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美術散歩


記憶・歴史・現代を盛り込む
「エル・アナツイ」展

TEXT 菅原義之

(写真1)エル・アナツイの作品 ヴェネチア・ビエンナーレ会場にて(2007)


(写真2)エル・アナツイの作品 ヴェネチア・ビエンナーレ会場にて(2007)
 
 埼玉県立近代美術館で「彫刻家 エル・アナツイのアフリカ」展(7/2〜8/28)(巡回展)が開催されている。以前から期待しており開催初日に見たが、素晴らしい内容でアナツイをより知ることができた。アナツイの作品は2007年のヴェネツィア・ビエンナーレ(写真1と2)とヴェネツィア市内にあるパラッツォ・フォルトゥニーのファサード(写真3)で見て強く印象に残っていた。両者とも瓶のふたなどを銅線でつないだ巨大な金属製のタペストリーで、廃棄物の再利用という発想とその大きさからくる迫力に圧倒されたものである。今回はアナツイの全貌を見ることができるだろうと楽しみだった。


(写真3)エル・アナツイの作品 ヴェネチア・パラツッオ・フォルトゥニ―のファサードにて(2007)

 アナツイは1944年生まれ、ガーナ出身である。ガーナは1957年にイギリスの植民地から共和国として独立した。アナツイは学生時代をガーナのクマシにあるンクルマ科学技術大学の美術学部で彫刻を学んだ。卒業後は国内に就職するが、1975年にナイジェリアに移り、ンスカにあるナイジェリア大学に教職を得て、以来そこで作品を作りながら彫刻を教える。ほとんどアフリカで制作活動を行っている点が特異である。土着的な織物の柄、廃棄物再利用の習慣などをソフトに取り入れた作品は素晴らしく一見の価値ありである。

 展示は大きく4つの章からなっていた。1章、2章が作品の展示、3章は小作品と大作に至るプロセス、4章は作品誕生の背景である。アナツイの全貌が読めるかもしれない。
 第1章「記憶を彫る」
 ここでは彫刻とレリーフ状の作品が紹介されていた。アナツイは1982年から木を素材に彫刻やレリーフを手掛け始めたそうである。彫刻では丸太や木片を使った人物像を提示。中には抽象的なものもあった。また、レリーフ状の作品は幅10センチほどの板を何枚か横に並べて一枚の絵に見立てた作品である。彫刻、レリーフともいろいろ暗示しているようだ。作品《うりふたつの親子》(1991)では木材が一部縦に裂かれている。大きい方が「親」、小さい方が「子」だろう。激しく引き裂かれ植民地時代の悲惨さを物語っているよう。“ジーン”と伝わってくる。また、人物像を何人も並べた作品《預言者たち》(1993)の顔つきはどれを見てもさびしげ、悲しげである。《アメウォ(人びと)》(1996/2010)はやはり人物像が横一列に並んでいる。なぜか檻の中のように思える。《ぶかぶかのズホン》(1996/2010)、《川》(1997)などでは、焼け焦げや削り跡がやはり植民地時代の痕跡を物語っているようだが、素晴らしい作品に思えた。全体を見るとやはり植民地時代の苦難の名残を独立後も記憶に残しておこうという意図を読める。現地の人たちの当時の心情を端的に表現しているようで意味深いものに思えた。

《あてどなき宿命の旅路》 1995年 木、ゴム 世田谷美術館蔵、 撮影:上野則宏、 写真提供:埼玉県立近代美術館



 また、入口のところに置かれていた《あてどなき宿命の旅路》(1995)。あとで分かったことだが、アフリカの地では燃料用の薪を集めるのは女性、子供の仕事だそうで、これが作品として表現されていた。一部途中で倒れているが、それは実際にはこの仕事がハードだからだ。凄い。章タイトルの「記憶を彫る」そのものに思えた。アフリカのこの地の人々の深く重い精神状態を表現しているのだろう。注目すべき作品ではないか。1995年に制作されるが、これがアナツイ作品の転換期となったようである。図録を見ると、本来この作品が第2章の始まりの作品であることがわかった。

 第2章「歴史を紡ぐ」
 アナツイは1999年から潰したボトルキャップやアルミニウム片などいわゆる廃棄物を銅線で編みあげた巨大な彫刻を制作するようになる。これは西アフリカ特有の織物の柄などを応用したものだと指摘する研究者もいる。また、ボトルキャップなど廃棄物の再利用については、使い捨てられた日用品を器用に再利用するのはアフリカではどこにでも見られる生活文化だそうである。廃棄物を作品に仕上げる発想はここからきているのだろう。
 織物の柄の応用、廃棄物の再利用などアフリカの産品や習慣をあえて持ち込みながら思いもよらない金属製のタペストリーへと変容させるアナツイの発想は見事なものだと言わざるを得ない。
《レッド・ブロック》2010年 アルミニウム、銅線 作家蔵、 撮影:福永一夫、写真提供:埼玉県立近代美術館


