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原井輝明インタビュー


その「光」の先


藤田
自分や他人の目を信用していないんですか?

原井
きちんと僕が描いても、見たフリで片付いてしまうのが嫌なんです。
ちゃんと見てくれている人もいるというのに。


藤田
それはあると思います。
すんなり見えるもの、うまく見えるものって、何も引っ掛からないですしね。
逆に色が塗ってあるだけでも、何だろうって思ってしまう。
もちろんリアリズムを追求してる人も抽象表現の人も多いなかで、作家によっても違っている。
作品だって、引っ掛かりがあるものとそうでないものがあるのですが。

原井
売れそうだから、かっこいいからというのはとても心外です。
作家の思いつきではない、切実で真摯であることは見る人に伝わる、と思うんです。


藤田
原井さんが求める本質って何ですか、「光」ではないでしょう?

原井
「光」、かもしれないですね。
ただ、その光というのは物質的なものに限らなくて、正しいこととか愛とかという意味も含まれます。

藤田
作品でいうと、どれでしょうか。


「マッチ売りの少女が見たもの」展示風景 グループ展「3 DRAWINGS」1996年12月10日(火)〜1997年1月18日(土)(休96.12.22〜97.1.9)ギャラリー美遊(東京都千代田区内神田2-3-6楓ビルB1)撮影:早川宏一


《マッチ売りの少女が見たもの》布部分 1996 撮影:早川宏一


《マッチ売りの少女が見たもの-女》77.0×57.0cm 紙に不透明水彩、布、シルクスクリーン 1996 撮影:早川宏一

原井
マッチ売りの少女をテーマにした作品では、マッチを擦って少女が夢を見るという現実と、実際少女がいるのは雪の中という現実、2つの現実を表しています。

藤田
黒い幕・・・どうなってるんですか?

原井
マッチ売りの少女が想像した夢、例えばきれいな女性になりたい、という夢を描いたキャンバスの上に、少女がいた闇のように黒い布をかぶせているんです。


藤田
少女はマッチをこすると夢を想像しますよね。
それと同じように鑑賞者は「マッチをこする」ように「キャンバスに掛かっている黒い布」をめくる。
すると「少女が夢を見る」ように「理想の女性像の絵画」が出て来るんですね。

原井
こういう表現形態なのは、少女をとりまく2つの現実に光を当てたい、と思ったからなんですね。


藤田
ダブルミーニングというか、伏線的というか。

原井
スタイル的なことと内容的なことがオーバーラップする、というか。
そんなことを考えているから、売れるという作品をつくろうとするときに、表面的に売れるものをつくることはできても、僕の内面が売れるということにとらわれたくない、と考えるようになってしまうんじゃないかな。


藤田
でもそれって、みんながみんな、理解できないんじゃないですか。

原井
個人的な思いは理解できない部分はあるかもしれませんが、美術言語としてのメタファー、隠喩としては、見るスキル、鑑賞能力は問われますね。


藤田
ありますね、たしかに。
こういう仕事をしているせいか、みんなあまりにも表層的、表面的に物を見ている、目から入る一時的な情報だけで判断してしまうことに、不愉快になります。
原井さんと今回話をして、美術の鑑賞は「見る」、「見ている」ということだけで満足してはいけない、と改めて気付かされました。
今日はありがとうございました。

 

 
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