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林勇気インタビュー


《overlap》(videostill )2010年、DVD、モニター

映像に対する「触覚」


高嶋
また、神戸での個展で同時に出品されていた、《overlap》も興味深い作品です。
現実のある場所を撮った映像を背景に、林さんの手や黒子のような小さな人物が動き回り、切り抜いた写真を舞台装置のように配置していく、複雑な構造の作品ですね。


この作品は、3つの層が入れ子状になって出来ています。ビデオで撮影した映像に映っているオブジェクト、僕の手が画面の中に配置していくオブジェクトの写真の切り抜き、画面の中の小さく映っている自分自身が押し運ぶオブジェクト、この3種が3層になっています。ここでは時間や記録が層になっています。


高嶋
このように、撮影された風景への介入や、映像の物質性への言及、つまり映像をモノとして捉える感覚は、若い世代の映像作家に共通してみられるのではないかと思います。映像の物質性というか、映像に触れたら、という願望についてはどうですか?


映像との距離感、ということを考えています。
例えば《the outline of everything》は、写真を切り抜く過程を可視化した作品です。オブジェクトの輪郭をなぞっている感覚です。


高嶋
アニメーションを制作される時には、マウスを動かして、パソコンの画面上でオブジェクトの輪郭をなぞって切り取られる訳ですが、その手の動きが、 映像の中では線の運動として可視化されているのですね。


僕の作品は、幻肢痛の感覚に近い、と言われたことがあります。怪我や病気で手足がなくなったのに、指先にかゆみや痛みの感覚があるというものです。
僕の場合、モニターの中の写真に触れている、という感覚です。映像との距離感というか、映像に対しての触覚があります。ファミコンだとコントローラーを通して、画面の中の映像作品に触れている、という感覚がありました。


高嶋
今日のお話を聞いていて、バーチャルとリアリティとが、はっきりと区別できない、境界線が明確に引けない、むしろバーチャルとリアリティはつながっている、という感覚があるのではないかと思いました。


一昔前の、いわゆる「バーチャルリアリティ」とは違う、「バーチャル」の捉え方があると思います。「バーチャル」とは全くの仮想の世界ではなくて、現実の延長という感覚です。ただしこうした感覚は、僕らくらいの世代に共通したもので、もう少し上の世代にはない感覚だと思います。


高嶋
バーチャルとリアリティの境界が曖昧だ、ということを言い換えると、物質と情報の間が曖昧になっているということだと思います。そこにはファミコンやインターネットなどにおける経験が影響していると思いますが。


そうしたメディアの登場が、作品にも反映されていると思います。



《the outline of everything : picnic in Takarazuka Garden Field》(videostill )2010年、ハイビジョンビデオ、プロジェクター

イメージを通してつながる


高嶋
最後に、2月18日から兵庫県立美術館で予定されている個展について伺いたいと思います。今回は、作品の素材として、一般の方から写真を公募し、 また映像作品の世界の中の住人(出演者)も募集すると聞いていますが、これは新しい試みですね?


今回は、集まった写真を通して、記録とか記憶の深い部分に入っていきたいと考えています。見知らぬ人が撮った写真を通してつながっているのではないか、深い部分でリンクしているのではないかと。


高嶋
イメージの集団性というか、我々は深い部分でイメージを共有しているということですね?


イメージを通したつながりというものを、あぶり出せたらと思って制作を進めています。なのでタイトルも《あること being/something》と名付けています。


高嶋
完成された作品を楽しみにしています。本日は個展の準備中でお忙しいところ、どうもありがとうございました。

インタビューを終えて
林勇気の映像作品は、制作方法じたいの面白さや、初期のファミコンを思わせる画面作りが魅力的であるが、「見知らぬ人が撮った写真を通してつながっているのではないか」「イメージを通したつながりというものを、あぶり出せたら」という試みについて伺う中で、同時に、我々の日常生活を取り巻く現代の視覚経験にも言及しているのではないかと思った。デジタルカメラやカメラ機能付き携帯電話の普及によって、写真撮影は日常的とさえいえる行為になり、膨大な量の画像を日々持ち歩き、加工し、誰かと共有することが当たり前になった現代。また、インターネット上にはおびただしい画像や動画があふれ、我々は無数の画像を日々生産すると同時に消費している。アノニマス、つまり誰が撮ったのかも分からない無数の画像に取り囲まれ、 映像が現実の中へと浸透しつつある現代は、リアリティが希薄化していると言えるかもしれない。
林作品は、そうしたリアリティの希薄化を、初期のTVゲームのようにフラットで匿名的な世界観で示すと同時に、匿名的であるからこそ、共有しているものがあるのではないか―匿名性の中に新たな可能性を見出そうとしている。兵庫県立美術館での個展で、どのような展開が見られるのか楽しみである。
 
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