topreviews[『Hiroshima Art Document 2011』/広島]
『Hiroshima Art Document 2011』
記憶の保管庫の中で、記憶の不在と顕在について問う
TEXT 高嶋慈
旧日本銀行広島支店の金庫室


会場となった旧日本銀行広島支店の外観
広島という都市は、既にその名の内に一つの記憶を拭いがたく刻印されている。
その記憶の証人である「被爆建物」の一つ、旧日本銀行広島支店を会場とする現代美術の国際的なグループ展『Hiroshima Art Document 2011』が開催された。同展は、インディペンデント・キュレーターの伊藤由紀子氏によって、1994年から毎夏開催されているアニュアル企画であり、今回は18回目になる。会場となった旧日本銀行広島支店は、1936年(昭和11年)に建てられた建築物であり、爆心地からわずか380mという距離にありながら、非常に堅固に造られていため、建築当時の外観をほぼとどめており、広島市指定重要文化財になっている。正面に4本の角柱の装飾が施された重厚な建物の内部は、元銀行としての歴史を物語り、窓口のカウンターや天井の高いホールの開放感、そして地下に降りると金庫室の密室感や分厚い扉がもたらす圧迫感が待ち受ける。特異な空間性と歴史性を湛えたこの場所で、作家たちはどのような表現を見せてくれるのだろうか。


堀尾充《Zoetrope 2011》

鈴木たかし《カラーフィールド》

パトリック・ボック《西の海》

堀尾充、パトリック・ボック、鈴木たかしの3名の出品作は、「イメージと運動」「絵画/映像」への言及という点で本展の一つの基底をなしていた。堀尾充の制作した「ゾエトロープ(Zoetrope)」とは、連続する静止画が内側に描かれた円筒を回転させ、スリットからのぞくとイメージが動いているような視覚経験が得られる、19世紀に発明された装置である。堀尾の作品の場合、装置を動かす動力を電気に頼らず、円筒下部のタイヤを観客が回して人力で行う点がミソである。同様にタイヤを回して回転する影絵を壁に映し出す、幻想的な装置も出品されていた。
鈴木たかしの《カラーフィールド》は、幾何学的な画面構成と限定された色彩の組み合わせが抽象絵画を思わせるが、音楽と同調するかのように色面の境界線が水平/垂直に移動し、様々な色の帯で画面が分割されていくアニメーション作品である。一方、パトリック・ボックの《西の海》では、スクリーンに投影されたイメージはほとんど不動で、一見するとざらついた質感の風景写真か淡い水彩画を思わせるが、画面を凝視するうちに、風でかすかに揺れる波に気づく。思わず魅入ってしまうその静謐な美しさは、映像と静止画、絵画と写真の境界を曖昧に揺るがせる力を宿している。


