今回のヴェネチア・ビエンナーレで日本館(田中功起/蔵屋美香)が国別参加部門で特別表彰された。これについて、ネット上に「小松崎拓男氏による『TOKYOPOPの終わり』とその反応」と題した、小松崎氏の一連のツイートとそれに対する会田誠氏/村上隆氏/奈良美智氏/田中功起氏の反論などが掲載されている。一種の論戦のようである。登場人物は日本美術界の中心的存在。内容が美術の流れの最先端に触れる部分であり、核心を突く問題なので興味を持って見た。このやり取りはすでにご存知の方も多いだろうが、内容が内容だけに当事者以外の専門家の方々は入りにくいだろうし、素人の私なら問題ないと思いあえて自分の拙い考えを記すことにした。私の最も関心あるところだったからでもある。(以下関係者全て敬称は略)
私が田中の作品を一番初めに見たのはずいぶん前で忘れたが、覚えているのは水戸芸術館で開催された「マイクロポップ展」(2007)のときに遡る。その中で印象に残っているのは、映像作品《滝を使ってサラダを作る》。見た瞬間“何だこれは”と思ったが、同時に面白い発想に感心したものである。普通の感覚では考えられない。一種の“ずれ”の表現の面白さと言っていいであろう。2009年の「マイクロポップと想像力の展開」(原美術館)でも田中が参加していた。また、「横浜トリエンナーレ」(2011)では、田中のコーナーにはモニター5〜6台が畳の上だの、段ボール箱山積みの中だのにバラバラに置かれていた。展示方法も奇抜。中でも《Rooftop walking, Going up and Step down》は特別面白かった。内容は無意味、こんな発想ってどこから出るんだろうと感心した。このように田中についてはマイクロポップ展以来ずっと関心を持っていた。今回のヴェネチア・ビエンナーレの作品の内容は不明だが、出品するのを知って嬉しく思った。
本論に入る前に「マイクロポップ」(提唱者、松井みどり)について簡単に記しておきたい。松井みどりは、 「日本の現代美術は1990年代、新たな独創と展開の時代を迎えた。欧米の現代美術の基準をそのまま輸入するのではなく、ポストモダン時代の日本の現実に反応する中で、新しい表現や方法が生まれたのである」と。そしてこの時代を時代順に、第一世代(杉本博司、宮島達男、森村泰昌)、第二世代(村上隆、小沢剛、奈良美智、曽根裕ら)、第三世代に分け、第三世代のアーティスト(60年代後半から70年代生まれ)に1つの傾向が見られ、これを「マイクロポップ」と呼ぶ、としている。田中はここに入る。会田は松井の記載にないが当然第二世代に入るだろう。奈良は第二、第三の両世代に入っている。
では、「小松崎拓男氏による『TOKYOPOPの終わり』とその反応」を見てみよう。まず小松崎のツイートである。
小松崎「ベネチア・ビエンナーレの田中功起の受賞で、TOKYO POPの時代が完全に終ったと考える。村上隆、奈良美智、会田誠らの牽引した時代は終り、会田誠の森美術館の個展が最後の華だったのだ。新コンセプチュアル時代の幕開けである。しかし多分それは難解なそれではなく、軽快なそれだろう。」(2013−6−2)
村上「小松崎さん、そういう考え、表明していいのかなぁ。後で火傷しますよ〜。何々の時代が始まるだの終わるだの、日本のART言論が外国からの風見鶏の時代こそ終わったと、そうは言えると思う。なんでベニスで賞とった作家がいてそれだけで変わんのよ?」(2013−6−2)
その後奈良、会田が登場するが、さらに続けて。
小松崎「敢えて始めるという意味では村上さんの言うように「後で火傷する」かもしれない。しかし、何かを敢えて断定的に言い切ってしまうささやかな無鉄砲さも、今の美術を動かして行くには必要だろうと考えた。・・・」(2013−6−2)
以下延々と続くが、主要点はこの部分なのであとは、上記リンクにより原文を参照願いたい。
ここで小松崎が田中を評価している点は全く同感だが、これにより「村上隆、奈良美智、会田誠らの牽引した時代は終り、・・・」というのはどういうことだろうか。マイクロポップ的な田中作品が評価されたことにより、今後このようなタイプが傾向の一つとして考えられるだろうが、あくまでも一つの傾向であり、これにより「村上、奈良、会田の時代が終わった」とは到底言えないであろう。
私は、田中が今回認められたことは大事なステップの一つ(「第一ステップ」としておこう)であり、村上、奈良、会田は、過去にそれぞれ「第一ステップ」を経て現在に至り、さらにその次のステップ(「第二ステップ」としておこう)と言っていいのか、何ものかに挑戦しているとみている。何に挑戦しているか。彼らは日本の伝統的文化を作品を通して世界に認めさせようとしているのではないか。日本にはそれ相応の埋もれている美点がいくつもあるはず。単に西欧の評価基準に合わせるだけでなく、日本の美点をもっと西欧の評価基準の中に組み込ませるとか、認めさせるとかできないか、と静かに挑戦していると思っている。だから彼らの作品は今後も目を離すことができないし、見ていかなければならないであろう。
