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                        取手市の西の外れに、2年前に閉鎖された汚水処理施設「旧戸頭週末処理場」がある。 
                        ここでは、ヤノベケンジのプロデュースにより「仕掛けられた終末処理場」と題された展示が行われた。 
                        汚水処理場そのものはどこにでもある施設であるが、“終末”というネーミングがもつインパクト、そんな施設が実際に廃墟となっていること、そしてそもそも汚水処理場自体が汚水の最終到達点であると同時にきれいな水を生み出す“再生”を担う場所である、といった様々なことを考え合わせていくと、どんどん空想がふくらむような気がしてくる。 
                        ヤノベケンジにとっても、この場所はいたく“妄想”を刺激させられる場所であったようだ。彼を中心として21組の若手作家が処理場の敷地全体を使って作品を展開した。 
                          まず処理場の門には、淀川テクニックによる花輪が飾られている。一見ありふれた色鮮やかなその花輪は、しかしよく見ると様々なゴミを組み合わせてつくられており、思わず笑みがこぼれる。 
                          また、管理棟の屋上には國府理によってつくられた、ヨットの帆でできた風車が風に吹かれてくるくる回っている。この風車によって下から水を汲み上げ、管理棟の屋上にある庭園の植物に水を供給しているのだという。 
                        終末の地で静かに行われる再生の営みに、僕は何ともいえない感慨に浸る。 
                        その他の作品はかつて施設をコントロールしていた管理棟と実際に汚水の処理に使われていたエアレーションタンクを中心に展示されていた。 
                        順路にしたがって次々と作品を観ていくと、個々の作品の表現が実にいきいきと感じられてくる。 
                        それは、かつてこの処理場が行っていた、汚水からきれいな水への再生のプロセスと、それぞれの作品による新たな表現の誕生のプロセスが重なり合うからなのかもしれない。 
                        特に、エアレーションタンクの壁面にこびりついた汚れを軍手で削ぎ落とすことで、壁一面に植物を生命感たっぷりに描いた淺井裕介の「Fu-ka 
                        drawing」や、賞味期限の切れた牛乳で描かれた絵が会期中に徐々に腐敗していく水川千春の「clean milk」、機械室に半透明の幕を張って今回のプロジェクトのドキュメント映像を幻想的に見せる大西和希の「幻影の記録」などが特に印象に残った。 
                        そしてそうした作品たちの中央に大きくそびえる煙突に取り付けられた巨大なラッパ。ヤノベケンジの作品である「Flora 
                        フローラ」は、終末の地で再生の歌を奏でるラッパのようにも、あるいは再生の喜びに咲き誇る大輪の花のようにも見えた。 
                         
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