ガッサン・ハルワニ《The Missing Memory》



ガッサン・ハルワニ《The Missing Memory》

建物自体が記憶の保管庫と言うべき空間の中で、さらに地下の金庫室というロケーションでの展示が作品と最も共鳴していたのが、レバノン出身のガッサン・ハルワニの《The Missing Memory》である。
作品は、寓話的な2つのテクストに、写真やイラストが添えられて構成されている。まず「序文」では、語り手の滞在したある国での奇妙な出来事が語られる。その国の人々は集団的な記憶喪失と不死への信仰という共通点を持っていた。ある日、無数の人骨が発見されるが、彼らは「自分の国の30年前の状況を知らない」ため、大量死の原因を特定することができない。科学者たちが人骨の分析を試みるも、骨はバターのように溶け、強烈な塩辛い味がすることが分かっただけである。
一方、もう一つのテクストは、「第1章」と「第2章」が不在のまま、いきなり「第3章」へと飛ぶ。ガラスケースに収められたノートには、手書きのテクストと男のポートレートが描かれている。「第3章」で語り手は、「何百枚ものちぎれたポスターが一面に貼り付けてある壁」のそばを通りかかる。時間の堆積を象徴するかのごとく、びっしりと積み重なったポスター。ふと、その中の一枚の顔写真の断片が語り手の注意を引く。そして、写された男の顔を復元する試みが綴られる。口髭と顎と耳の一部しか残っていない顔写真に、頬や目、髪を描き加え、顔の上半分が完成したとき、そのイメージにそっくりな男が語り手の前に現れたことが最後に報告される。だが、この男が本物なのか、語り手が創り出した存在なのかは疑問に付されたまま、語りはここで閉じられる。
「序文」で語られた、「30年以上前のものと思われる、大量の人骨の発見」の挿話は、複雑な宗教構成を抱える、作家の母国レバノンの内戦とイスラエルによる侵攻を暗示していると思われる。だがここでより重要なのは、語られた出来事を特定の場所に限定させ、「かの地」の悲劇へと帰着させることよりも、ハルワニの寓話的な語りがある種の普遍化の作用を帯びている点である。住民が「集団的な記憶喪失」であるため、人骨が誰であるかも大量死の原因も不明であるという寓話的なエピソードは、戦禍による大量殺戮の痕跡だけでなく、人々がかつて「生きていた」存在を証立てるものや生を営んでいた共同体の存在自体がことごとく抹消され、彼らの生の痕跡を復元する手立てが不可能に近い「記憶の空白」という事態を指し示している。
また、「第3章」で登場する「何百枚ものちぎれたポスターが一面に貼り付けてある壁」は、戦禍で行方不明になった家族や友人の顔写真を貼り出して人々が情報を求めた壁を想起させる。「第3章」のテクストの傍らには、行方不明の男性の顔写真をいかにも語り手が復元したことの証拠であるかのように写真が添えられており、事実とフィクションの境界を曖昧に揺るがせるが、これは実際の試みの「記録」ではなく、おそらく作家による「再現」という虚構の一環である。だがハルワニは、ドキュメントの真正性をあえて宙吊りにし、忘却された記憶の復元の試みが成功したか否かの成否を曖昧にすることで、そのような記憶の復元の試みの困難さそのものを提示している。同時にまた、傷口のかさぶたを剥がすように、敗れたボロボロの紙片の下から「発見」され「復元」された男の像を提示するハルワニの身振りは、時間の堆積の中に塗り込められ、忘却されたかにみえる記憶が、皮膜一枚を隔てた所に確かに「存在する」ことを寡黙ながらに告げている。それ自体不完全な書物として提示される《The Missing Memory》は、フィクションの力を借りてそのような亡霊的な記憶を呼び込む装置であり、記憶を回復しようとするナラティヴが内部に欠片を抱え込まざるをえないことを自己言及的に露呈させながらも、集団的に喪失された記憶を復元することへの希求とその困難さについて同時に語ろうとする、すぐれた寓話となっている。


笹岡啓子 展示風景

ある記憶と歴史性が分かち難く刻印された場所で、写されたものを表象へと転換/回収させてしまう力に抗いながら、場所と記憶のコノテーションの充満からの逃走線を引くことは可能か?この困難な問いが、笹岡啓子の写真作品《PARK CITY》の強度を支えている。
旧日本銀行広島支店のメインホールをぐるりと取り囲む壁際に、また何本もの柱の四面に展示されたモノクロ写真。広いホール空間を歩き回りながら、一枚一枚に目をとめていく行為は、どこか都市の散策に似ている。写真家の歩みもまた、川沿いのごく平凡な都市風景の中を、ゆっくりと、だが着実に歩を進めていく。朝の通勤路を行き交う人々。ひと気のない白昼のビルの谷間。橋の欄干越しに見える空には高層ビルの姿もなく、ただ茫漠とした広がりがあるばかりだ。やがて画面はこの白々とした広がりを反転させたかのように、塗り込めたような夜の闇で覆われることになる。ぽつんと佇む街頭の灯りの下、夜の公園を通り過ぎる人。だがそれはざらついた粒子の質感がいざなう淫靡な闇ではなく、どこか硬質で無機質な印象を与える黒である。
一方、反対側の壁に並べられた写真には、ある不穏さをかきたてるイメージが写り込んでいる。展示パネルやモニターを眺める人々の視線の先には、火傷で負傷した人々の姿、焼け野原になった都市、そして小さくキノコ雲のイメージも認められるのだ。


