為の維持/変更が、その上に施される描画パターンに還元され、性格づけていくという、フィードバック作用によって形成されている。具体的な作業は、何百本もの麻紐を編んでキャンバスを形成し、下地を塗り、その上に油彩で描画を行っていくという工程の、気の遠くなるような繰り返しだ。基底となるキャンバスを「編む」作業は、横糸を縦糸にくぐらせて織り上げていく訳だが、その際、途中で横糸の本数を増やす/減らすの決定に関するルールが公式のように厳密に設定されており、横糸の増減によって織り上がった区画の面積比が異なってくる。その差異が、上に施されるドローイングのパターンにも反映され、織りのコードが異なれば、それに伴い描画パターンも変更されていく、という訳である。こうして、増殖と生成を繰り返して膨れ上がっていく有機的な生命体のような形態―描画の基底であり、かつそれ自体が曖昧模糊とした不定形の形態が出現するのだ。


村山悟郎 京都芸術センター ギャラリー北 展示風景 photo:大島拓也

さて、冒頭でみたように、本展の成立経緯の特徴は、作家自身がキュレーターも兼ねているという点にあり、村山・彦坂の共有する問題意識として、絵画制作における「システム」や「ルール」の介在によって、制作主体を描画システムの一部と捉える姿勢にあった。だが、ここで注意を喚起したいのは、複雑系などの科学理論とアートとの融合や、予め決定された枠組みの中で延々と判断を迫られ続ける主体のあり方に関心を示している両者が、共に「絵画」というジャンルにおいて制作し続けている点である。なぜ、「絵画」において、こうした制作姿勢が取られなければならないのか?この本質的な疑問に答えるにあたっては、「『ルール』の群への積極的な介入によって、『システム』を偽装する」という彦坂の言葉が手がかりになるのではないかと思う。「絵画」というものが存在するならば、予め「ルール」が設定され、しかも不断に書き換えられていく「システム」に他ならないのではないか?ならば、そう了解した上で、「システム」を「偽装」するとは何を意味するのか?
これらの問いについて考えるために、以下では、「ignore your perspective 10 “Is next phase coming?”」展に出品されていた、関口正浩の作品を参照することから始めたい。


関口正浩 左:《TYTY》2010年 キャンバスに油彩 2点組各180.6 x 103 cm
右:《tedui 2》2010年 キャンバスに油彩、アクリル絵の具 2点組各113 x 76 cm 撮影/写真提供:児玉画廊


関口正浩《TYTY》(部分) 撮影/写真提供:児玉画廊

二色の色面によって対角線状に分割されたキャンバス。あるいは垂直のラインと水平のラインにより、三色の色面で構成されたキャンバス。絵画の平面性を徹底して追及したようなシンプルな構造からなる関口正浩の作品は、一見すると、モダニズムやミニマリズムの絵画を容易く想起させる。だが近づいてよく見ると、「対角線」のラインはいびつで直線ではなく、キャンバスの表面には皺が走っていることに気づく。絵具を「筆で塗った」のであれば、このような奇妙な皺は生まれないはずだ。
関口の作品を特徴づけるのは、その制作方法の特異さにある。関口は油絵具を「キャンバスに筆で塗る」のではなく、シリコン板の上に油絵具を引いて薄い「皮膜」を作り、引き剥がして出来た絵具の膜をキャンバスに貼り付けて制作しているのである。二色で構成された作品の場合、一層目の絵具の膜を貼り付けた後、二層目の絵具の膜を重ね貼りし、決められたラインに沿って引き剥がす。つまり、画面上の色の数と絵具の皮膜の数は完全に一致するのである(三色の作品の場合は、三枚の絵具の膜で構成されている)。ここで、画面上の色=皮膜の数は任意であり、無限に採用可能である。また関口によると、二色構成の作品は、左右のパネルで見た目も方法論も同じだが、色の順番が逆になっているという(例えば、どちらかの一層目が水色であれば、もう一方の一層目は茶色)。
さらに、絵具の皮膜を得る技法に加え、配色や画面構成の仕方についても、関口自身が設定した「ルール」に基づいており、原理的には「誰でも再現可能」であるという。そのように了解したとき、関口の作品は、純然たる「絵画」から、「絵画的な様相をまとったもの」の位相へと滑っていくことになる。キャンバスの矩形から導き出された幾何学形の区分を塗り分けたように見える、あまりにも「平板な」関口の作品は、物理的な絵具の皮膜を多重に内包させるという転倒を孕むことで、いかにもモダニズム的な「絵画」の見かけを伴いながらも、その概念を撹乱させ、批評性を内在させているのである。

