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harappa通信

NPO法人harappaと、なみおか映画祭



harappaができるまで


なみおか映画祭とは?


[なみおか映画祭とは?]

――ここでようやく映画との関係が出てきましたね。

三上:弘前市を含め地方都市の映画上映状況というのは、シネコンに席巻されているのです。上映されている映画はハリウッドのメジャー系配給映画がほとんどで、たまに話題の韓国映画とか、邦画界が鳴り物入りで宣伝にこれつとめた映画が上映されるといった状況ですね。つまり、東京のミニシアター系映画館で上映される映画はほとんど地方にはやってこないというのが現状です。じゃあ、東京こそ恵まれた状況かというとそうでもない。一昔前は、二番館、三番館という名の映画館があったのをご存じですか。

――いいえ。さっぱりわかりません。

三上:封切り映画館の入場料は高いから、もう少し待って二番館で見ようとか、昔の映画3本立て、場合によってはオールナイトをやっていた小汚い映画館、というより小屋のことです。そういうところが東京でもなくなってしまった。ですから、昔の映画を見るという機会が極端に減ってしまったのです。

――なるほど。そうするとharappaでは、東京のミニシアターにかかるような映画や、東京でもみることができなくなりつつある古い映画を上映しようと思っていらっしゃるわけですね。

三上:そうです。ただ、そう思うようになったのは、13年間続けてきたなみおか映画祭の蓄積あってのことです。

――そもそも、なみおか映画祭とはどんな映画祭なのですか。

三上:青森県・浪岡町というのは本当に小さな町で、映画館なんて一軒もありません。会場となる「中世の館」は300人ほどはいるホールはありますが、別に35mmの映写機がおいてあるわけではない。よく言うところの多目的ホールですね。しかも近くにはしゃれた喫茶店などありませんから、会場を訪れた観客は、朝から晩まで上映作品を見続けるしかありません。女優さんが来るわけでもないし、コンペティションを行うわけでもない、平均一日4本の作品を上映して5日間で20本、映画漬けの毎日という映画祭です。

――お祭りというより、苦行を強いられるみたいな感じですね。

三上:主催者側は、「さあ、どうだ」という意気込みでプログラミングに精出しますし、一方、観客のみなさんは、「どうれ」と応えて映画に見入ります。いうなれば、この映画祭は主催者側と観客との一騎打ちです。輝く映画たちのおかげでその戦いが双方の勝利に終わったときこそが至福の時です。
 例えば、それまで名も知らなかったイランの監督キアロスタミの『友だちのうちはどこ?』や、マキノ正博の傑作オペレッタ『鴛鴦歌合戦』、ジョン・フォードのユーモア溢れる『周遊する蒸気船』のエンドマークが出たとたん、会場は拍手の渦となった。あの時の感激は忘れられません。そうそう、今年は成瀬巳樹男監督、山田五十鈴主演の『歌行燈』や、カール・T・ドライヤーの『奇跡』終了後、拍手があがりました。

――ということは、どんな映画を上映するかというのがこの映画祭の一番重要な点だということなのでしょうか。

三上:映画祭ではその年ごとにキャッチフレーズを考えます(ちなみに今年は「銀幕の誘惑」でした。詳しくは、http://www.nff.jp/ をどうぞ)。何年前かのキャッチフレーズが「映画―記憶のタペストリ」だったのですが、それぞれの映画というのは以前に作られた映画の記憶をなにかしら引きずっているのです。ですから、映画祭におけるプログラミングというのは、忘れられた記憶の糸をほぐしてみたり、引っ張ってみたり、つないでみたりする作業を行うことなのですね。

――端的に言えば、見たい映画を上映する映画祭と言ってもよろしいのではないでしょうか。

三上:そのとおり。ばれましたか。

――簡単にばれます。(笑)

三上:今、全国規模で、「コミュニティシネマ」という組織ができつつあります。つまり、商業映画館ではなかなか上映しない、というかできない多様性を持った映画を上映する映画会場を作ろうという動きです。なみおか映画祭は年に一回のお祭りですが、このなみおか映画祭の意図を年間通じて実現できる上映スペースを作ること、harappaがその主体になれないだろうか。これが私の夢です。

――harappaの活動をお聞きしていると、展覧会を享受したいという人々が、その展覧会を作り上げている。今の映画のお話も、映画を見たいというお気持ちが映画の上映スペースを作るきっかけとなっている。なにか通じるものがありますね。

三上:結論をかわりに言って下さってありがとうございます。そうです。今やアートの世界はアートを享受する者がじっと座っていればいい時代ではないのです。美しいもの、聖なるもの、ぐさっと突き刺さるもの、あっと驚くもの、自分や世界をグラグラにしてしまうもの、それらとの出逢いはただ待っているのではなく、自分たちで掴まえなければならないのだということ。そのためにこそ、harappaもなみおか映画祭も活動を続けていく意味があります。

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