topcolumns[美術散歩]
美術散歩


現代美術の可能性を伝える
「ヨコハマトリエンナーレ2011」

TEXT 菅原義之

 
 第4回目の「ヨコハマトリエンナーレ2011」(8/6〜11/6)が開催された。今回のテーマは「OUR MAGIC HOUR−世界はどこまで知ることができるか?−」である。分かりにくいテーマだが、狙いは現代美術のもつ多様な可能性を、広く伝えようとする試みだとのこと。主会場は「横浜美術館」と「日本郵船海岸通倉庫」。参加アーティストは外国勢を含めて80名を超えるようだ。盛大なアートの祭典となった。

1.横浜美術館

 
イン・シウジェン(1963〜)
 美術館に入るや正面ホールに作品が展示されていた。上着から下着、靴下まである一人の人物の着衣を糸状にほどき、それを同心円状に巻き上げた作品がいくつも展示されていた。作品一つひとつは個人の着衣の結晶ともいえよう。男性女性の相違だとか、着衣の相違などによって巻き上げたものの色彩、大きさが異なる。その数はかなり多い。仏教における煩悩の数108人分を取り上げているとのこと。これがホールいっぱいにしかも渦巻き状に展示されていた。発想が面白い。その上数の多さと展示方法が見事。入るや否やこの作品に目を見張った。

 
田中功起(1975〜)
 このアーティストのコーナーは写真でお分かりの通り椅子、机、畳、箱などが雑多に置かれ、ごちゃごちゃになった室内を想起させる。でもよく見ると配置が意識的で面白い。始めて田中の作品に接したらこれはいったいなんだろう、これのどこがアートなんだと訝しげに思うことだろう。その中に例によってテレビモニターがあちこちに置かれ映像が流れていた。5か所だっただろうか。内容はそれぞれ異なるがどれも面白かった。その理由、一つは、長くないこと。これは映像作品の要諦。二つ目は、意図が十分に伝わること。分かりやすい。三つ目は、奇抜な発想に感心させられること。見ていて独り笑いしてしまった。

 
マイク・ケリー(1954〜)
 黒い幕で円形に仕切られた暗い中に目を見張るようなきれいな小作品が5〜6点台座の上に点示されていた。理想の世界を表現しているのだろうか、と思う。振り返って現代の世界を見ると政治、経済、民族、思想、宗教、文化などの違いからだろうか。あちこちで解決困難な問題の発生や絶えない紛争が見られる。作品からはそんな様子がみじんも感じられない。厭なことを一気に忘れさせるような風景が展開されていた。暗い中に白一色の作品、色彩豊かなものなどある。“ほっ”とする瞬間である。マイク・ケリーといえばなんといっても内臓がはみ出たぬいぐるみ作品の印象が強かったせいかこのような作品を見て改めて感心した。ぬいぐるみからは時代がかなり経過しているからかもしれない。

 
八木良太(1980〜)
 今年の春の東京都現代美術館の「MOTアニュアル2011|世界の深さのはかり方」展や以前に原美術館で開催された「マイクロポップ的想像力の展」を見てこのアーティストの作品は強く印象に残っていた。今回は回転するLPのレコード盤を「ろくろ」に見立ててそこで粘土から陶器を制作するもの。回転が速いせいかレコードと接する部分の粘土が外に流れる。にもかかわらず制作を続ける。もう1点は音楽の入ったテープを大きな円形の発泡スチロールにグルグルと巻き付けこれを回転させそのテープを聞く作品である。置かれていたイヤホーンを通して何やら“ジー”という音が流れる。このアーティストは陶器やテープの作品など回転するものに関心があるようだし、音にも関心があるように思えた。いずれもユニークな発想に感心した。面白い。

ダミアン・ハースト(1965〜)
 3点の作品とも色彩の見事さは格別だった。写真撮影禁止なので掲載できないのが残念だが、何千枚もの蝶の羽を左右対称に使って制作、曼荼羅とか万華鏡を思わせる図像を創り上げた作品である。3点ともかなり大きく色彩豊かで教会のステンドグラスを想起させる。ダミアン・ハーストといえば「ターナー賞の歩み」展(森美術館)で見た実物の母牛と子牛が頭部から左右に真っ二つに分断され、大小2つづつケースに入れられたホルマリン漬けを思い出す。この作品とは全く異なる奇麗な作品だった。これも生物を扱っている点から「生」と「死」をどこかで感じさせる。死後の美しさを見るようだった。

2.日本郵船海岸通倉庫

 
山下麻衣(1976〜)+小林直人(1974〜)
 展示コーナーに入ると映像が流れその先に大きな砂山がある。よく見ると砂山の上にスプーンが立っている。何だろう、と思う。不思議な光景である。一方映像を見ると海岸で2人の人物がしきりに砂鉄を集めている様子が延々と映る。おそらく制作者の山下と小林だろう。画面が変わって集めた砂鉄を溶かしスプーンを制作している場面が映る。そうか、砂山のスプーンは集めた砂鉄で制作したスプーンだったのだ。分かった瞬間だった。するとあの大きな砂山はスプーン1本作るのに必要な砂の量かもしれない。大変な労力だ。急にこのスプーンが貴重に思えた。こんな光景は普通あり得ないこと。まじめにやっている行動にユーモアすら感じた。“ずれ”の表現の面白さかもしれない。

