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harappa通信

NPO法人harappaと、なみおか映画祭



harappaができるまで


なみおか映画祭とは?


harappa、そして、なみおか映画祭のことNPO法人harappa理事長三上雅通さんに聞く

TEXT 三上雅通


[NPO法人harappaと、なみおか映画祭−]

――NPO法人harappaと、なみおか映画祭のことについておうかがいしたいのですが。

三上:そう言われましても、二つとも全く別な活動をする団体なので、どこからどう話していいものやら。

――別の組織なのですか?私はてっきりharappaが毎年行われているなみおか映画祭を組織しているのかと思っていました。

三上:どちらも青森県(といっても、harappaは弘前市を活動の拠点としていますし、なみおか映画祭は青森市と弘前市の中間にある浪岡町で行われる映画祭ですが)が舞台であるということと、どちらも、私が代表をしているということで、なにか同じではないかという錯覚をもっていらしたんでしょう。

――それでは改めてお聞きしますが、harappaの成り立ちは何だったのですか。

三上:2002年8月3日から9月29日までの間、弘前市にある吉井酒造煉瓦倉庫において「奈良美智展 弘前」が開催されました。そもそもは横浜美術館を皮切りとして行われた奈良美智の巡回展「I Don't Mind If You Forget Me 」を是非彼の故郷弘前市で実現したいという思いと、奈良さんも弘前市の多くの人々も心の故郷と思っていた、弘前市の中心にぽつんと残っていて誰も中を覗いたことのない古い煉瓦倉庫を展覧会場として使用したいという思いが実現したのです。

――その展覧会を主催したのがharappaなのですか。

三上:いいえ、その時はNPO法人なんて誰も考えていなかった。奈良さんの展覧会を煉瓦倉庫で実現したいという熱い思いを持った数十人が、もしかしたら返ってこないかもしれない展覧会開催のための出資金(軍資金ですね)を持ち寄って実行委員会を立ち上げた。そして、煉瓦倉庫を掃除する人、壁にペンキを塗る人、ショップやカフェを作る人、家具やらトイレを作る人、そして出来上がった会場の受付から案内までのお世話をする人、つまり会場作りから会場運営まですべてをボランティアで行うというシステムで展覧会を運営しようということになった。
 そうしたら、何と延べ3500人ものボランティアスタッフが集まり、会期中の入場者数も5万8千人にも及んだのです。

――すごい人数ですね。

三上:弘前に巡回する前の展覧会場が旭川美術館で、ここでの入場者数が9800人、そのまた前が広島市現代美術館で2万7千人ですから、弘前での入場者数には本当にびっくりしました。

――三上さんは、この時の実行委員長?

三上:いえいえ。私は一介の広報係兼掃除係でした。本当に多種多彩な人たちがスタッフとして活躍した。大学の先生、建築家、公務員、不動産業、写真家、酒屋、学生…。

――三上さんも本業は弁護士ですし。

三上:近頃はなにが本業なのかわからない(笑)

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著者プロフィールや、近況など。

三上雅通

昭和48年3月   慶應義塾大学大学院法学研究科修士課程終了
昭和50年4月   第一東京弁護士会に弁護士登録
昭和58年4月   青森県弁護士会に登録換え
平成5年4月〜平成7年3月   青森県弁護士会会長
昭和52年4月〜56年3月   慶應義塾大学法学部講師
平成8年2月〜現在   弘前大学医学部講師
平成16年4月〜現在   慶應義塾大学法科大学院教授
平成4年〜現在   なみおか映画祭ディレクター
平成15年12月〜現在   NPO法人harappa理事長

・アートに入った理由
 法律という世界への異議申立。

・好きな作家5人ほど
 ジョン・フォード
 ハワード・ホークス
 エリック・ロメール
 マキノ雅弘
 フレッド・アステア(彼は、俳優、ダンサーと言われるが、まさに作家性を備えたクリエーターである)

 


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