展覧会場の天井から床までを覆う黄色い網のようなもの、これはすべて工作などに使う、少しの力で簡単に形を変えられるモールだ。
よく見ていくと床を埋め尽くしている黄色のモールは、家のかたちを模している。
《モールハウスプロジェクト》一部
この作品《モールハウスプロジェクト》は、高本が知人の家を訪れた際に、お菓子のパッケージについていたモールを使って手遊びをしたことから始まったという。
モールでつくられた家が並ぶ会場の中央には机と椅子が置いてあり、作者が黙々とモールで家をつくっている姿を想像することができる。
机と椅子の小さな空間から生み出されたモールの家は、どんどん増えて周りをうめていき、空間を拡げていく。
高本のつくったモールの家が、床を、天井までの空間をうめつくすように、私たちが何気なく他者と過ごしている時間も、形として残していくと、この会場をたやすくうめつくしてしまうぐらいになるのではないだろうか。
先ほどあげた人と向き合うには中途半端な時間のなかで、何となく何かをいじってしまうとき。
例えばそこがファストフード店だったとしたら、ストローが入っていた袋だったり、紙ナフキンだったりが手遊びにより特に意味もない形に姿を変える。
《モールハウスプロジェクト》一部)
|
たいていはその場限りのものであり、時間が過ぎればどうでもいいものであり、結局はただのゴミになってしまう。
けれども、その意味なきものを毎回大事にとっておくとどうなるだろう。
何気ない手遊びが、つもりにつもり床を、空間をうめていく。
目の前にいる他者との空間をうめていき、いつしか他者との距離は、自分の想いでうまっていくのではないかと感じさせる。
向き合う中でつくりだした小さなモールの家は、そのとき発することのできなかった言葉や、過ごした時間や、他者と築き上げていく何かのようで、少しずつ二人の間を満たしていく。
それはまるで、人と人との不器用なコミュニケーションのようである。
作品のまわりをぐるっと回ってみると、不思議なものを発見した。
天井と床の間をうめているモールの集合体のそばに、これまた手の加えられた小さなモールがぽつんと置かれていた。
しかし、それは家を模したほかのモールとは異なり、動物の形をしているようにも見える。
気になって高本本人に聞いてみると、この小さなモールは高本がつくったものではないという。
展覧会場に、来場者にも同じモールを使って好きに手遊びできるスペースが設けられていたのだが、そこで誰かによってつくられただろうこの小さなモールが、いつの間にかこのように作品のそばに置いてあったそうだ。
同じ素材で同じように手遊びでつくる、高本のコミュニケーション方法に対し、同じ方法で返事が返ってきている。
この小さなやりとりに、とても温かいものを感じた。