笹岡啓子《PARK CITY》

笹岡啓子《PARK CITY》

笹岡啓子《PARK CITY》

笹岡啓子《PARK CITY》

同名の写真集も出版されている《PARK CITY》は、広島出身の笹岡が、故郷である広島という「公園都市」を撮影したものである。だが、「広島を撮った写真」に対して見る者が抱いてしまうある種の期待感は裏切られることになる。都市の緑化や景観整備といった人工的な要請ではなく、核の巨大な破壊力によって一瞬にして形成された吹き曝しの土地を、メモリアルのための公園として整備すること。平和記念公園を夜間に撮影した笹岡の写真は、都市の中にぽっかりと空いた空白地帯としての公園の空虚な明るい広がりの代わりに、不可視の闇を充填させる。そこでは、原爆ドームや平和記念資料館の建物、慰霊碑や彫刻像といった、「記憶」を代理=表象するモニュメントは闇の中に没し、物理的存在としてはその場に「ある」にもかかわらず、「見えなくなってしまう」のである。
追悼の記念式典のために大勢が集う一日の他は、そしてとりわけ夜間は、このようにがらんとした捉えどころのない空間がただ広がっていること。その捉えどころのなさはまた、これまで幾度となく表象化が積み重ねられてきた「ヒロシマ」に対し、どのように内在化すればよいのかという問いに直面した困難そのものでもある。その困難の凝視。笹岡の眼差しは、「ヒロシマ」を特権化する写真家の視線でもなく、広島を訪れる観光客の外部からの眼差しでも、内部に住まう住民のそれでもなく、冷静な観察者に徹している。広島的なアイコンが闇の中に姿を消した川べりを撮影し、川面に反映する街灯の孤独な光を捉えた笹岡の静謐な写真は、ただただ美しい。だがそれはまた、「記憶」の「継承」がいかに外部の視覚装置によって形成されているか、そのメカニズムに対する逆説的な問い直しでもある。

「広島を撮った写真」へのある種の期待感に対する笹岡の返答。その「ヒロシマ性」の不鮮明さは、意味を明白さと不明瞭さの間で宙吊りにし、見る者を単純に納得させない、不安定な状態に置く。そこでは、「広島」という地名を冠せられなければ(実際、作品集のタイトルにはどこにも「広島」の文字はない)、どこの地方都市ともつかない平凡で匿名的な都市の光景と、暗闇に没した公園の虚無的な空間の拡がりが提示されるのだ。笹岡は、「ヒロシマ」を記録する特権的な写真家として自らを登録する代わりに、広島という一地方都市の凡庸さと特異性の相貌を浮かび上がらせる。


笹岡啓子 スライド上映の様子

「ヒロシマ」に対するそうした捉えどころのない不安定な感覚は、平和記念資料館の展示室内部を撮影した写真においても共通している。展示された写真パネルは画面のフレーム外へと分断され、あるいは照明が表面に反射し、展示物のイメージは完全な像を結ぶことなく、遮断や欠損を抱えた状態で提示される。そうした被写体自体の「見にくさ」や不鮮明さ。笹岡の写真では、展示物のイメージを反復・再生産するのではなく、「ある物体や写真がキャプションによって規定され、ガラスの壁や結界によって観客から隔てられつつ、観客の眼差しに晒されている」という構造自体が提示されている。展示物を観客から身体的に隔てると同時に眼差すよう要請する、展示という近代的装置の孕む二重性。観客は展示物が受けた暴力から安全に距離を置き、ただ視線による享受を行えばよいのだ。そうした展示構造に対する笹岡の注視はまた、被爆に晒された物体が、さらに観客の眼差しに晒されているという、二重に「晒された」状態についての気づきを促すものでもある。
また笹岡の写真では、被爆の被害を「物」として直接的に伝える一次資料ではなく、写真パネルや映像を映すモニターがしばしば撮影対象となる。それらは、画中画としての入れ子構造を作りだすとともに、それを眺める観客の姿が画面に写し込まれることで、一瞬の破壊によって凝結した過去の時間とそれを見る現在の観客に流れる時間という、時間の入れ子構造が生起する。こうした広島をめぐる時間の多層性への言及は、別室で上映されていたスライド作品においても一つの焦点となっていた。
平和記念公園の芝生で遊ぶ子供たちを写した、カラーの家族写真。ボーイスカウトの子供たちが参加した記念行事の様子のスナップ。笹岡によれば、これらが撮影された80年代頃の当時は、まだ平和記念公園の芝生が一般に開放されており、休日には家族連れでにぎわっていたという。こうした笹岡自身や広島出身の知人の幼少期の記念写真に加え、《PARK CITY》に収録された写真、そして被爆当時の市街の記録写真を複写したものが加わり、複数のソースに由来するイメージが次々とプロジェクションされ、カラーとモノクロ、私的な記憶と被爆の記録、隔てられた過去と追憶可能な過去、そして現在の広島の光景が混じり合い、広島という都市をめぐる時間が重層化していく。時を刻むように、一定の間隔で刻まれる、カシャッというスライドの切り替わる音。つかの間の暗転。そこでは、8月6日という日付への集約と、そこから逸脱しようとする力がせめぎ合い、目眩を起こさせるような磁場が形成されていた。

