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Domain of Art 5-Antenna展 ウツ世ノ祝宴 〜 Utsuyo no shuen
オープニングイベント「ジャッピーのみこしパレード」

思想の喪失、そして幸福の価値について
TEXT 横永匡史

7月25日午後4時30分。プラザノースのロビーの一角で、賑やかな歓声があがった。
プラザノースは、展覧会などが行われるギャラリーの他、区役所、図書館、ホールなどの機能を併せ持つ複合施設であり、休日に多くの人が訪れる中でも、落ち着いた雰囲気を漂わせている。
そんな中、展覧会のオープニングイベント「ジャッピーのみこしパレード」が行われた。
神輿の台座の上に、Antennaが展開する「YAMATOPIA PROJECT」のマスコットキャラクターであるジャッピーが鎮座し、その周囲をハッピを着た一団が笛やラッパを鳴らして練り歩く。
最初は遠巻きに眺めていた子ども達も、次第に一団の中に加わり、ロビーはひとときの“ハレ”の空間に変わった。

 
《常世ウツシ》(一部拡大)


《ウツ世ノ門》(表面:一部拡大)

 
《日出ズル天ノ蓋》(一部拡大)

《ウツ世ノ門》(裏面:一部拡大)

Antennaは、田中英行、市村恵介、古川きくみの3名によって構成され、京都を拠点に活動しているアーティストグループで、メンバー各々が映像、立体、ペインティング、建築、デザイン等ジャンルを超え横断的に関わり、その可能性によって生み出される新たな表現を目指している。
彼らが展開する「YAMATOPIA PROJECT」、それは、彼らの自主制作映画である『囿圜 yu-en』の作品中の世界「ヤマトピア」が下敷きとなっている。
その世界観は、今回展示されている《祠テレビ》でも表現されているが、日本をテーマとしてつくられた架空のテーマパークであり、ジャッピーは、その「ヤマトピア」のマスコットキャラクターとして設定された。

かつてのAntennaの展示は、その世界観をいかに鑑賞者に伝え、鑑賞者を「ヤマトピア」の世界に引き込むかに重点が置かれていた。
2006年に開催された個展「ジャッピー来臨」のレビューにおいて、筆者は「それにしても驚かされるのは、ジャッピーを中心とした『囿圜 yu-en』の世界が持つ、僕らをひきつける力の強さだ。」と書いた。
詳細はレビューを読んでいただきたいが、ジャッピーを入口に配置して鑑賞者の興味を引いたり、展示室内にヤマトピアの世界を作りこむようなインスタレーション、大画面の映像作品など、ヤマトピアの世界を展示室内に作り出し、鑑賞者に体感させるような展示を行っていた。

しかしその後、Antennaの展示は変化を見せる。ヤマトピアをベースとしつつ、そこから現在の日本社会を切り取るような作品が目立つようになってくるのだ。
例えば、2008年の個展「トコ世ノシロウツシ」に初めて発表され、今回も展示されている《常世ウツシ》であるが、格子状に組んだ角材に100円ショップで売られている日用雑貨や玩具などを、分野をクロスオーバーさせて組み合わせて、現代の混沌とした日本社会を曼荼羅として表現している。
そこから立ち上がってくるのは、ヤマトピアの世界としてではなく、現実の日本社会のリアリティだ。
Antennaのメンバーの一人である田中英行によれば、展覧会を、私たちの日常である“ケ”の延長線上にある“ハレ”の場として位置づけているのだという。
果たして今回の展示も、そうした方向性の変化に沿った展示となった。


《ウツ世ノ門》(表面)


《ウツ世ノ門》(裏面)

