topcolumns[美術散歩]
美術散歩


世界との距離感をはかる
「PLATFORM 2011」 展

TEXT 菅原義之

※画像は本展カタログからスキャンしたものである。
画像のモアレはスキャナの不具合によるものです。ご了承ください。
 「PLATFORM 2011 浜田涼・小林耕平・鮫島大輔−距離をはかる−」 展が練馬区立美術館(4/16〜5/29)で開催された。今回は2回目だそうである。今後も機会を見て開催されるようだ。開催趣旨を見ると「幅広い視野で現代美術の動向の一端を紹介する展覧会」だそうである。今年は「世界との距離感を推し量る姿勢を見せる」となっている。「世界との距離感」という表現が分かりにくい。どの様なことかそれぞれについて考えてみたい。

浜田涼 《landscape-2005/05》 2005 29.4×42.7

浜田涼
(1966〜)
 浜田は、撮った写真をアクリル版とかトレーシングペーパーで覆うことでぼやけた写真を提示する。このような写真は見る側をイライラさせる。それが何点も展示されていた。
 写真にはわれわれが考えているイメージがある。記録写真、記念写真、作品としての写真などいろいろあるが、どれも鮮明に撮れていることが大事である。このようなぼやけた写真を提示するにはそれなりの理由があるのだろう。それは何か。これがこの作品に直面した私の課題だった。解決方法の一つは、いわゆる写真として見るとイライラするので、やや距離を置いて見ることにした。物理的な距離ではなく心理的な距離である。目を細めて見た。ぼやけた写真は対象が分かりにくい。見る側と作品との間に空気だとか、雲、霧などあるように思える。距離を置くとなぜか風景がきれいなんだろうなとか、人物の服装が地味だとか、細部が分からないため全体像の印象を見ることになる。色彩とか形態、構図が浮かび上がってくる。ぼやけた写真は細部を見るより却って全貌するのに適しているのかもしれない。ものによっては抽象絵画と思えるものもある。こう見るとなんとなく「写真の絵画化」が浮かび上がってきた。距離を置いて見ると別に見えてくるものがある。これも面白い。

浜田涼 《2010 sekai/25》 2010 19.0×29.0

 
 もう一つの理由。浜田は「大切な人の写真を持っていますか?その写真の表情以外に、その人の顔を思い出せますか?」という。本人を当然識別できてもわれわれの記憶は必ずしも鮮明に人物なり風景なりを記憶していないもののようである。恋い焦がれた好きな女性の顔をどうしても思い出せなかったという話がある。これこそ人間の持つ記憶力の限界、実際の姿かもしれない。浜田はここを指摘しているようだ。
 このように「距離を置いて見る」やり方とか、「記憶力の実態」とかを浜田の作品から読み取ることができた。これこそ「世界との距離感」なのかもしれない。
小林耕平 《2−9−1》の部分 2009 video/17.44min,run continuously in loop


小林耕平
(1974〜)
  小林耕平の作品は映像作品でこれまでに何回も見ている。その都度あまり面白くない、コンセプトが分かりにくい。などの理由で印象に残らなかった。今回は展示作品が多かったせいかそれぞれある程度時間をかけて見た。彼の作品はこれまでは戸外の映像が多かったように思う。今回特に気になったのは室内の作品《2−9−1》だった。室内にテーブル、背後に棚、周りには車輪などが置かれテーブルの足元には板のシーソーがありその上に人物が乗っていろいろ作業をするのである。人の移動によってシーソーは片側に傾きまた逆に傾く。そんな場面で人物がしきりに何か仕草をする。テーブルの上にあるティッシュペーパーを丸め、近くに置かれたピンポン玉と取り換える。テーブルに置かれた細長いスイカを取り上げてテーブルの上で滑らせる。時々何の目的もなく車輪に手を伸ばして軽く回すなど意味がないと思える仕草を連続して行う。

