《鼓動の庭》古着の白いシャツ・白い木製の椅子、2012年 撮影/恰土鉄夫

《鼓動の庭》部分 撮影/中野晴生
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展示室の壁3面のほとんどを覆い尽くす、夥しい数の白いブロック。一見、石膏のようでもあるが、これらが白いシャツであることは、袖口や胸元に配されたボタンやレースから比較的容易に推察できる。作家の吉本直子は一貫して、何百枚もの古着の白いシャツを圧縮し、糊で固めたパーツを組み合わせる手法で制作している。
今回、展示室全体を使った大規模なインスタレーション《鼓動の庭》(2012年)は、まるで発掘された墳墓の内部のような厳粛で神聖な空間を立ち上げていた。ブロック状に固められたシャツの一つ一つが朽ちかけた小さな墓石のようでもあったが、生地が折り重なってできる襞が石に刻まれた線刻のようであり、それらが何百個も煉瓦のように積み上げられた壁面は、民族の文明や歴史が描かれた古代遺跡のレリーフに通じるように思えた。白いシャツにかすかに残る染みや汚れは、シャツを纏った人が確かに生きていたという証であるから、私が墓石や遺跡を彷彿したのはそれほど的外れでもあるまい。

手前から《白の棺》古着の白いシャツ、150×130×180cm、2006年
《白の棺》古着の白いシャツ、205×85×65cm、2005年
《地の残像》古着の白いシャツ、228×96×44cm、2011年
撮影/恰土鉄夫 |

《白の棺》2006年(部分) 撮影/恰土鉄夫

《沈黙のことば》古着の白いシャツ・綿布・アクリルの本棚、2012年 撮影/恰土鉄夫
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一方、ロビーに展示された3点の立体作品のうちの1点《白の棺》(2006年)は、人の背丈ほどある立方体状の作品だが、向かい合う2つの面に積み上げられたシャツのブロックから、内部に向かって無数の袖が水平にのびている。糊で固められた袖は人の腕のようであり、それらが両側から内側へとのびるさまは、闇の中で他者の存在を確かめようと手をのばす人々の姿を想起させた。その反面、硬く固められた袖は鋭い刃のようでもあり、触れた瞬間に傷つけられ、指先から血が滲みそうな危うさをも併せ持っていた。私たちは一人では生きられず他者を求めるが、相手に接近すればするほど、接し方がわからずに傷つけてしまう場合も少なくない。情報化が極端に進行した現代社会におけるコミュニケーションは、そんな諸刃の剣のような危険性をはらんでいる。
そうはいっても、たとえ傷ついても求めなければ他者との関係性は築けない。絆を感じた時の喜びよりも、触れ合って傷ついた時の痛みにこそ、生きている実感があるのかもしれない。そう考えながら《白の棺》を見るうちに、シャツの染みや汚れは、作品名からイメージされる死者の痕跡であることを超えて、いま生きている人々の息づかいや体温をも伝えているように感じられた。