 
《マツリヤタイ》


《ジャッピー神輿》


《ジャッピー連面立札》


《常世ウツシ》


《日出ズル天ノ蓋》


《日出ズル富士ノ神極普通涅槃絵図》


ジャッピーしあわせぷろじぇくと『みんなのしあわせ展覧会』展示風景
プラザノースのギャラリーに入ると、ギャラリーの横幅一杯に広がる大きな門が目に入る。
この《ウツ世ノ門》は、角材を格子状に組み上げた中に、くす球やクラッカー、祝儀袋など、祝祭をイメージさせるものが設置され、鑑賞者を“ハレ”の場へ誘う。
そして、門をくぐると、《マツリヤタイ》と《ジャッピー神輿》《ジャッピー連面立札》が並び、祝祭ムードは更に高まる。ジャッピー自体の黄色い色調とともに、作品も木や金など同系色が多用されており、室内のライティングとも相まって、空間全体を華やかに彩っている。

さらにその奥には、《常世ウツシ》《日出ズル天ノ蓋》《現代御札都市巡幸》など、現代日本の日常生活との関連を強く感じさせる作品が並ぶ。展示室突き当たりのガラスケースの中に展示された《日出ズル富士ノ神極普通涅槃絵図》も、よく観ると、宗教的な要素に混じって、飛行機や車など、現代的な要素が散りばめられている。

このように、今回の展示は、現代日本の日常生活である“ケ”と、非日常の祝祭である“ハレ”を結びつけるようなものとなった。
しかし、その展示を観ると、祝祭がもつ光の側面とともに、それとは対照的である関係性の歪みや空虚さといった影の側面を感じずにはいられない。

そもそも、神輿や屋台に象徴される祝祭としての“ハレ”は、その時代の人々の日常生活である“ケ”の中で生み出されたものであり、その意味で、“ハレ”と“ケ”は互いに密接に結びついていたと考えられる。
それが、時が経つにつれ、様式としての“ハレ”は伝統として継承される一方で、“ケ”は大きく変化していき、“ハレ”の土台となっていた思想は失われていった。

Antennaの作品は、そうしたいわば“思想の喪失”というべきものをより強く意識したものになっているのだ。
例えば《マツリヤタイ》は、もともとヤマトピアの世界を鑑賞者に体感させるために作られた作品であり、屋台の中は、神になぞらえたジャッピーの像で埋め尽くされていたのだが、今回の展示では、それらはきれいに取り払われ、代わりに塩が盛られてあった。
また、《日出ズル富士ノ神極普通涅槃絵図》では、現代の日本社会を想起させるようなモチーフとともに、様々な宗教の要素を混沌の中に盛り込み、現代日本における神の不在、信仰の不在をイメージさせている。
そして、《日出ズル天ノ蓋》は、格子の中に100円ショップで買い集められた日用品が組み合わされている。あらゆるモノが100円で買うことのできる100円ショップに象徴されるデフレーションは、確かに消費者にとっては便利だが、その一方で、モノの有り難味や価値を喪失させてしまった。日用品と組み合わされている菊花やカラスのモビールなどは、そうした大量生産・大量消費社会の行き詰まりを暗示するような不穏な雰囲気を醸し出している。

そうして、喪失感、空虚感を感じつつ展示室入口近くの《ウツ世ノ門》へ戻ってくると、入ってきたときのイメージとは一変し、《ウツ世ノ門》は、香典袋や菊花、黒ネクタイなど、弔事をイメージさせるもので埋められている。そこで鑑賞者は、“ハレ”としての祝宴もいつかは終わりが来ること、そして、ここまでの展示が、現代の日本社会とともに、私たち自身をも表していることに気づく。

日常生活においては、宗教を特に意識することなく生活していながら、都合のいい時だけ仏や神にすがること。
社会構造の変化の中で、既存の価値観が大きく揺らいでいる中、何を拠りどころとすべきかを見失っている日本人。