以上から、彦坂、村山、関口の三者は、それぞれの関心領域においても作品の視覚的なレベルにおいても相違点はあるものの、制作態度における共通性が抽出できることは明らかである。方法論の遵守や規定値の設定を行って制作すること、つまり「ルール」を介入させ、「システム」を「偽装」することで、「絵画的な様相をまとったもの」を出現させているのである。
これは、「絵画」を自明の前提として疑わず、何とかして延命措置を施そうとするような行為を意味するのではない。「ルール」を設定し、「システム」を「偽装」することで、「絵画」と「絵画的な様相をまとったもの」とがせめぎ合う臨界点を出現させること―そうした困難な営みを引き受けることの中から、再構築の試みは立ち上がってくるのではないだろうか。

ただし、ここで言う「システムを偽装すること」とは、コンピュータのプログラミングにおけるように、システムが自動生成するに任せ、身を委ねることを意味しているのではない。仮構されたシステムの中に身を置きつつ、同時にそこから創造性を引き出そうとする、そのような狭間で引き裂かれているものとしての制作主体を引き受け、「絵画的な様相をまとったもの」の場をどう開いていけるか。
再び彦坂作品に戻るならば、デジタル処理による、画像の追認を可能にするメカニズムの崩壊と、そのようなデジタル処理によって原型を留めぬほど微分された画像の断片を、作家の身体でもって再びなぞり直すというズレ、この2点が重要な契機となる。情報が削ぎ落とされて等価になった断片を忠実になぞり、色彩や輪郭線を与え直すことで、知覚の不可能さと新たな階層化がせめぎあい、網膜上で激しく衝突して振動や熱といった触覚的要素を生み出すような画面が獲得されるのである。
また村山作品の場合、パフォーマティブな「編む」行為による、描画の基底となる「場」自体の生成、及びそれによる時間とプロセスの可視化、の2点が重要である。規定の平面に何らかの意味を内包すべき「器」(閉じたもの)としての絵画を、フィードバック作用により自己生成していくシステムとして仮構することで、無限に外延を獲得し、増殖可能なものとして提示するのである。さらに、フィードバック作用によって不断に更新されていく織りのコード=描画パターンは、作品制作に費やされた「時間」と「プロセス」を、可視化させるものでもある。そこでは、支持体の安定性は常に揺らぎの中にあるものとして再提示され、平面上に展開される描画パターンの連続/不連続といういくつもの断層の発生によって、複数の時間軸が織り畳まれていることが視覚的にさらけ出されているのである。



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「ignore your perspective 10 “Is next phase coming?”」
2010年11月20日〜12月25日

児玉画廊|京都(京都市南区)
出品作家:貴志真生也、関口正浩、和田真由子

「展覧会ドラフト2011 TRANS COMPLEX―情報技術時代の絵画」
2011年2月5日〜27日

京都芸術センター ギャラリー北・南(京都市中京区)
出品作家:彦坂敏昭、村山悟郎


東京への巡回展「TRANS COMPLEX―情報技術時代の絵画」
2011年4月9日〜5月14日

AISHO MIURA ARTS(東京都新宿区)

 
著者のプロフィールや、近況など。

高嶋慈(たかしまめぐみ)

1983年大阪府生まれ。
大学院で近現代美術史を学びつつ、美術館での2年間のインターンを修了。関西をベースに発信していきます。

共に83年生まれの彦坂さんと村山さん、84年生まれの関口さん。まさに同世代の中から、静かなムーブメントが起こりつつあるのではないか。同世代の仕事をきちんと受け止めることが、批評の仕事ではないか。
期待を抱かせてくれると同時に、責任感を改めて感じさせられた、冬の京都の二つの展覧会でした。





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