 
落合多武(1967〜)
 このアーティストのコーナー壁面にはドローイングが何点も展示されていた。その他にはいろいろな箱が置かれているだけ。他に木枠で作られたものがいくつも山のように置かれている。これだけだと何のことか分からない。変なものが置かれているだけである。作品の一角に映像が流れていた。2匹の黒い猫がそれぞれの箱や木枠の間を行ったり来たりしている。動きが面白い。猫の彫刻かもしれない、と。ちなみにタイトルを見た。《ひっ掻き 血、または猫彫刻》とある。彫刻は動かないもの、置かれるものという考えに異議を申し立てているようで面白かった。動く彫刻である。自分自身を生きる彫刻と称した「ギルバート&ジョージ」が浮かんだ。

 
ヘンリック・ホーカンソン(1968〜)
 1階展示室で大きな樹の根が天井からぶら下がっているのを見て何だろうと思った。それだけだった。2階に上がりこのアーティストの作品を見て分かった。1階で見た根の上の床に大木が立っているではないか。あの根の上の部分だった。ちなみにキャプションを見た。《根の付いた木》である。この木は実は3階にも伸びていた。これで1階から3階まで根の付いた木の全貌が分かった。また、このアーティストには別の作品≪倒れた森≫もあった。何本もの木が全て横倒しになっている。正面から見て分からなかったが、側面からだとよく分かる。おおきな鉢に入れた何本もの木が横倒しで展示されていた。重力に逆らいながら伸びている木をこのように扱う。《根の付いた木》、≪倒れた森≫共々思いもよらない方法で展示していた。当たり前からはみ出た発想が面白い。一種の“ずれ”表現であろう。


 
ジュン・グエン=ハツシバ(1968〜)
 このアーティストは父がベトナム人で母が日本人である。今回の地震について被災者のために何かできないかと考え映像作品を制作した。横浜市の地図が映る。道路が細かく表示されるが、その道路が次第に赤色に変わり拡大される。赤い拡大された道路はその域を出て真っ赤な血流を想像させる。さらに拡大する。出血とか死を連想させるようだ。すると次第にその血流画面の奥に白い何かが映る。花模様だ。赤い血流画面が次第に白線で描写された花模様に変わり同時にその背景に青い空が映る。「生」と「死」を感じさせる血液、その後に白線で描かれた花模様の出現である。東日本震災を想起させながらも明るい未来に向かって走ろうと呼び掛ける励ましの内容であろう。感動させられる作品である。


 
 このほかにも面白い作品、素晴らしい発想だと思われるものが何点もあった。例えば、冨井大裕(1973〜)の《ゴールドフィンガー》。白い壁面一面に画びょうを使った作品である。日常使用するものを使って見違えるような作品に仕上げる。発想が凄い。石田徹也(1973〜2005)の絵画。現実にはあり得ない様子を描く。現代のシュルレアリスム絵画かもしれない。素晴らしい。31歳で夭折は惜しいの一言。泉太郎(1976〜)の作品。何台もの自転車の後輪の一部に色彩豊かなパネルを貼付し撮った映像。発想がユニークだが、自転車を動かないように木枠で押さえたのにはなぜか「笑」を禁じえなかった。また、美術館の入口付近に並ぶウーゴ・ロンディノーネ(1964〜)の12体の作品。見た中では彫刻の顔の表情が現代社会を反映しているのか、どれも悲しげあるいはそれを通り越して不安、不穏を表現しているように思えた。

 今回のトリエンナーレでは、一部横浜美術館所蔵作品が展示されていた。これは来館者に多くの作品を見てもらおうとする配慮だと思うが、中には「現代美術の祭典」から離れた印象を持たざるを得ない作品が何点もあった。歌川国芳(1798〜1861)、ブランクーシ(1876〜1957)、ボール・デルボー(1897〜1994)、マックス・エルンスト(1891〜1976)などなどである。なぜかと思う。
 よかったのは、写真撮影が多くの作品でできることだった。名古屋でやった「あいちトリエンナーレ2010」では2美術館内の作品はすべて撮影禁止だった。なぜかと不思議に思っていた。このような展示ではできるだけ撮影可とすべき。撮影できると現代美術に親しみが持てその普及に一層役立つことだろうと思う。帰ってから自分で思い出せるし、他の人にも写真をみせ説明できるからである。「百聞は一見に如かず」であろう。
 今回回ったのは主会場2か所だけだったが、全体を見て多くの発想豊かな作品に巡り合えたことは素晴らしい体験だった。
 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。

ウエブサイト アートの落書き帳

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。


topnewsreviewscolumnspeoplespecialarchivewhat's PEELERwritersnewslettermail

Copyright (C) PEELER. All Rights Reserved.