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山本一弥インタビュー
 
《子鹿物語》H224×W178×D190cm / 2004年 / 撮影:柳場大


原点からこれまで

立石
原点に戻りますが、山本さんが美術をやろうとしたきっかけというのは?

山本
笑。最初はほんと不純でこれはあんまり……。高校のとき周りは普通の大学に行くような進学校にいたのに、ずっと部活動ばかりしていてあんまり自分の進路が見えてなかったんです。部活があったから進路も考えていなかったし勉強もあまりしていなかったし、けどなんとなく「自分も大学に行かないと」と思って。そこで手にした大学の情報誌で初めて美大というものを知って、しかも学科試験が英語と国語しかなくてあとは実技試験。なんかいける気がしたんです。笑 絵を描いたりすることは好きだったし、周りよりは描けるという思いも漠然ながらあったので。まあ、何か一つのことには打ち込めるけど、他の事はダメなんです、僕は。

立石
一直線!という感じですね。
はじめから彫刻科だったんですか?

山本
いや、はじめは建築志望でした。けどあんまりよくわかってなかったんですね、やっていくうちに隣で油絵を描くのを見たりして彫刻に。絵は好きだったんだけど、かたちに残るものを作りたいという意識があったのかなと。それも全然根拠はなかったんですけど。


立石
学生時代はどんなふうに過ごしていましたか。はじめから木だったんですか。

山本
そうですね、彫刻学科ってだいたい今でもそうだと思うけど、最初満遍なく素材を触ってそれから好きなものをやってくという感じなんだけど、なんとなく木がよかったというか。木彫って今ではわりと流行っていてやっている人が多いのですが、僕のときはまだマイノリティでした。
彫刻って出てくる形や感じが、制作方法から来るということが多いと思うんです。たとえば作ってる痕跡が残って作品になったり、とか。そういう意味では少し特殊なやり方でやってみた方がいいと思ったりして、木の中でも丸太を持ってきてやったり、そのままノミと金槌で作るんじゃなくて小さなものを集めて作ったり。


立石
その頃から大きい作品を?

山本
そうですね、肉体的疲労感が欲しかったのかな。(笑)


立石
スポーツ少年らしいですね、それは。笑

山本
それにその頃、立体が元気あって、インスタレーションという言葉をよく聞くようになった頃だったし。空間の中で栄える大きい作品に興味があったということがありました。


 

立石
素材との相性っていうのもあるんですよね、きっと。

山本
うん、心中するくらいこの素材しか使わないっていう人はよく彫刻の人にいます。
けど僕はそんなに極端にぽんぽん材質を変えるわけでもないし、素材を見せてはいるんだけど、それより自分の中の漠然としたイメージを見せたいから、そういう意味ではわけのわからない素材を使いたいですね。


立石
素材を見せたいという感覚でもないんですか?

山本
そうですね……素材を見せたかったら多分ペンキなんか塗らないし。でもまあ結果的に見えてしまっているので。笑 けどそこだけにウエイトを置きたくないというか。


立石
過去の木の作品も中身はぎっしりしていて肉厚で……

山本
いや、だいたい厚くても2センチくらいですよ。実は。


立石
えっ、見えないです。空洞なんですか!?

山本
空洞です。FRPに比べたら分厚いですけど。


立石
空洞にするとはどういうことですか?

山本
これは逆に空洞にしないと何トンの世界なんですよ。めちゃくちゃ重い。ある程度空洞にできる前提に作るんです。表面になりそうな部分だけベニヤを置くというか・・。


立石
??

山本
正確に言うとまずは10分の1の模型を作るんです。それを例えば5ミリ単位で横にスライスすると、10分の1の断面図ができるんです。で、そのスライスしたものの厚さは、実際つくるものの場合5センチになりますよね。だから5センチの厚さのベニヤを、断面図にならって積んでいけばいいということなんです。それを繋いで重ねていくとある程度のかたちにはなる、ただ、表面が階段状になっているから、今度はそれを削って形にしていく、という感じです。


立石
ああ!だからさっきも小さいものを重ねて・・・っておっしゃっていたんですね。

山本
そうですね、ベニヤもはじめは薄いでしょう。それも分厚くしてから使っているから、そういう意味では小さいものを集めて大きくするという感じですね。
 
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