topreviews[Antenna「ジャッピー来臨 -Advent of Jappy-」/千葉]
Antenna「ジャッピー来臨 -Advent of Jappy-」

 
 
ジャッピー
 
2階展示風景
 
「ジャッピーお面」
 
「ジャッピー来臨」
 
「圜」
 
 
2階展示風景
 
 
「ジャッピー曼荼羅」
 
取手アートプロジェクト2006での展示「日出ヅル富士ノ神 立体来迎図」
 
「ジャッピー来迎図」
 
「マツリヤタイ」を2階から俯瞰したところ
 
「マツリヤタイ」
 
 
「マツリヤタイ」内部

現実と結びつく“世界”の強度

TEXT 横永匡史

住宅街の中にあるギャラリーの扉を開けると、“それ”はいきなり現れた。
大きな耳にふっくらした頬、ぱっちりした目、そして胸から下に大きく描かれた富士山。
日本の伝統文化保全のためにつくられた架空のテーマパーク「ヤマトピア」のマスコットとして生み出された“それ”ジャッピーは、なるほど誰もが親近感を抱くような愛らしさを有している。
だがちょっと奥に進むと、今度はそのジャッピーの顔が、神社の本殿を思わせる屋台「マツリヤタイ」の屋根に取り付けられているではないか。さらにその屋台の中を覗いてみると、両脇の壁にはたくさんのジャッピーの像が並ぶ中、両手を広げたジャッピーがご本尊として祭られている。
入口のところではいかにもマスコット然としていたジャッピーが、今度は神様として崇拝の対象となっている、そのあまりのギャップに笑いがこみ上げてくる。

この展覧会「ジャッピー来臨 -Advent of Jappy-」は、京都を拠点に活動しているアートユニットであるAntennaが製作している長編映像作品「囿圜 yu-en」の世界観を形にしたものであるといえる。
「囿圜 yu-en」は、前述の「ヤマトピア」ができた200年後の未来を舞台としている。
「ヤマトピア」は廃墟となり、さらに地震によって周囲から隔絶された陸の孤島と化しているが、その中で人はそのまま住み続け、その間にジャッピーは住む人々の間で神格化されて崇め奉られている、という設定になっている。
確かに「マツリヤタイ」を観ていると、最初はミスマッチのように思えたジャッピーがだんだん神様のようにも見えてきてしまうから不思議だ。

そしてそういった感覚は、ギャラリーの2階に登ると一層鮮明になってくる。
2階に登ってすぐの展示室には、壁一面にジャッピーのお面が並べられた中、「ジャッピー来臨」「圜」の2つの映像作品が映し出されている。
「ジャッピー来臨」は、神格化されたジャッピーを奉る一連の儀式を表現したものだが、ほとんどの登場人物がジャッピーのお面をかぶっているという、その世界観を強烈に印象付ける映像になっている。そして「圜」は、「ヤマトピア」内部を思わせる景色が延々と遠ざかり続ける映像になっている。
そして奥の部屋へとつながる回廊は、両側に漆塗りのジャッピーの像が並び、突き当たりに「ジャッピー曼荼羅」が展示されている。板張りの天井には赤いちょうちんが下げられ、まるで「ジャッピー曼荼羅」がご本尊で、回廊がそこへと続く参道のように思えてくる。
そしてそれらを観ているうちに、だんだん僕自身が「ヤマトピア」の世界に飲み込まれていくのを感じ、「ヤマトピア」に迷い込んだ「囿圜 yu-en」の主人公と重なり合っていくのだ。

それにしても驚かされるのは、ジャッピーを中心とした「囿圜 yu-en」の世界が持つ、僕らをひきつける力の強さ、そしてその世界を具現化したそれぞれの作品の完成度の高さだ。
それには、見た目の奇抜さを陰で支える丹念な作り込みとAntennaのチームワークが土台にあるように思う。
例えば「マツリヤタイ」は、過去の神社などの建築様式を研究した上で、実際に飛騨高山で泊り込みをしながら制作された。また、Antennaは、映像やデザイン、彫刻などそれぞれに得意分野が異なるメンバーによって構成されている。メンバーはみな対等の関係で互いに意見を出し合い、実際の制作はそれぞれの能力を活かした分業スタイルなども取り入れて行われている。
こうしたグループワークの長所をうまく活かしていることが、作品世界の隅々まで目が行き届くことにつながり、作品としての強度を増す方向に作用していると感じる。

