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美術散歩

「マイクロポップ的想像力の展開」展を見る

TEXT 菅原義之


 原美術館で開催の「ウィンター・ガーデン:日本現代美術におけるマイクロポップ的想像力の展開」展(EXHIBITIONS→PASTへ)を見た。これは国際交流基金が日本の現代美術若手アーティストを国際舞台に紹介する目的で企画したもの。キュレーターは美術評論家松井みどり、原美術館で独自に約10点を加え、作品数約60点で構成されていた。
 「マイクロポップ」は2007年水戸芸術館で開催された「《マイクロポップの時代:夏への扉》展」にて松井みどりが提唱したもので、90年代の終わりに現れてきた60年代後半から70年代生まれアーティストの傾向だという。
 水戸で見たときに感じたのはアーティストそれぞれの発想が面白かったことだ。分かりにくい作品もあったが、松井みどりが時代の傾向を明確に捉え、分析し「マイクロポップ」として位置づけたことは素晴らしい成果だと感じた。そんなこともあって今回も楽しみに見た。

 ところで「マイクロポップって」何だろうか。実のところ分かるようでわかりにくい。あえて言えば「マイクロポップの時代:夏への扉展」図録を見ると分かりやすいだろう。
 この年代のアーティストは前の世代からの流れを受け継ぎながら時代を反映して独自のスタイルを生み出しているそうである。前世紀のように大きな物語、流れがなくなり、枠組みにとらわれずに、あるいは何も枠組みのないところで制作せざるを得ないからかもしれない。できるのはせいぜい過去の流れの影響を受けながらも独自のコンセプトで制作せざるを得ないということであろう。
 現在「オタク文化」に代表されるアニメ、マンガは世界舞台に登場し活躍をつづけている。アニメ、マンガといえば日本が思い出されるほど浸透しているようだ。「マイクロポップ」展にもマンガ的要素を取り入れて制作しているアーティスト(國方真秀未とタカノ綾)もいる。時代反映の一例かもしれない。
 ともあれ水戸芸術館と原美術館での展示を総合して「マイクロポップ」は日本文化の一傾向だと松井みどりは分析しているし、そうであろう。何せ発想が面白いし、素晴らしい。感心せざるを得ない。従来の鑑賞視点から見ると、あまりにも「些細な」、「子供じみたもの」、「マイナー(周縁的)なもの」かもしれないが、そこには人の心を感動させる多くが詰まっている。日本だけでなく世界の視点から見ることができるのではないか。これがこのたび国際交流基金が世界の舞台に提示しようと取り上げた理由であろう。

 一方、90年代のアート作品の傾向として世界的に見ても日用品を取り上げた表現を用いるとか、身の回りのささやかな問題を取り上げるなど「日常性」が作品の中に取り入れられているようだし実際にそうであろう。また、90年代後半から「具象絵画が復活」していることも世界の傾向として見ることができる。
 一例だが、「日常性」問題では、森美術館の「ターナー賞の歩み展」で見たティルマンスの大きな写真《サークルライン》の魅力に取り付かれた。多分ロンドンの地下鉄「サークルライン」の中で「サークルライン」に見える女性の袖口模様を撮った写真である。いかにも「マイクロポップ」的だ。また、絵画で見ると2006年大阪国立国際美術館で開催された「エッセンシャル・ペインティング」展は残念ながら見なかったが図録ほかによるとペイトン、デュマス、オーエンスなどほとんどが具象絵画だ。
 これらの傾向は日本が世界と同時発生的なのか、世界の流れの影響を受けたからか不明だが、グローバル化の影響だろう「マイクロポップ」にも見ることができる。逆にいえば、「マイクロポップ」のこの部分は日本独自の文化ではなく世界の視点だろう。作品を見てみよう。