《PARK CITY》における笹岡の写真的営為は、空間的には都市の中の空白地帯である公園/「ヒロシマ」の表象で満たされた場所に、不可視の闇を充填させることで、「記憶」を代理=表象するモニュメントが物体としては「そこにある」のに、見る者の眼差しを受け止める対象としては顕前しない、「ある」のに「ない」という二重化された存在として立ち上がらせる。それは、今も不可視のままたたずむ死者たちの擬態として機能している、というのではない。視覚装置や言語化によって名づけようのないものを管理・外部化し、ナショナルな共同体として統合しようとする、「記憶」を代理=表象するモニュメ ント。笹岡の写真は、それらを眼差しの対象として現前させないことで、真の服喪へと至る可能性を求めているのかもしれない。笹岡の写真は、「ヒロシマ」の表象に対する批評であると同時に、写されたものを表象として切り取り、意味を固定化しようとする写真というメディアに対しての、抗いでもある。両者の結節点としてある笹岡の写真はまた、広島をめぐる空間と時間を1点に集約させるのではなく複数の層に分断させていく。
ここで、《PARK CITY》というタイトルに込められた二重の含意を見落としてはならないだろう。それは「広大な公園を抱えた都市である広島」を指すとともに、「現在、公園になっている中洲の空間には、かつて一つ の町が繁栄していた」という事実も指し示している。現在の市街の中に包含されている公園/公園の中にかつてあった町、つまり時間的・空間的に二重、三重の入れ子構造が示唆されているのだ。《PARK CITY》は、広島という都市に堆積した時間の層と、空間的に形成された地勢をともに掘り起こし、照射しようとする試みなのである。 そうした笹岡の試みを、戦前のモダンな都市の姿と被爆の傷痕とを伝える役目を帯びて生きながらえた建物の中で鑑賞できたことは、かえがたい貴重な経験となった。


『Hiroshima Art Document 2011』
2011年9月2日〜15日
旧日本銀行広島支店(広島市)


出品作家
パトリック・ボック(Patrick Bock)、ガッサン・ハルワニ(Ghassan Halwani)、クリスチャン・メルリオ(Christian Merlhiot)、堀尾充、笹岡啓子、鈴木たかし

 
著者のプロフィールや、近況など。

高嶋慈(たかしまめぐみ)

1983年大阪府生まれ。
京都大学大学院在籍。『明倫art』(京都芸術センター発行紙)にて隔月で展評を執筆。関西をベースに発信していきます。

笹岡啓子さんの写真との出会いは、昨年秋に上演されたマレビトの会『HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会』の公演のチラシに使用されていた、『PARK CITY』の中の一枚でした。焼け野原となった都市を写した写真パネルの前でのぞきこむ女子生徒たち。後ろ向きの頭部は黒々としたパネルと溶け合うかのように判別不可能で、身体の一部もフレームの外に分断された彼女たちの方が、実体を欠いた亡霊的な存在にも見えてきます。マレビトの会の作品は、広島の表象、近代的な展示の制度、「見ること」が孕む暴力性など、様々な問題についての議論を喚起するものでした。『HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会』のレビュー(2010年12月号)はこちら





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