 ここでは主としてタペストリーが紹介されていた。10点か。見るまではこんなにあるとは思いもよらなかった。中でも《ブラック・ブロック》(2010)、《レッド・ブロック》(2010)などは絶品といえるだろう。始め《レッド・ブロック》が目に入った。その瞬間“はっ”とした。素晴らしさに見とれた。その後《ブラック・ブロック》である。さらに驚いた。色彩も素晴らしいし落ち着いた雰囲気を持つこの表情は何とも言えない。見とれた。見ていると色彩の関係からだろう、荘重な感じ、鎧を思い出させた。また、《重力と恩寵》(2010)、《大地の皮膚》(2008)は中でも巨大だ。前者は色彩の変化の素晴らしさ、後者はラベルの縦置き、横置き、キャップの使用などさまざまな方法をとりいれた多様さ、両者とも迫力ある見事な作品だった。このほかの作品も含めていずれもかなり洗練された内容であり、アナツイの傑作群だった。


(上)《重力と恩寵》 2010年 ボトルキャップ(アルミニウム)、銅線 作家蔵、  撮影:福永一夫、 写真提供:埼玉県立近代美術館

(下)《重力と恩寵》(ディテール)、 撮影:福永一夫、 写真提供:埼玉県立近代美術館


 
タペストリーは、壁面に展示された作品すべてで“襞”が目立っていた。アナツイは彫刻家である。作品をピタッと壁面につけるのではなく“襞”の凹凸をつけることによって、立体である彫刻として提示しているようだ。この“襞”に光があたりあちこちに凹凸の見えるところが彫刻そのものを表していて大事な部分、見どころのようだ。この点を加味すると模様の美しさと併せて一層輝いて見えた。

 第3章「創造のプロセス」
 アナツイは作品制作に至る思いついたアイディアをノートの切れ端にすばやく書き留めるそうである。ここではデッサンの他にドローイングやアクリル絵具で描かれたアナツイの小作品が紹介されていた。これらが最終的な作品に至るプロセスなのだろう。中でも注目されるのは、共同作業のシステムである。ここでは常に5〜6名、総勢で20人ほどの助手が働いている。空き缶や空き瓶の蓋を集めて穴をあけ銅線でつないでいく、また、アルミのシールを縫い合わせたりしている。パーツの制作である。出来上がったものは保管し、アナツイの指示でパーツを組み合わせて作品にする。この流れがビデオで紹介されていた。巨大なタペストリー制作プロセスが分かり納得。面白かった。

 第4章「作品の背景―社会、歴史、文化」
 西アフリカは織物や染め物の宝庫だそうである。アナツイの作品のヒントになったアフリカの織物「ケンテクロス」や「アジンクラ」を模様としてあしらった布が展示されていた。「アジンクラ」とは抽象的な記号で、もとは綿布に型押しされて染め布として流布し、主に儀礼の際の衣装として用いられた。今ではデザインとして生活のいろいろな面に使われているとのこと。また「ケンテクロス」も単なる実用品ではなく、儀礼的、象徴的な意味を持つ布だそうである。「アジンクラ」、「ケンテクロス」は日本では見られないこの地特有の素晴らしい布である。これがアナツイのタペストリーの原点であろう。ここでも生活、習慣などに関する映像が流れていた。

 現代の美術作品はかなり多様に展開している。廃棄物を再利用して想像もできないような作品に仕上げる考え方はこれまでにもいろいろ見られたが、アナツイは瓶のふた、瓶のラベルなど廃棄物そのものを想像すらできないような素晴らしい作品に変貌させてしまう。決してこれまでの考えに準じているのではなく、アフリカの産品とか習慣の中からアナツイの明敏な発想が見てとり、生み出したものであり、この発想こそ独自な創造の世界だということができるだろう。ここが素晴らしいところで、だからこそまさに現代の美術の真っただ中に厳然と位置しているといえるだろう。最前線のアート。世界で注目される理由はこんなところにあるのかもしれない。
 グローバル化が進む中で、最近は美術の分野でも必ずしも西欧的価値観にとらわれることなく広く世界に視野を向けた展覧会が開催されてきている。この2〜3年を見ても「トランスフォーメンション展」(東京都現代美術館)、ウイリアム・ケントリッジ展(東京国立近代美術館)、AI WEIWEI展(森美術館)、「チャロー!インディア:インド美術の新時代」展(森美術館)、「ネオ・トロピカリア:ブラジルの創造力」展(東京都現代美術館)、「アヴァンギャルド・チャイナ」展(国立新美術館)などがある。ここではそれぞれの持つ「国柄を表したもの」「土着的なもの」などがソフトに披瀝されていた。それらはあくまでもローカルなんだろうか。否であろう。グローバル化時代を反映して西欧的価値観にとらわれることなく、世界に目を広げるといろいろ見えてくるものがある筈。西欧諸国に移住せずあくまでもアフリカに在住しながら制作し提示するアナツイはその典型例のように思えた。凄い。
 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。

ウエブサイト アートの落書き帳

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。


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