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1青木陵子 「にょろ畑」 2009年、紙にペン、鉛筆、水彩、37×45cm (C)Ryoko Aoki
2泉太郎 「キュロス洞」 2005年、DVD Courtesy: hiromiyoshii
3落合多武 「drawing for cat slide」 2007年、紙に色鉛筆、鉛筆 152×223.7cm (C)Tam Ochiai Courtesy: Tomio Koyama Gallery
4佐伯洋江 「Untitled」 2007年、紙にシャープペンシル、色鉛筆、アクリル、82×179cm Courtesy: Taka Ishii Gallery
5杉戸洋 「おほしさま」 1992年、パネルに紙、アクリル絵具、顔料、182×242cm (C)Hiroshi Sugito Courtesy: Tomio Koyama Gallery
6千葉正也 「泣き頭」 2008年、キャンバスに油彩、木、160×93.3×30.7cm (C)Masaya Chiba Courtesy: ShugoArts
 
青木陵子
(1973〜)
 青木は植物をモチーフに選ぶのが好きなようだ。植物を描いているとイメージが膨らんで次々と他のものが浮かび上がってくるんだろう。ドローイングの一本の線が植物の幹かと思うと他のものに変わっていく。展示の≪太陽≫(2009)はミクストメディア。紙、布、絵画小作品などで構成。イメージが膨らんで絵画だけでなく他のメディアに転移しているようだ。白い布の塊は雲か。赤い布は太陽、青いのは空か?など見ている方のイメージも広がる。発想が軽快で素晴らしいの一言。

泉太郎(1976〜)
 映像作品≪キュロス洞≫(2005)。スポーツニュースなどが映る。アナウンサーの顔をなぞるように黒のマジックでモニター上に描く。場面が変わると素早く消して同じ行為を続ける。忙しいアクションペインティングだ。テレビはいつも見聞きするだけで一方的。マジックで自分が描くことでテレビに参加しているのかもしれない。ささやかな狙いである。また、ショップ奥男性トイレ≪白熊≫(2009)の洗面所作品。泉らしい。素晴らしいし、面白い。

落合多武(1967〜)
 ドローイング≪drawing for cat slide≫(2007)。タイトル通り猫が斜面を滑り落ちる様子がいくつものスタイルで描かれている。いろいろな落ち方の登場である。素早い猫があんな滑り方するかな?猫が人のようでもある。入れ替わったかのよう。些細なことだがつい見てしまう。また、黒猫が大きないくつもの白木の立方体の骨組みを歩き回るとか、白い台座に静かに座っているなどの映像作品≪cat carving≫(2007)。生きている猫を彫刻に見立てる発想か。些細なことだが面白い。歌う彫刻≪ギルバート&ジョージ≫が浮かんだ。

佐伯洋江(1978〜)
 白いケント紙にシャープペンシルで緻密に描き込まれた何点かの作品≪untitled≫。一見植物が描かれているかのようである。細部の描き方は魚の鱗のようでもある。作品によっては植物の枝、蔓などが異様な形で伸び、よく見るといくつも文字が書かれているようだ。読み取れないが短文か詩歌かもしれない。単なる植物の細密描写でなく不思議な世界が展開されていた。ずれの表現だろうか。発想が奇抜だ。余白も目立つ。日本画の表現が浮かんだ。

杉戸洋(1970〜)
 絵画≪おほしさま≫(1992)は空、家、大きな木、家から漏れる光?が描かれ、空と光が画面の多くを占め、幾何学模様的風景が展開されている。家から「おほしさま」と描かれた何枚もの短冊だろうか?ぶら下がっているかのよう。肝心の「おほしさま」はどこに?空になく木の葉の中一面に?細かい光のこぼれる家の窓もあるいは「おほしさま」をイメージしているのだろうか。こんな描き方ってたまらなく面白い。ずれの面白さかもしれない。

田中功起(1975〜)
 映像作品≪Light My Fire≫(2002)。導火線に火がついてどんどんと燃えていく。どうなるか気がもめる。ドカーン!爆発か!発破が予測される。いつまでも燃え続く。ついにそのまま終わる。3分ほどである。終わってみると「なんだこれだけ」と思うがつい見てしまう。これが狙いだろう。当然に推測される結論とは異なるところへ導く点が面白い。些細なこと、ずれの表現か。いかにもマイクロポップ的。