細かいことは分からないが、西欧の評価基準はコンセプトが重要な意味を持っている。これはこれでいい。私もこの種の作品に好きなものがいくつもあるし、コンセプトが分かると理解しやすい。でもこの線を追究すればするほどコンセプトに重心がかかり過ぎ難しくなっていくように思う。その結果見直され変わっていく。抽象表現主義からポップアートへ、コンセプチュアル・アートからニューペインティングなどへ。これらはその典型だったのではないか。今は見直しの潮流が流れている時代であろう。村上、会田、奈良、田中は全てこの見直しの流れを意識して制作していると思っている。純粋の弊害から異文化を取り入れようとする時代に入っているのかもしれない。
図書「奇想の系譜」(辻惟雄著)の「あとがき」に、辻が面白いことを言っている。「奇想」の由来を江戸時代以前にまでさかのぼると重要なものが見えてくるという。「一つには日本美術が古来持っている機智性(ウイット)や諧謔性(ユーモア)−表現にみられる遊びの精神の伝統・・・」であり、もう一つは風流の伝統だとしている。これらを「・・・時代を超えた日本人の造形表現の大きな特徴としてとらえたいと思うようになっている。・・・」と結論付けている。
また、椹木野衣は図書「反アート入門」の終わりの部分で次のように言う。日本の伝統を具体的に示したあと「わたしたちに『アート』があるとしたら、それは欧米の価値観に追従するのではなく、・・・」、「それは、キリスト教美術のような永遠性や肉の不滅ではなく、むしろ、現れと消滅のほうに顔を向けた新しい『わるいアート』なのです。・・・単なる『本物志向』のようなものであってはならない、ということです。・・・」としている。かなり強烈な表現だが、大事なことを言っている。マイクロポップに通じるかもしれない。
「遊び」や「風流」あるいは、「わるいアート」、「本物志向でない」などを込めた作品こそ身近で分かりやすく面白いのではないだろうか。村上、会田、奈良の考えもこれにかなり近いように思う。彼らはこれらの中の何ものかを西欧の評価基準の中に認めさせようと自信を持って挑戦しているのではないか。藤田嗣治は、浮世絵の美人画に描かれた女性の肌の美しさにヒントを得て裸婦像を油絵で描き大成功した。これも日本の伝統を西欧に認めさせた良い例であろう。
村上は、アートの世界での評価が西欧基準であればその基準を念頭にものを考えようじゃないか。認めさせた上で、日本的なものを打ち出して行こう、日本の伝統を世界に認めさせようと考えているのではないか。村上の着眼点は本人が言うように「奇想」であろう。これをベースにした素晴らしい作品を制作し、公表する機会をうかがっているのではないのか、と思っている。カタールで何体もの羅漢像を描いた100メートルもある巨大な作品はその兆しかもしれない。
また、会田の魅力は、何といってもアートに対する考え方、姿勢であり、西欧的評価がなにもすべてではないと言わんばかりに自由奔放に持ち前のアイロニー等々を用いて制作する態度である。難しいコンセプトを主題にする考えはなく、別な世界にも評価されるべきものがあるはずだ、と自信を持って主張しているように思えてならない。会田の作品も村上と同様に範囲が広くてすべてを把握できないが、中には日本の過去の名作のアプロプリエーション(流用)と言えるかどうか、これを活用して面白く素晴らしい世界を提起している。やがては西欧の評価基準の方から近づいてくるかもしれない。会田流にいえばどうでもいいことだろうが。
以上が村上と会田のいわゆる「第二のステップ」の現状ではないか。このように考えると村上と会田とは、アプローチこそ異なれ、ゴールはかなり近いように思うがどうか。残念ながら奈良については私の不勉強もあってここに記すことはできないが、方向は村上や会田と同様かもしれない。
一方田中はどうか。前述のように彼の作品は、辻惟雄や椹木野衣のいう「遊び」や「風流」あるいは、「わるいアート」、「本物志向でない」ものに近いと思っている。マイクロポップ的と言っていいかもしれない。であるにもかかわらず、この度ヴェネチアで評価された。そう考えると、この度の作品は、歩みの「第二のステップ」を経ずして、ある意味日本の持つ伝統的なものを西欧に認めさせたことになるのではないか。一挙に村上、会田より先回りしたと言えるかもしれない。そうであれば小松崎の言う「村上、奈良、会田の時代が終わった」と言うのは言い過ぎのきらいはあろうが、世代間の思考の微妙な違いの露呈とか、時代が下るほど難しいコンセプトから離れる傾向があるように思うが、その顕在化ということだろうか。小松崎の発言は、田中の作品が、村上、会田、奈良の世代とは異なる内容をはらんでいるとみて発言したようだが、あながち間違いだとは言い切れないかもしれない。難しい問題を抱えているように思う。
最後に、今回この文章を書くに至った小松崎のツイートは、私にとっては2つの大事な意味を持っていた。1つは、田中功起の受賞により、「・・・村上隆、奈良美智、会田誠らの牽引した時代は終り・・・」のところであり、これについては記してきた。もう1つは、小松崎の言う「何かを敢えて断定的に言い切ってしまうささやかな無鉄砲さも、今の美術を動かして行くには必要だろうと考えた。」との部分である。これがあったからこそ当事者同士のやり取りを見ることができ、私の関心のある美術の最先端の考え方に接することができた。その意味では、断定的に言いきってくれた小松崎に謝意を表したいものである。この論争は私に限らず多くの人が見たはずだし、見た人は興味を持ったのではないか。また、機会があれば断定的な発言もして欲しいものである。併せて関係者すべてに謝意を表したい。