topreviews[取手アートプロジェクト2006「一人前のいたずら──仕掛けられた取手」/茨城]
取手アートプロジェクト2006「一人前のいたずら──仕掛けられた取手」

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1/淺井裕介「MaskingPlant」2/松本和史「point of rendez-vous」3/奥村昴子「surface」

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4/深澤孝史 「肉声」、特別出演 Anntenna 「日出ヅル富士ノ神」 (パーティー当日、TAP事務所のあるカタクラショッピングセンターから会場へ向かうパフォーマンス)5/あーだ・こーだ・けーだパーティーの様子

地方でアートプロジェクトをするということ

今年のTAPには「一人前のいたずら──仕掛けられた取手」というタイトルがつけられている。
そもそも美術館やギャラリーとは異なり、本来美術作品を展示することを想定していない街の中でアートプロジェクトを開催するという行為は、それ自体が“仕掛け”に他ならない。
その意味で今回のTAPは、取手という一地方都市にアートがどのように関わっていくのかを指し示すものになるのではないか、といった考えを思い巡らせながら展示を観て回った。
そして、その答えの一つとして“市民との協働”があったように思う。
今回のTAPを見ていて感じたのは、市民の方々が生き生きとプロジェクトに関わっていたことだ。
ボランティアの方々は作品をまるでわが子のように暖かいまなざしで見つめ、懇切丁寧に説明をしてくださったし、地元の来場者の方々もそれぞれの展示を楽しんでおられるように見受けられた。そして何より今回のTAPは、市民のワークショップで制作された作品が展示に使われたり、はたまた市民が作品出展者にも名を連ねていたりするのだ。
TAPというとどうしても東京芸術大学の存在がクローズアップされがちだが、今回TAPを観ていて、芸大の存在に加えてこうした市民の方々の熱意こそがTAPを支えているのだと実感した。
実際、TAPには市民スタッフやインターンなど多様な人々が関わっており、運営会議などで意見をたたかわせながらTAPの方向性を定めているし、そして今回はそれに加えて、市民も出展者にしようとする試みも行われた。
特に地方で行われるアートプロジェクトにおいては、アーティストや運営サイドと地元の住民との関係が大きな問題になる。ただ余所から作品がやってきただけでは、地元にしてみれば違和感だけが残るようなものになってしまうだろう。しかし、だからといってただ地元におもねることは質の低下につながりかねない。
今回のTAPは、その難しい課題に対して、様々な形で市民との協働を進めることで一つの回答を提示しているとはいえないだろうか。
今回のTAPは11月26日をもって終了したが、「あーだ・こーだ・けーだ」は何らかの形で継続されるとのことであり、サテライトギャラリーも引き続き展覧会を行う。
TAPの仕掛け、それが取手の街に何をもたらしていくのか、今後も目が離せない。

《参考文献》
影山幸一『市民・大学・行政──アートマネジメントを活かした協同のまちづくり「取手アートプロジェクト実施本部」』
artscape2006年11月15日号
http://www.dnp.co.jp/artscape/artreport/community/k_0611.html



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