千葉正也(1980〜)
 ≪泣き頭≫(2008)は紙粘土で制作した白い頭像が木の棒の支えに載っている絵画である。目から涙が蛇口から水が出るように流れ出ている。額縁はなく木枠にキャンバス地が貼ってあるだけ。木枠の左右が脚として伸びてそのまま台座に取り付けられている。絵画という平面作品に台座を彫刻的要素としてあえて加味しているようだ。絵画と彫刻の一体化作品かもしれない。頭像を描いた絵画の内容からも想像できる。発想がユニークで実に面白い。

 

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7Chim↑Pom 「イケてる人達みたい01」 2008年、DVD、タイプCプリント (C)2008 Chim↑Pom Courtesy: Mujin-to Production, Tokyo
8八木良太 「VINYL」 2006年、シリコン、精製水、レコードプレイヤー、冷凍庫 (C)2006 Lyota Yagi Courtesy: Mujin-to Production, Tokyo
9山本桂輔 「untitled」 2006年、紙に油彩、オイルパステル、65×50cm (C)Keisuke Yamamoto Courtesy: Tomio Koyama Gallery
10國方真秀未 「無用の洞窟」 2007年、キャンバスにアクリル絵具、90.7×116.5cm×2.5cm (C)2007 Mahomi Kunikata/Kaikai Kiki Co., Ltd. All Rights Reserved.
11工藤麻紀子 「空飛ぶさかな」 2006年、キャンバスに油彩、130.5×162cm (C)Makiko Kudo Courtesy: Tomio Koyama Gallery

 
Chim ↑Pom
(6人からなる集団)
 ≪イケてる人達みたい01≫(2008)は火を使った映像作品である。いろいろな場面が登場する。夜広いグランドでガソリン?に点火、引き続きガソリンをポットからまきながらでラインを引く、ライン上をどんどん火が燃えていきサッカー競技場が現れる。燃えているサッカー場である。また、マンホールの通気口から青い火が、トイレの便器からも火が燃え上がる。ガソリンのなせる技だが、なぜかメタンガスを想像させる。一種の火遊びもどき。着想がユニーク。ユーモアある作品だった。

八木良太(1980〜)
 氷でできたレコード作品≪VINYL≫(2006-2009年)の実演を見た。冷凍庫から氷のレコードを取り出し小型レコードプレーヤーに。レコード針のヘッドをレコードにそっと置いて聴く「あれ」である。氷のレコードが廻り、ショパンが流れる。ちょっとすると溝にやや傷があるのか同じところが繰り返される。昔傷付いたレコードを聴いたときと同じである。次第に雑音がひどくなり溶けている様子がわかった。面白いアイディアである。発想がたまらなくいい。

 まだまだ書ききれない。山本桂輔(1979〜)の絵画。よく見ると関係ないもの同士の登場のようだが違和感がない。不思議な世界が表現されている。面白い。特にパステル調の色彩が魅力的だ。國方真秀未(1979〜)とタカノ綾(1976〜)はマンガ的要素を用いて自らの世界を表現。國方の≪無用の洞窟≫(2007)はどこか変だ。「引返せ」と描いてあるが入口と反対側方向だ。どこへ引き返すのか?と思う。工藤麻紀子(1978〜)の絵画≪空飛ぶさかな≫(2006)は男の子と女の子が正面を向いて立っている。魚は空を飛んでいない。子供心に空想世界を描写か?なぜかかわいい。半田真規(1979〜)の作品≪興ざめパラダイス感覚サーフィンその1その2≫(2007)タイルに油彩である。海岸でサーフィンしている光景か?イメージがあちこちに膨らんでいるようである。

 短時間で見ると分かりにくい作品に出あうかもしれない。特に外国人にはそうであろう。「マイクロポップ」も90年代末から見られる傾向だそうで、すでに10年ほど経過している。世界への巡回には調度いい時期かもしれない。作品によってある程度のコメントがあれば海外でも理解される可能性は高いだろう。成功を期したいものである。
 全貌して発想の素晴らしさに感動する作品に多く出会えた。いい美術展だった。


 
   
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社勤務、退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室作品ガイド)を行う。

ウエブサイト ART.WALKING

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。

 

 

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