topspecial[アートエッセイ/淺井裕介・狩野哲郎 二人展『ジカンノハナ -Time Blossoms-』/神奈川]
淺井裕介・狩野哲郎 二人展『ジカンノハナ -Time Blossoms-』


ジカンノハナ展
TEXT 福田末度加/u-nit

記憶そのものに(おどろくべき奇跡が起こって)でてきたレポート。
ジカンノハナ展スタッフ・福田末度加/u-nit

引用文:ミヒャエル・エンデ・作 大島かおり・訳 「モモ」より

<致死的退屈症>
「いいか、宇宙には、ある特別な瞬間というものがときどきあるのだ。
それはね、あらゆる物体も生物も、はるか天空のかなたの星々にいたるまで、まったく一回きりしか起こりえないようなやり方で、たがいに働きあうような瞬間のことだ。
そういうときには、あとにもさきにもありえないような自体が起こることになるんだよ。」
マイスター・ゼクンドゥス・ミヌティウス・ホラ
致死的退屈症(※)に犯されかけているヒトは、少なくありません。
生きている意味、活きている意味。
私達は不安定な現代に生き、不安定な心を抱えています。

「モモ」の物語の中にはこんなくだりがあります。
マイスター・ホラの家で、モモが自分の心の中の「時間の花」を見たときに圧倒され、こうささやくのです。
「人間の時間があんなに」「大きいなんて」
モモが感じた、<おそろしさよりも、もっともっと大きななにか>に対する不安感、
それは誰もが漠然と抱える「いずれは死すべき存在であること」に対する不安感です。

致死的退屈症、致死的不安症から救われるために、宗教や、薬物や、死以外に、第三の選択としてアートというものがあるのだとしたら。

「モモ」の物語の中の時間を象徴する事柄はいくつかありますが、そのひとつが「遊ぶ」ことです。
時間を盗まれた人々は、「遊ぶ」事ができなくなってしまいます。

「ジカンノハナ展」は遊ぶこと・・・極めて真剣に、遊ぶこと。それを大いに行った展覧会といえます。
それがつまるところ(かつてカイヨワも言った事があります)「芸術」そのものなのでしょう。

そしてこの展覧会が「ある特別な瞬間」を孕みながら成功したのは、作家、淺井裕介、狩野哲郎、キュレーター田多知子の感性が「たがいに働きあうような瞬間」を持ち得たことなにより、「遊ぶこと」の天才だったこと、さらには彼らを取り巻くスタッフ、アーティスト、地域、観客が「たがいに働きあうような瞬間」を持ち得たからに他なりません。

モモは自分のみた美しい時間の花の事を、みんなに語って聞かせてあげたくて堪らなくなります。
そして、時と言葉が熟したとき、記憶そのものに驚くべき奇跡が起こって、その花の事を語れるようになります。

展覧会の概要、時系列の変化の記録、イベントの事等は、「ジカンオハナブログ」に詳しく記録されています。
当レポートは、一人のスタッフとして観客として見た「ジカンノハナ」の事を、誰かに語って聞かせたくてたまらず、「その記憶そのものに驚くべき奇跡が起こって出てくる言葉」です。

※ 致死的退屈症
「モモ」に登場する架空の病気。症状:慢性的な空虚感、抑鬱気分、絶望感、感情不安定、社会的関係への関心のなさ、情緒的な冷たさ。

※この記事の写真はすべて「(C)ジカンノハナ実行委員会」



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淺井裕介・狩野哲郎 二人展『ジカンノハナ -Time Blossoms-』
2009年11月6日(木)〜28日(土)

黄金スタジオ、LCAMP、大平荘 他(横浜市中区)

ジカンノハナ展ブログ
http://d.hatena.ne.jp/jikannohana/
淺井裕介
http://d.hatena.ne.jp/asaiyusuke/
狩野哲郎
http://www.tkano.com/
田多知子
http://www.mni.ne.jp/~tada/rin/index.html
 
著者のプロフィールや、近況など。

u-nit
メンバーを固定せず、アイデア、プロジェクトを編成を変えながらオーガナイズしてゆくUntituled(無題の)アートユニット。peererには随筆ユニットとして寄稿。
http://untituled.web.fc2.com/

福田末度加(ふくだまどか)
女子美術大学卒業。
http://48699684.web.fc2.com/

藤江寛司(ふじえひろし)
1983年北海道生まれ
国分寺在住





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