小林耕平 《2−9−1》の部分 2009 video/17.44min,run continuously in loop


 
 画面には洋画の字幕のように言葉が出てくる。これも同様に前後に脈絡がない。人が何かする場合には何らかの目的があるもの。買い物に出かける。本を本棚から取り読み始める、テーブルに着いて食事をするなど行動には目的があるのが普通だ。ところが小林のこの作品からはそれが読めない。よくもあのような目的のない動作を続けていられるものだと感心せざるを得ない。動作の中で最も気になったのは何かの合間にふと車輪に手を伸ばし回すことだった。意味ない行為の典型のよう。それも時々回す。まるでドラマーが多くの楽器を身の回りに置き、あちこちにある楽器をたたくのと同様に思えた。音楽のないドラマーの姿か。
 目的のある行動、当たり前のことをちょっと外すとそこには別の世界が広がり、いろいろに見えるものがある。端的にいえば「ずれ」の表現かもしれない。意図的な「ずれ」って面白いし、時には素晴らしい発想だと感心する。よくもここまで気がつくとそのアイディアに驚きを感ずることすらある。作品《2−9−1》はまさに普段触れることのない別の世界を表現していたのだ。結構長い意味のないストリーだった。でもこんなことってしっかりした筋書きがないと作れないのではないか。そう見ると作品として綿密に作り上げたものだと言うことができるだろう。凄い。それこそ音は聞こえないがドラマー用のしっかりした楽譜のようなものがあるのかもしれない。
 今年3月に上野の森美術館で開催されたVOCA展で森千裕は奨励賞をとった。森の絵画《Eternal Itching(SAYONARA)》には画面中央に大胆にも落書き状のものが描かれていた。落書きはあまり意味がないもの。しかしこの作品を見ると、オリンピック閉幕の寂寥感をベースに脈絡のない(落書きのような)ものを描き綴ることによって混とんとした現代社会のもつ不安感、孤独感などを端的に表現しているように思えた。意味のない落書きをちょっと加えただけで内容が変わる。小林の作品を見ているとなぜか森千裕のこの作品が浮かんだ。目的のある行動をちょっと外しただけで別の世界が広がる。この作品《2−9−1》を見ると「世界との距離感」は遠いようですぐのところにあるように思えた。小林の作品に今回は親しみを感ずることができた。面白かった。

鮫島大輔 《big flatball 2010 1》 2010 Ø50 アクリル絵具・アクリル球 個人蔵



 
鮫島大輔(1979〜)
 鮫島のコーナーは1階展示室。球体に日常我々が目にする風景を描いた作品がいくつも展示されていた。これまで多くの作品を見てきたが、球体に絵画を描いた作品は初めてだった。どこにでもあるような一般の住宅街を描いている。球体に描いてある目新しさと鮮明に描いてあるので見入った。その他に球体ではなく普通の大きな一般の住宅を描いた絵画が何点も展示されていた。不思議なことに幌のかかった自動車がその中に描かれていた。幌がけの車に焦点を当てているようだ。あとで分かったことだが鮫島は他にもいろいろな作品を制作していた。枠だけを描いた絵画、動物の銅像の腹部に周りに映る風景だろうか、それを描いたものなどである。描いた内容はごくありふれた日常の街中の風景だが、この風景を取り込むのに仕掛けを用意しているようだ。支持体が球体であったり、駐車場に停めてある幌がけ自動車のみを追求したり、絵画の枠だけを描いたりして見るものを惑わせるのであろう。
 この展示コーナーでは何といっても球体の作品が注意を引いた。正面に見えるところは一般の風景画で遠近表現をそのまま取り入れているようだ。しかし脇の部分に目を移すと当然のことながら電信柱は湾曲している、家も同様に見える。少し位置をずらしそれを正面にすれば普通の遠近法がそのまま取り入れられなぜか見入ってしまう。風景を辿っていくとまた元の風景に、何とも不思議な世界である。仕掛けの術中に取り込まれたようだった。

鮫島大輔 《invisible 2》 2011 300.0×500.0 油彩・カンヴァス 個人蔵



 
 幌をかけた自動車を取り込んだ絵画が何点もあった。なぜそれだけを描くのかである。街中を歩けばこんな風景はときどき見ることができる。ごく当たり前の風景である。でも考えて見ると自動車に幌を掛けるって何でなんだろう。雨でぬれてはいけないからか。埃がつくといけないからか。自動車は雨の中、埃や風の中を自由自在に走りそれぞれの欲望を満足させる。一種のツールだろう。言ってみれば消耗品だ。車に幌をかけるってどこにでもあるからあまり不思議に思わないが、そもそも車に幌を掛けるっておかしくはないか。壊れ物ではないし、新品だからといってテレビや冷蔵庫や新築の家に幌を掛ける人はいないだろう。言ってみればあるから使う。幌って車を財産と考えていた時代の遺産かもしれない。こう思うとあの作品はおかしなことをえぐり出しているようにも思えた。それが面白かった。と思ったがどうだろうか。

 見終わって全体のコンセプトが分かったようだった。日常生活で普通に我々が考えていることをちょっと別な角度から見るといろいろに見えてくるものがある。浜田、小林、鮫島それぞれの視点は異なるが、狙いはかなり近いように思えた。展覧会の中心テーマである「世界との距離感」が何を狙ったものか分かったような気がする。この展覧会を見てこのように別世界に接することができ自分の世界が広がったように思えた。まだ先だが次回を期したいものである。

 
著者プロフィールや、近況など。

菅原義之

1934年生、生命保険会社退職後埼玉県立近代美術館にてボランティア活動としてサポーター(常設展示室MOMASコレクション作品ガイド)を行う。

ウエブサイト アートの落書き帳

・アートに入った理由
リトグラフ購入が契機、その後現代美術にも関心を持つ。

・好きな作家5人ほど
作品が好きというより、興味ある作家。
クールベ、マネ、セザンヌ、ピカソ、デュシャン、ポロック、ウォーホルなど。


topnewsreviewscolumnspeoplespecialarchivewhat's PEELERwritersnewslettermail

Copyright (C) PEELER. All Rights Reserved.