また、その世界観も、現代の時代性やAntennaメンバーの世代感覚を色濃く反映しているように感じる。
それには、昨年3月に大阪府立現代美術センターで開催されたAntennaとヤノベケンジとの共同展「森で会いましょう」をふり返るとわかりやすい。
この「森で会いましょう」展では、Antennaの「マツリヤタイ」とヤノベケンジの「森の映画館」を中心としたインスタレーションと、両者の世界観を重ね合わせた映像作品「「塔を登る男たち」などが展示され、両者の作品は互いに作用しあって濃密な世界を展示室内に作り出していたが、両者の方向性には明確な相違があるように思う。
ヤノベケンジは幼少期に大阪万博跡地で遊んでいた体験が「未来の廃墟」といったコンセプトにつながっていったことはよく知られるところではあるが、一方、Antennaの「囿圜 yu-en」においては、彼らの意識はあくまで過去に向けられているように感じられるのだ。
「ジャッピー曼荼羅」には、「囿圜 yu-en」の世界とあわせて戦争や大気汚染などに彩られた近現代の社会も描かれている。彼らは、日本が明治以降歩んできた近代化や西欧化の負の側面を敏感に感じ取るとともに、現代社会、そして未来が決して明るいものではないことを肌で感じているのではないだろうか。彼らのそうした意識と彼らが拠点とする京都という土地の特性が結びついた帰結が「囿圜 yu-en」なのだろうと感じる。
また、「ヤマトピア」という箱庭的な閉じられた世界設定や、そこを自らの手で廃墟化するという世界を俯瞰的に捉える視点などに、どこかロールプレイングゲームなどとの類似性を感じさせ、そうした点も世代感覚をよく表しているように思えた。

そんな彼らの「囿圜 yu-en」の世界は、昨年11月に取手で行われた「取手アートプロジェクト2006」で新たな展開を見せた。
このプロジェクトで、Antennaは尾崎泰弘とのコラボレーションによる展示を行ったのだが、それは、かつて汚水処理場として使われた旧戸頭終末処理場の巨大な煙突の傍らに、方舟に乗ったジャッピーが展示されたもので、さながら来迎図が実際に形をまとって具現化したかのようなリアリティをもって迫ってくる。
ここでは、ジャッピーは「日出ヅル富士ノ神」として終末処理場に降り立ち、最終日イベント「終末スペクタクル」にてクニ(ヤマトピア)へ帰っていくという設定だが、神々しい光をまとったジャッピーが方舟に乗る様は、僕たちの生活しているこの現実世界と「囿圜 yu-en」の世界がつながっているかのような、ひいては方舟が未来のかすかな希望を指し示しているような感覚をも覚える。
今回のTSCA KASHIWAでの展示でも、取手の展示を描いた「ジャッピー来迎図」が、1階の「マツリヤタイ」のインスタレーションを俯瞰できる2階奥の展示室で展示されており、それまでの閉塞感が強い展示空間が一気に開放的になるのとあいまって、新たな世界の広がりを感じさせた。

彼らの作品を観ていると、作品としての完成度もさることながら、ヤノベケンジや尾崎泰弘とのコラボレーションによって「囿圜 yu-en」の世界をより広げるといったように、自分たちの世界をどのように見せればよいかを心得ているように感じる。そうしたプロデュース能力の高さが新たな表現への扉を開く、そんな期待を抱かせた。

Antenna「ジャッピー来臨 -Advent of Jappy-」

TSCA KASHIWA(千葉県柏市)
2006年11月23日〜12月17日
 
著者プロフィールや、近況など。

横永匡史(よこながただし)

1972年栃木県生まれ。
2002年の「とかち国際現代アート展『デメーテル』」を見て現代美術に興味を持つ。
現在は、故郷で働きながら、合間を見て美術館やギャラリーに通う日々。




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