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篠原資明インタビュー






篠原資明『トランスアート装置』(思潮社, 1991)装丁:アイディアル・コピー




美術の現場で――80年代関西


ハガ
先生は展覧会のキュレーションや評論活動にも、ずっと関わっていらっしゃいますね。思想家としての立場から現代美術に関わるというのは、どのようなかんじでしたか?

篠原
意識的にやったというよりは、たまたまそういう話が重なったというのがあって。ちょうど京都大学の助手をやめてから大阪芸術大学に就職して、思想系の雑誌に登場する機会が増えるのと同じ時期に、『美術手帖』とか新聞の時評などで展覧会評も担当することになりました。現代思想的な言葉を使って、同時代のアートを批評するというのがたまたま80年代は上手くいった時期なんですね。さらにたまたま、80年代の関西には面白い作家が一挙に出ちゃった感じでね。そういう機会に巡り会えてよかったと思います。僕が取り上げた作家は、その後活躍する作家に育ちましたけどね。

ハガ
80年代の美術はどういうものでしたか?

篠原
80年代は、俗にポスト・モダンと言われますけどね。美術の流れでは60年代、70年代と非常に禁欲的なアートの傾向があったでしょう。もう絵を描くこと自体が時代遅れとする風潮があったわけですよ。ところが世界的にポスト・モダンの時代になると、アメリカ的にいうとニュー・ペインティング、ドイツ的にいうと新表現主義、イタリア的にいうとトランス・アヴァンギャルドという、禁欲的な時代からすると考えられないような絵の描き方、しかも抽象画じゃなくて具象っぽいイメージをちりばめた作品がどんどん出てきて。日本でもそういう作家が、特に関西には面白い作家が現れて。一方で、見た感じは派手ではないんだけど、物語性を取り込んだ作品とかも出てきたりしました。松井智恵とか、福田新之助とか。


ハガ
先生は身近で、世界的な流れとシンクロした変化を肌で感じられていたんですね。

篠原
そうでしたね。僕はフランスとかイタリアの思想をやってたんですけど、現代思想の中からリオタールみたいな人がポスト・モダン論とか出すでしょう。他にも、まったく違ったポスト・モダンの批評家としてボニート・オリーヴァとか、ジェルマーノ・チェラントとかも出てくるわけですよ。非常に多くの接点を持った時代でしたね。当時は、『現代思想』という雑誌も非常に盛り上がっていましたし。


ハガ
思想と最前線の美術がリンクしていたんですね。現代思想の言語で美術の人達が喋っていたりという話もよく聞きますけど、知的な時代だなと思います。

篠原
作家はどれくらい意識してたかわからないけれどね(笑)。そこが東京の作家と関西の作家の違いで、東京の作家はわりと知的な言語を意識しすぎて逆にちまちましちゃってたけど、関西の作家はあまり意識しなかったところが良かったのかもわからんね。僕がウンベルト・エーコの『開かれた作品』を訳したことも、あまり関西の作家たちには知られてなかったし。
そういえば若かりし頃の村上隆くんも、当時の関西の作家にだいぶ影響を受けていましたよ。「椿昇さん、尊敬してます」って、僕に語ったこともありました。


ハガ
女性作家にも注目が集まった時代ですね、どんな作家さんがいましたか?

篠原
今はキャンバスに糸を縫い込む作家さんもいるけど、もっとダイナミックに地面に糸を縫い込んだ人とかいましたね。大塚由美子さんといって、土とか鉄板とか、アスファルト、コンクリート、ガラス……そんなものを全部毛糸で縫い合わせているような作品。ちょっと不幸な事情があって表向き活動できなくなったんだけど、本当に惜しい作家さんで。

ハガ
「超少女身辺宇宙*1」の中で取り上げていらっしゃる作家さんですね。

篠原
そうですね。僕の「超少女身辺宇宙」の中で取り上げた作家は、本当に型破りな女性作家が多かったですよ。熊谷優子さんとか、今は写真作家になっている寺田真由美さん、田仲容子さんも非常に面白い作家だったんだけど、中南米に旅行に行ったときに事故で亡くなったり*2。何故か不幸なことになっちゃった人も多いんですよ。


ハガ
えぇー、そうなんですか……。

篠原
最近、80年代はファッションの世界でもモードになりつつあるらしいですね。
ちょっと前から現代アートの世界でも80年代っぽい作品が増えているんで、びっくりしてます。でも今の人たちが、当時僕が取り上げた作家なんか全然知らずにわいわい騒いでるのは、ちょっと不満でもあります。もうちょっとコンテクストを踏まえてほしいですね。関西が中心地だったら、もっと大きく80年代のこういう人たちは取り上げられていたでしょうけど。よく「日本のアートには流れがない」って言うけど、それは自分たちの、語り部の責任なんですよ。要するに不勉強なだけ(笑)。それを、あたかも客観的にそういうもんだって決めつけること自体が、ちょっとおかしな話だと思います。


*1篠原資明「超少女身辺宇宙」(『トランスアート装置』思潮社, 1991年所収。『美術手帖』1986年8月号初出。)

*2田仲容子の遺作は、嶽本野ばらの小説『カルプス・アルピス』のモチーフとなっている。

 

 
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