toppeople[稲垣智子インタビュー]
稲垣智子インタビュー
《最後のデザート》
2002年
インスタレーション
生菓子、特殊加工された花、
添加物、映像


藤田
まず、稲垣さんに演劇活動があったなんて!すごい意外です。

稲垣
そうなんですよ。
私も今では意外です。
演劇をやめた留学時代は、パフォーマンスを取り入れた作品が多かったのですが、この頃から同時にインスタレーションも制作し始めました。
日本帰国後はパフォーマンス部分が映像になってきて、今度は映像に自分自身を入れなくなってきて、今は人に出演してもらった映像のインスタレーションになってきています。

藤田
演劇がもつ「何かのふり」ということが、自分自身を客観的にとらえることができたのでしょうね。
作家活動というのはいつごろから始められたのでしょうか。


稲垣
留学時代から、特にパフォーマンスでフェスティバルやギャラリー等で活動をしました。

藤田
いろいろ試行錯誤されてるんですね(笑)。
そうして日本に戻ってきて・・・。
 
稲垣
日本帰国後はどうやって作品発表をしたらいいかわからなくて、大阪のギャラリーを回って面白いと思ったいくつかのギャラリーにポートフォリオをみてもらい、やりましょうと頼もしく答えてくれたCASで次の年の2002年に初個展。
そして同年神戸アートアニュアルにも参加しました。
その後もギャラリーや美術館で展覧会を行ない、最近はARCUSという茨城県にあるレジデンスで約5ヶ月間滞在制作しました。
今は群馬県立館林美術館の作品を制作中です。

藤田
ARCUSはどうでしたか?

稲垣
楽しかったですよ。
ア−ティストとスタッフのとても小さいコミュニティーの中で、アートを中心として生活し、会話することがよかったです。
アーティストのそれぞれ全く違う生活と制作方法が覗けるので刺激になったし、制作過程に作品について意見が聞けるのも勉強になりました。
美しい風景の残っている田舎で自転車がメインの交通手段の生活はゆったりしていて気持ちよかったです。
作品は実験的な作品や習作を制作しました。
ここでの経験はこれからじっくりにじみ出てくると思います。
今から思えば、アーティストが社会の一員として尊重されているように感じることができたほとんど初めての経験だったので重要な経験でした。

藤田
一見、順調そうに聞こえますが、苦労とかやはりあったのでしょうか?

稲垣
留学時代は発表したりすることに伴う努力をしたし苦労もしましたね。
その分楽しいこともありました。
帰国してからは苦労も楽しいことも平坦なように感じます。
そして苦労があっても健康的ではない気がします。
健康的な苦労があってもいいので、その分楽しいこともあるような世界にしたいですよね。


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別の時空間、人が入って進行していく舞台のような空間を創造したい。



健康的な苦労があってもいいので、その分楽しいこともあるような世界にしたいですよね。



文化や社会によって発展した、またはゆがめられた部分に興味がありますね。


 

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