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増本泰斗インタビュー

《Delicate Tongue》の一シーン:Photo by Kim Seonyoung

僕の作品は
科学者の研究に近い


増本
まず重要な点として、作品をつくる過程、つまり《The World》の撮影現場それ自体が、すでに何かを表現していることに気づきました。
当時、展覧会で発表する機会もありましたし、さまざまなかたちで、文字通りトライアンドエラーを行いました。
例えば《Delicate Tongue》という作品は、パブリックにおける身体と言語の関係に着目したようなパフォーマンスもとして、卑猥な文章を読む内容でした。
けれど結果的には、異文化について考察していたことから「自分たちのことはどのくらい理解できているのか」ということに気づいていきました。
そしてこの自分たちについての理解は、実際あまり考えていなかった問いであると思ったのです。


藤田
あははは、たしかに。

増本
やがて僕のひいおばあちゃんの原爆体験、ヒロシマというトピック、そして戦争というテーマに接近を試みるようになりました。


藤田
自分たちについての理解を試みるとき、先祖の人たちを省みることは分かります。
でもヒロシマや戦争となると、人それぞれに考えていることが違うから、増本さん自身も多かれ少なかれ負荷になりそうですね。

増本
どんな形にせよ、戦争を作品の主題として扱うことには抵抗があって、もやもやしました。
たとえ直接的に扱わなくても、表現しようとすると、新たな戦争のイメージを生成してしまう気がして。
僕らのような経験していない人たちは、テレビや新聞、人から聞いた話から戦争というものをイメージしていると思います。
だからこそイメージを互いにうまく共有できていなくて、核心に迫る議論ができていなかったように感じています。
そうであるなら、別の方法でイメージする経験が必要かな、と思い少しずつやり始めました。


藤田
共有しつつ、経験しつつ、実践する、ということですか。

増本
そうです、僕の作品は科学者の研究に近い実践だと思います。
仮説をたて、実証するために、さまざまな角度からアプローチするような感じ。
僕の場合は、ひとりではなく、誰かとの協働というかたちをとることが多いですが。。。
アートの領域でも、ある仮説を実証する時、展覧会という方法だけでなく、その他に様々なアプローチがあるはず、ということを自覚することで、作品を制作すること自体もひとつの思考の場として成立すると考えています。


《Protection》パフォーマンスのようす/動画はこちら



藤田
《Protection》という作品は、ヒロシマに原爆が落ちたとき、増本さんのひいおばあちゃんは爆風で倒れてきた壁の下敷きになった体験をもとにしたものですよね。
昨年2012年に水戸芸術館で見ましたが、倒れてきた壁と同じ大きさの板をインスタレーションしたり、その板をみんなで持ち上げるパフォーマンスや、戦争についてインタビューした映像を流したり、という作品ですよね。

増本
そうです。
その体験に自分の身を置かない限りは、倒れてきた壁にひいおばあちゃんが下敷きになった、というイメージだけで考えてしまいそうで、実際に体験してみたんです。
そうしたら面白くて、単純にその行為が面白いんですね。

藤田
え、そのときの面白いって、どういう意味ですか。
ひいおばあちゃんは大変だったと思う体験談と重ねると、面白いなんて言えない、戦争のことを考えなくてはいけないのでは、と思ってしまいます。

増本
そうかもしれないけど、実際は倒れてくる板の壁を支えている、ただそれだけですから、行為としては面白いんですよね。
けれどもこんな実際に壁を支えているときの感覚は「遊び」「面白い」だけではないはずで、ふっとひいおばあちゃんの話に引き戻されることが重要なんです。
もちろん、壁が倒れる、支えるという一連の行為が、一緒にする人たちに対して、例えば「災害」とリンクするような目的を暗に示すのではなく、ひいおばあちゃんの話をしっかり説明したうえで行うことが大事だ、と思っています。
この作品はまだ継続していて、僕にとって大切な作品のひとつです。
 
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