topreviews[安岐理加 個展「杣径(そまみち) Holz wege」/群馬]
安岐理加 個展「杣径(そまみち) Holz wege」

「杣径(そまみち) Holz wege」

 
「杣径(そまみち) Holz wege」(部分拡大)
 
 
「杣径(そまみち) Holz wege」
一方、その奥の「SPACE-U」では、「杣径(そまみち) Holz wege」と題された折り紙によるインスタレーションが展示されている。
安岐は、友人宅や老人ホーム、フリースクールなどに赴き、そこでコミュニケーションを図りながら、新聞の折り込み広告やチラシなどを使って折り紙を折ってもらうという作業を重ね、そうして折ってもらったものを、ギャラリーの天井を布で仕切った下にいくつも連ねて吊り下げた。
折られているものは、鶴やカエルなどの動物から、花、舟など、折る人が自ら好きなモチーフを選んでいる。お年寄りなどは折り方を忘れてしまって安岐が教えながら折ったものもあるが、折りはじめると誰もが夢中になって折っていったという。
こうして折られた折り紙は、物によって出来不出来はあるが、その折り方にもその人の個性が現れているように感じる。見入ってしまうほどきれいに折ってあるもの、うまく折れないのを何とかうまく折ろうとして折り直しているものなど、それぞれの折り紙には、折った人の意識がうっすらと宿っているように感じられる。また、折り込み広告などを使うことで、表面にはこうした広告などの柄が断片的に現れており、そこからは折った人それぞれの生活が透けて観えてくる。中には、広告紙を嫌って普通の折り紙や千代紙を使っているものもあるが、そうしたものからも、折った人と安岐とのコミュニケーションの痕跡のようなものが感じられる。

そうして折られた折り紙が「SPACE-U」の中に展示されている。「SPACE-U」は、先ほどの「SPACE-侑」とは対照的なホワイトキューブの空間であり、そこには「SPACE-侑」のような日常性は感じられない。
「SPACE-侑」から「SPACE-U」に入るところにはちょうど土間へ降りるくらいの段差があり、より意識の奥深くへと潜っていくのを促すような作用がこの空間にあるように感じられる。
そのような中、折り紙は場所によっては床すれすれまで低く吊り下げられ、鑑賞者はちょうど森の中を草木を掻き分けて進むように、折り紙を手で掻き分けながら中に入っていく。
折り紙に囲まれると、何かの気配のようなものを感じる。折り紙たちの中央には裸電球がぶら下がっていて、折り紙たちを照らし、壁にはそうした折り紙たちの影が映っている。折り紙たちが光に照らされ影をまとうとき、これらの折り紙たちが気配のようなものをもまとうように感じられるのだ。折り紙に宿った折った人の意識が室内に漂い、包み込まれるように感じる。折り紙を通して安岐が出会った人々の意識が漂う空間、それはまるで安岐の内面世界に入り込んだようだ。
そしてそれとともに、自分の中の記憶が呼び覚まされるような気がしてくる。
それは、折り紙を夢中になって折っていた僕自身の子どもの頃について、そして友人や学校の先生、近所の人々など、僕を取り巻く様々な人々とのふれあいについての記憶であり、子どもの頃の僕を取り巻く周囲の世界が、僕の中でしだいに輪郭を帯びてくる。
いつしか僕は、僕の中に浮かび上がった記憶を、吊り下げられた折り紙に重ねていく。僕の中の世界と安岐の世界が徐々に重なっていくのを実感する。
今回の展示は、安岐自身の日常生活の中での想い、そしてその想いを昇華させ紡ぎ出された作品を展示したものであり、この展示を観ることは、いわば安岐の「杣径」をたどることであるのだが、いつの間にか僕自身の「杣径」に迷い込んでいることに気づくのだ。

そしてふと天井を見上げて、僕ははっと息を呑んだ。電球によって壁や天井に映し出された折り紙の影が、部屋の中央に向かってくるように観えるのだ。
僕は導かれるように影が集まる「SPACE-U」の中央に歩を進める。そこに立つと、それらの影が僕の中に流れ込んでくるように感じる。

折り紙を折った人々の意識が僕の中へ入り込み、僕の一部分になるような感覚。
僕は、たくさんの人々に囲まれ、関わりあいながら営んでいる日々の生活のことを、そして僕たちが生活しているこの世界のことをふと想った。そして自分が世界の一部分であること、世界の中に自分の居場所があることが素直に信じられる、そのことがなんとも心地よく感じられたのだ。

「SPACE-侑」と「SPACE-U」の2つの展示は、「SPACE-侑」が自分の内面から世界(あるいは宇宙)という方向性を感じさせるのに対し、「SPACE-U」に展示された「杣径(そまみち) Holz wege」からは、世界から自分の内面へと向かう方向性を感じ、その意味では両者は対照的である。
しかし、自分と他者、自分と世界との一体感を味わうという点では共通している。特に「SPACE-U」における「杣径(そまみち) Holz wege」の展示では、自分からそう仕向けなくとも、ごくごく自然に 作品の中の他者に、そして世界に自分を重ね合わせていることが驚きだった。
それはなぜだろうかと考えてみる。
そして、それを可能としているのは、「SPACE-侑」の展示にも表れていた、日常の機微をつぶさにとらえるあたたかくやわらかな眼差しなのではないかと思い至った。
今回、安岐はこの個展に合わせて自らのホームページ上に掲載された日記形式のテキストを再構成した冊子『堂々めぐり』を制作しているが、それを読んでも、日常の生活の中でのささやかな出来事やその時々の想いを暖かな眼差しで見つめ、そこから豊かな思索を紡ぎ出していることがわかる。
それは、僕たちも日常の生活の中で経験していたり感じたりしているが、記憶の奥底にしまいこんでしまったりしているものだ。安岐の眼差しは、そうしたものたちを、そして僕たち自身をも優しく包み込む。そして、僕たちの日常の中にも多くの思索の「杣径」の入り口が秘められていることに気づかせてくれる。
それは一見、孤独であてのない迷い道のようにも見えるかもしれないが、どこかで他の道と、世界とつながっている。また、そこに迷うことは、僕たち自身を豊かにしてくれるのだ。

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