Antennaの展示は、現代の日本社会イコール“ウツ世”を表現していながら、そこで生きる私たち日本人の精神性をも表現している。

そして、《ウツ世ノ門》をくぐると、正面に《ウツ世ノ祝宴》と対峙することとなる。
この《ウツ世ノ祝宴》は、一面を漆で塗られた漆黒のパネルが、社の形をした額で囲われている。
かつてのAntennaの展示では、同じ形の額の中に『囿圜 yu-en』の世界を表現した映像を映し、鑑賞者の目をひきつけたのだが、それとはあまりに対照的だ。
漆黒のパネルは、ゆらゆらとおぼろげに光る展示と鑑賞者自身を、静かに映し出す。それは、平穏な日常が繰り返される中で、その表層の中にあるべき真理が失われた現代の日本と日本人とを映し出す鏡なのだ。

田中は、Antennaの作品を“カラノウツワ”という言葉で表している。伝統を受け継ぎながらも、その中の真理が失われたもの。Antennaは、それをあえて作品として提示することで、鑑賞者に、その“ウツワ”の中に元来備わっていたはずの真理を意識させる。
そして、今回の展示において、その真理は「幸福」であった。

今回の展示に合わせて、プラザノース内のユーモアスクエアにて、「ジャッピーしあわせぷろじぇくと『みんなのしあわせ展覧会』」が開催された。
これは、一般の人に、書いてもらった「しあわせひとこと」を、Antennaの作品《現代御札都市》とともに展示するものだ。
寄せられた「しあわせひとこと」は、「すきな人としゅっせき番号が同じこと」といった微笑ましいものから、「あなたのしあわせは私のしあわせでもある」といったはっとさせられるものまで様々だが、大半のものに共通しているのは、日常の中のささやかな幸福を書いていることだ。
そうした「しあわせひとこと」が、Antennaの《現代御札都市》と並ぶ様は、実に対照的だ。
現代社会においては、大半のものは貨幣によって価値を置き換えることが可能であるが、そんな中でも、多くの人が幸福と感じているものは、そうした貨幣価値で推し量ることのできないpricelessなものなのだ。
そうしたpricelessな幸福が、貨幣でかたどられた都市とともに展示されることで、現代社会の空虚さと、そうした中のささやかな幸福の価値とが共に強調されているように感じる。


 鑑賞者から寄せられた「しあわせひとこと」(一部)

 
《ウツ世ノ祝宴》
人の幸福とは、おぼろげで儚いものなのかもしれない。ちょうど、この作品タイトルであり、展覧会のタイトルにもなっている《ウツ世ノ祝宴》に映る“現世”がそうであるように。

幸福はとこしえのものではなく、いつかは終わりを迎える。しかし、そうした幸福を求める人々の想いは、他の人に、そして次の世代へと受け継がれていく。
ギャラリーでの展示と、ユーモアスクエアでの『みんなのしあわせ展覧会』の展示、2つの展示は、移ろいゆく現世の中でささやかな幸福を求める想いが連鎖していくこと、そのことの価値を示している。

そして、さらに言うならば、前述した“思想の喪失”は、何も伝統文化とか祝祭とかに限らない。私たちの日常生活を振り返ってみれば、形式だけを追い求めて、本来の意味であったり、そこに込められていた思想であったりを見失うことの如何に多いことか。
今回の展示は、そのことを、自らが作り出した架空の世界の殻を破って、鑑賞者の想いや日常生活を自らの展示に取り込んだ上で表現している。その意味で、Antennaの成長を確かに示した展示だったということができるだろう。


展示風景

Domain of Art 5-Antenna展 ウツ世ノ祝宴 〜 Utsuyo no shuen
2010年7月25日〜8月15日

プラザノース ノースギャラリー3〜7(埼玉県さいたま市)

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reviews/Antenna「ジャッピー来臨 -Advent of Jappy-」 
 
著者プロフィールや、近況など。

横永匡史(よこながただし)

1972年栃木県生まれ。
2002年の「とかち国際現代アート展『デメーテル』」を見て現代美術に興味を持つ。
現在は、故郷で働きながら、合間を見て美術館やギャラリーに通う日々。




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