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山田純嗣インタビュー


山田純嗣の作品が白い理由


山田
絵は描かれたもの、対象だけではなく、その向こう側にあるものを想像することだと思うんです。
最近僕は高橋由一の《鮭》を用いましたが、鮭を見て「おいしそう」とかではなく、鮭から離れていろんなことを考える。
現実を見ながら現実ではないところへ目を向けることができる、考えがおよぶ、ということが美術だと思うし、僕の制作の根本のテーマなのです。


藤田
作品の色みが白、というのは何か理由があるのでしょうか。

山田
ずっとレディメイドなものを撮影して制作していました。
最初は李禹煥とかの「もの派」的な出会いの理論だったり、崇高さを感じさせないモチーフでリヒターの絵画のようなものをつくりたい、なんて思ってやっていたんです。
でもだんだん「なぜこの物を選んでいるのか」と考え始めたら、「自分には何もない」と思うようになり、モチーフに困りはじめました。
そこで「自分には何もないんだから」と開き直って、「何にもない」状態をモチーフにしよう、と。
単純に白い四角いキューブをつくり、そこに見えるか見えないかの白い線を加えるという作品をつくったことがきっかけです。



「(11-8) SALMON」

 
藤田
いつぐらいのことなのでしょうか。

山田
2001、2年くらい、大学院を出て助手をしていたころです。
色や形に理由や必然性を見いだせない、ということから、少ない要素で制作し始めたのです。

藤田
色はじゃまなものですか。

山田
いえ、色は使えるなら使いたいですが、なぜその色を使っているのかということを言えないうちは使えないんです。
僕や作品はゼロから突然、自力で生まれたというものではなく、美術史や周りの環境で形成されている存在だと思うのです。
自分ですべて描くのではなく既成のものにアプローチするという意味で写真を用いるし、石膏を滴らせてつくった模型をモチーフしたり、腐蝕銅版画を用いることで、自分じゃない要素を受け入れる。
全部自分がやりきることがはたして正しいのかと思うのです。

藤田
実はそういうタイプって、俺ラブで、自信家なのではないでしょうか。

山田
もちろん自分のことは好きです、個人の自分としては「自分はやれる」という自信がないといけません。
でも制作することは自分を前面に出すことではない、と思うんです。


藤田
そうなんですかね、、、。

山田
美術史を振り返ると、全部そうですよ。
過去の作品の何かと何かを組み合わせて次の作品が生み出されているのです。
その組み合わせに自分なりの考えを加えて、既成の価値観に刺激を与えていくことが作家の役割なのではないか、と思うのです。
僕自身、何かひとつの技術を極めた、とか、美術以外に没頭する世界があるわけではない、といったことが、制作の動機でもあるので、中途半端なものと中途半端なものを合わせて新しいものを生んでいるようにも感じています。


藤田
これらの作品は版画ですか、ペインティングですか。
私はずっとペインティングだと思ってました。

山田
制作方法は版画が主です。でもペインティングのような体裁になっています。


藤田
聞いてると、意外なことばかりな反面、結局何がしたいのか、これからの山田さんはどうなるのか、という気持ちになりました。

山田
最終的には「絵が描きたい」んです。
でも白いキャンバスに、絵筆をにぎって、ということに対して、まだためらいが出てできないんです。


藤田
なんでためらうんですか。

山田
白いキャンバスと筆が圧倒的すぎて。
まだ僕にはそこには行けません。

藤田
ええっ!!

山田
いまはそこに至るまでの修行中、絵を描くことができるまでのレッスンなのです。
絵というものを検証しつづけるために、最近は古典絵画を引用しているのです。

藤田
制作に時間も掛かりますよね。

山田
《快楽の園》は足掛け3年です。

藤田
すごい長い・・・。
無理しないように、これからもがんばってください。
今日はありがとうございました。

 
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