topreviews[刺繍のワッペン 淺井裕介/のら美術館計画/東京]
刺繍のワッペン 淺井裕介/のら美術館計画

 
淺井裕介/のら美術の阿佐ヶ谷住宅散歩
 
阿部岳史/2001.6.9 14:16 35s web
 
 
大滝由子/ペット探しています。 web
 
 
奥村昂子/wrapping web
 
 
狩野哲郎/透明な山  web
qp/(タイトルなし) web
 
 
近所の子供たち
中嶋寿子/(タイトルなし)
 
林華子/ゆらめき IN THE AIR web
 
 
フタボンコ/cones
 
 
寶神尚史/Sノ1
 
村田峰紀/(タイトルなし) web
 
撮影:KenMochizuki

 さて、このとたんギャラリーを運営するのは、大川幸恵という一人の女性である。建築の仕事の縁でこの場所を知ったという彼女は、一昨年の八月からこの場所「阿佐ヶ谷住宅」に住み始める。(この阿佐ヶ谷住宅は取り壊しが決まっている。日程はまだ定かではない。)終わりを見つめて。臨時に住むのではない。本当に生活し、関係を築き、その中でこの団地の、あるいは関係の、あるいは何かの、終わりを見つめる。この特異な場所が持つ、特異な時間を、彼女は快いと思い、同時にそれを記録しようとしている。自らの時間と、身体と生活のすべてを持ってして。「終わると言うこと」それを考えたいのだと彼女は言う。そして、そのことを考えるために、彼女はその場所をギャラリーに改築し、作家を呼び、ギャラリーを運営している。なんて大胆な行動力だろう。(ちなみに、このギャラリーの運営にあたっては、非常に面白いコンセプトとルールが決められている。とたんギャラリーのHPをみていただきたい。)

 昨年の十月から始まり、今年の春に終了したこのギャラリーは、その場所に実際に住む大川の手によって運営され、そこに住む他の人たちに、ゆっくりと共有されていった。うちでやってもいいよといってくれる、ご近所さんができる。毎日通ってくる猫がいる。あるいは走り回って、とりまく子供たち。それらのすべてのものとの関係を上手にとりながら、彼女はことを進めた。その距離感の取り方は、まさに天性のバランス感覚。離れすぎるのでもない。近づき過ぎもしない。ただ、まっすぐに筋を通す姿勢は、けして変わらない。それ故に。ギャラリーの存在も、展示のあり方も、揺らぐことがない。故に作家は、安心して作品を作ることができるのだ。今回も、そこに住む住民がどんなことを考えているのか、感じているのかを、肌を持ってして知る彼女がひいた適切なガイドラインは、作家側にどのような配慮をするべきなのかを適切に示した。「そこに住むこと」によってもたらされた理解は、いかほどの深さだっただろうか。

 のら美術館計画は、実にハイリスクな展示だった。住宅を管理するものからの承諾がなく、作家にとっても作品が大損傷を受ける可能性だってとても大きかった。それでも、これだけの成功を収めたその背景には、淺井の力量とともに、上記のようなポジションにたった大川の果たした役割がとても大きい。

 そのような背景の元に、「のら美術館計画」は生まれた。そして、記したように、それは、とても幸福な展示だった。おそらくは、大川にとっても、作家にとっても、わたしやその他の多くの鑑賞者にとっても。でも、それだけでは終わらなかったのである。その後、わたしは大川から、のら美から、思いがけないプレゼントをもらうことになった。

 フタボンゴの「cones」という作品がある。砂を形づけて、それを配置するという作品。会場内の様々な場所にそれは配置されていた。それは砂でできている。すなわち、当然、踏みつぶされたら壊れてしまう。そして、作品は踏みつぶされた。当初予定したよりもずっと速いペースで。子供たちによって。
 しかし、そこで、彼らは考えたのだと大川。フタボンゴと淺井は、その砂の作品の中に、淺井がマスキングテープで作った動物を入れることにしたというのだ。そのしっぽには、「25号棟とたんギャラリーまで」と書かれた。その後の様子をこう彼女は記す。
「conesを壊した子どもが、不思議な動物をみつけてお尻に書いてあった「25号棟とたんギャラリーまで」という文字をみて、ギャラリーまで届けてくれました。
 その後もフタボンコはconesをつくりまくって、とうとう小学生も根気負けしたのか、ある時から壊されなくなりました。風化したconesは少しずつ自然に溶けてなくなりました。」と。そして彼女は続けた。「結果はフタボンコの勝ちでした。」と。

 彼らは勝った。
 何に勝ったのだろう。

 このとき、わたしは初めて、のら美にみていたものの、淺井の作品に見ていたものの、本質に本当に触れたと思う。淺井が、実現しようとしているのは、このようなことなのだ。その子供たちは、踏んだとき出てきた小さな生き物をみて、何を思っただろうか。その動物をギャラリーに届けて渡したとき、その相手の表情に何を感じただろうか。壊さないと決めたとき、どんな気持ちだっただろうか。最終日まで風化して残った、conesをどんな風にみていたのだろうか。その子供たちは、この出来事を忘れるかもしれない。それでも、この体験は深く身体に残るだろう。この戦いに勝った、フタボンゴは、淺井は、大川は、そのとき何を思っただろうか。

 わたしは、今、これよりすてきな贈り物を、思い描くことができない。

 一時間以上に及ぶインタビューに答えてくれた、淺井は、最後に、もっとも大変だったのは「のら美術館計画という言葉をつけること」だといった。つまりは、作品が野良になるというコンセプトの確立。この言葉を分解すれば、分析すれば、如何ようにでも解釈できる。でも、大事なことはそのことではない。彼が言いたかったのはそのことではないのだろう。野良になった作品が、作品として、存在し続けることをやめなかったこと。その戦いに、屈しなかったこと。そして、そこに見いだされた新しい関係。それらが、彼らにとっての勝利を導いたこと。そのことが、のら美の本質であり、おそらくは淺井のしたかったことであり、そしてそれが、なによりわたしを動かすのだ。

 淺井は、今日も、日本各地でその活動を続けている。たくさんの絵を描き続け、消し続けている。のら美に参加した他のメンバーもまた、作り続けている。そしてそれらは受容され続けている。
 彼は、いったい何に勝ったのだろう。そして、彼 / 彼らは、今度は何に勝つのだろう。あるいは、負けるかもしれないのだろう。彼らは、わたしは、わたしたちは、いったい何と戦っているのだろうか。そして、敵が敵でさえもない、そのありよう。この例えようのない、見事な術。美しい術。美術とは、例えば、こんなことを指すのだろうか。だとしたら、わたしにとってそれは、十二分に信じるに値する何かだ。のら美術館計画に人々は、喜びや、楽しさや、幸福を見いだした。それと同時に、一筋の大きな可能性の片鱗をみたのは、そして見続けているのは、多分わたしだけではないだろう。その終わりは、確かに何かの始まりへと続いている。今現在、わたしはこのことについて考え続けている。淺井が、のら美が、あるいは、息づくものすべてが、世界を紡ぐその静かな営みの音を聞きながら。(文中敬称略)


 

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