
中原浩大《ギフチョウ》1989年 |
中原浩大の作品《ギフチョウ》は、園内に入るとすぐ出会うことができる。
大理石と石でできた彫刻は、すこし距離をあけて、2体向き合うように配置されている。
白地に黒の斑点が描かれ、色や形から地方新聞では、スヌーピーみたいだと紹介していた。
そう言われると、そんな風にも見えてくるのがおもしろい。
そもそもタイトルにある「ギフチョウ」とは何なのだろうか。

松本秋則《音の風景(岡山編)》2011年 展示風景

須田悦弘《サザンカ》2011年 展示風景
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調べてみたところ、同様の名の蝶が実在するようだ。
しかしずっと見ていると、蝶というより後楽園で飼育されているタンチョウ鶴のようにも見えてくる。
白黒でシンプルなフォルムだが、見るもののあいだで、ひらりひらりと姿を変えていくような作品である。
《ギフチョウ》の場所から少し歩くと、かすかな音が聞こえてきた。
聞き覚えのある、コロコロとした竹のきれいな音である。
瀬戸内国際芸術祭でもなじみのある松本秋則の作品、《音の風景(岡山編)》だ。
作品は園内にあるいくつかの休憩所や藤棚に設置されており、ひと休みしている人たちを景色と一緒に音色でリラックスさせる。
後楽園の景色、自然と調和し、まるではじめからそこら中に響き渡っていたかのように、その音は存在していた。
園内にある大きな池の中に島があり、島茶屋という茶屋がある。
そこに展示されているのが、須田悦弘の作品《サザンカ》と《葉》だ。
木を使用し植物をつくる須田の作品は、その名の通りサザンカと葉を模したものだ。
白いサザンカ一輪と枯れ葉一枚が室内に落ちたように置いてある。
それはじっくりよく見てみないと本物の植物だと見間違うぐらい、精密で繊細にできている。
紅葉の季節に、落ちている花や葉はたくさんあるが、茶屋の室内にこの《サザンカ》と《葉》があるとないとでは、がらりと雰囲気が変わってくるだろう。
どこにでもあるようなこの風景は、時代を問わない。
誰かも同じようにこの景色を見ていたのではないだろうか。
作品を通して、茶屋の過去や未来にも想いを馳せることができる。

よしもと正人《浮生若夢(ふせいはゆめのごとし)》2011年 部分 |

よしもと正人《浮生若夢(ふせいはゆめのごとし)》2011年 展示風景 |
よしもと正人の作品《浮生若夢(ふせいはゆめのごとし)》は、茶祖堂という茶室に展示されていた。
茶祖堂は、もとは利休堂と呼ばれ千利休を祀っており、後に日本に茶を伝えた栄西禅師も合祀した場所だという。
茶室の中は狭く、また天井も低いため、姿勢を低くしたり、膝をついたまま移動する。
その小さな空間に、よしもとの作品である木彫の仏像が何体も置かれている。
室内をぐるりと見回さなくとも、あちこちで仏像に見られている気配がする。
膝立ちで隣の部屋へ移動すると、さらに数体の仏像がずらりと並びこちらを神々しく見守る。
その様子は圧巻だった。
にぎやかな場から離れ、このひっそりとした小さな茶室で一人、誰にも知られぬよう祈りを捧げる。
自分だけの秘密の場所、その想いが空間をうめつくしていた。

首藤晃《四天王堂にて》2011年 展示風景 部分 |

首藤晃《四天王堂にて》2011年 展示風景 部分
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園内入り口から南の方角へ行くと、木が生い茂る道が続く。
その中にあるぽっかりとあいた空き地に、首藤晃の作品はある。
下部は船や台車のような形をしており、上部には長い角、その下には二本の細いスプーンのようなものがついている。
かたい鉄でつくられているが、それが何かの生物であることは、全体から読み取れる。
鉄の生物の心臓部には木の実が山盛りにたくわえられていた。
スプーンのような細い腕で落ちた実を静かに収穫しているのだろうか。
鉄の生物は一体しかいないのに、この場所にいると、まるでここが彼らしか存在しない世界のように思えた。
空き地から少し進むと、四天王堂というお堂があり、その中にも首藤の作品が展示されていた。
扉の格子の隙間からは、ネズミのような長い尾をもつ小さな鉄の生物が何匹もおり、所狭しとお堂の中を占拠しているのが見える。
怪しい光に包まれた生物たちは、ひっそりとお堂で密談しているようだ。

冨井大裕 茂松庵展示風景 |

冨井大裕《waste basket and waste paper (orange)》2011年

藤原洋次郎《ハンカチフラワー》2011年 展示風景
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茂松庵の4畳半の部屋は、冨井大裕の作品空間だった。
床の間には、ひっくり返ったプラスチックのゴミ箱が置かれ、ゴミ箱の中には紙くずが入っている。
冨井の過去の
PEELERインタビューで語られていたように、きれいだと思うものを作品できれいにみせる、ということがこの作品であれば、ゴミ箱と紙くずのフォルムや質感などの集大成の美が、この場所でのこの形なのだろうか。
従来、花や陶器などが置かれていたであろうその場所に、ゴミ箱をもってくる冨井の作品は、衝撃的ではあるが、見ているうちに不思議と違和感はなくなっていく。
冨井によって新たに見いだされたゴミ箱の美は、花や陶器と同じように、自然と床の間になじんでいた。
小林照尚《連動:Lost Garden》2011年 展示風景
小林照尚の《連動:Lost Garden》は、よく見て歩かないと見落としてしまうくらい、まわりの景色と一体化している。
木のまわりを流れるように石が点々と置かれており、その石の側面は削ってあり、一片は赤く塗られている。
赤い片はすべて同じ方角に向いていた。
万成石という岡山特産の石から生み出された石彫は、300年の歴史をもつ後楽園の木々や岩たちと共鳴しあっているのだろうか。
最後は後楽園ではなく岡山県立図書館前に展示されていた藤原洋次郎の《ハンカチフラワー》だ。
たくさんのハンカチを使ってできた大きな一輪の花は、離れたところから見ても元気でたくましい印象を受ける。
近くでよく見てみると、ハンカチは真っ白なものかアニメのキャラクターの描かれたものを使用している。
真っ白で可能性にあふれる未来や、ヒーローやヒロインに憧れる無邪気さ、元気さ。
それは岡山の子供たちの夢や笑顔を映しだし、明るい未来を象徴するような満開の花だった。
「岡山芸術回廊」、来年はいよいよ本開催。
ぜひとも足を運んでいただき、岡山の地と、それによりそうアートたちを体感してもらいたい。