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mamoru  "etude for everyday objecs"

聞こえるものを見えるものにする
聞こえるものを読みものにする

TEXT 藤田千彩

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mamoruはサウンド・アーティストである。
サウンド・アートとひとことで言っても、幅が広いことはご承知の通り。
ミュージシャンでもなく、楽器演奏者でもない。
声や拍手だって音だし、音楽になりうる。
mamoruが追求していることは、そういった「音以上音以下」「音楽以上音楽以下」のもの、である。

今年に入ってmamoruはオーストリアへレジデンスしていた。
オーストリアといえば、音楽の都、という形容詞がつくほど音楽に近しい都市だと思われている。
「実際行くと、うちの名産は音楽です、音楽ありますよという田舎、だった」とmamoruは言う。
しかも彼が滞在したのは、現代音楽だけに限らない現代美術作家向けのホワイトキューブだった。
そのせいか、音は可視化したもの、立体物となった。
もちろん実際の音は見えないが、音を出すしくみ、それはオブジェと呼んでもいいだろうが、音を出すためのものは目に見えるようになっていた。

飛行機に持ち込めるサイズぎりぎりの、弦が張られた楽器みたいなもの。
息を吹くことで、唇と板の間の振動を利用して音が出るもの。
《etude》シリーズで使われる、ストローやラップフィルム、そして氷。
アンプとつなげて、手や足で機材を触りながら、録音したり、録音した音を繰り返したり、音の大小、重ね・・・。
絵画作品における絵具の盛りや色のように、mamoruが出す音は観客の耳に印象をつけていく。
それらが観客によって、快感かどうかは違うだろうし、求めている音かどうかも分からない。
集中する(あるいは集中させられる)ことで、会場に一体感が包んでいく。
mamoruのオーストリアの土産話でさえも、優しい音のように耳に入って行く。

mamoruが「滞在中に気に入った」という、オーストリアのヨーグルトの瓶にラップフィルムをつめ、耳にあてる。
ぴち、ぴち、ぴち。
つめたラップフィルムがふくらみを戻そうとする音が、かすかに聞こえる。
聞こえる音に、いろいろな想像がふくらむ。
やがて音自体だけでなく、他の音、隣の人の呼吸や組んだ足を組みかえる音でさえも、気になっていく。
聞こえること、気になること、聞いたこと、気にすること。
言葉遊びでは言い尽くせない感情がわきあがる。

もはやサウンド・アーティストmamoruの思うツボにはまっている私たち。
目に見えることがすべてでもなく、言葉にしたことがすべてでもない。
耳から知ること、分かることもある、ということを教えてくれた展覧会だった。

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