topreviews[梅田哲也「はじめは動いていた」/京都]
梅田哲也「はじめは動いていた」
空間と時間の認識についてのレッスン
TEXT 高嶋慈

(画像3)梅田哲也「はじめは動いていた」 展示風景 撮影:高嶋清俊


(画像1)梅田哲也「はじめは動いていた」 ギャラリー入り口 撮影:高嶋清俊

(画像2)梅田哲也「はじめは動いていた」 展示風景 撮影:高嶋清俊


電化製品や木材、廃物など身近で安価なモノを素材に、音、光、動きを発しながら空間全体へと展開し、私たちの認識を揺さぶるようなインスタレーションを発表している梅田哲也の個展「はじめは動いていた」が京都・三条のARTZONEで開催された。本展の土台として、「すみっこ企画『DEADSPACE』」が昨年8月から始められており、建物と展示壁との隙間や倉庫などのデッドスペース、つまり空間の「すみっこ」に梅田の作品がそっと仕掛けられてきた。こうした試みを踏まえて本展では、本来のギャラリースペースだけでなく、様々な店舗が雑居するビル全体を一つの展示空間と見立て、観客を異空間への「ツアー」に誘うような試みがなされている。
設営中かと勘違いするほど、木材や段ボール箱で大胆にも封鎖されたギャラリー入り口(画像1)を横目に、観客はまずはエレベーターで3階に上るように指示を受ける。エレベーターを降りた向かい側にあるのは、普段は倉庫である薄暗い小部屋。仕切りのカーテンをめくると、金属板の上で砂鉄の塊が二つ、互いを追いかけるようにぐるぐると回っている(画像2)。壁に投影された影もゆっくりと円を描いて動き、不思議な二匹の生き物が闇の中で息づいているような錯覚を与えてくれる。
その後は矢印の指示に沿って、通常は関係者以外立ち入り禁止の通路を通り、屋上へ。普段は見ることができない眺めを楽しみながら、周囲に溶け込むように存在する梅田の作品を探すことになる(画像3)。さらに裏階段を降り、普段は入れない建物の裏側を探検気分で迷路のように歩き回るうちに、この建築空間自体への興味がふつふつと沸いてくるのを感じる。と同時に、どこまでが人為的な「作品」で、どこまでが元々の空間のありようなのかの境界が次第に揺らぎ始め、仕掛けられた作品を見落とすまいと、空間のあちこちをなぞるように、スキャニングのような視線を送ることになる。というのは、「順路」を示す矢印はあるものの、作品のある場所を示すマップやキャプション、親切なナンバリングの類はなく、観客は「見上げたり、のぞいたり、のぼってみたりしてみて下さい」という、能動性がつよく求められるのである。「見る」という行為の顕在化は、自分の身を置く空間に対する感知能力を研ぎ澄ませていく。

(画像4)梅田哲也「はじめは動いていた」 展示風景 撮影:高嶋清俊

(画像5)梅田哲也「はじめは動いていた」 展示風景 撮影:高嶋清俊

(画像6)梅田哲也「はじめは動いていた」 展示風景 撮影:高嶋清俊

そう、これは梅田によって仕掛けられた「空間を読み取るためのレッスン」であったのだ。普段は観客の目から隠されているビルの裏側の空間を経て、最後に(本来の)ギャラリー空間へ。全てを観客の見る欲望にさらすはずのホワイトキューブ。だが、最後にたどり着いたその空間は、一見すると空っぽで、何も「展示」されていないように見える。「見るべき」ものが視線から隠されているという逆説。かろうじて、壁際では、小さな磁石がひとりでに円を描き、終わりなき循環運動に興じている。「見るべき」ものはその壁の裏側にあり、作業中のように壁に立てかけられたハシゴやドアノブが、その先に続く空間の存在を示唆しているのだ。ハシゴを上ってのぞいてみると、建物と展示壁との隙間では、電球が明滅・回転しながら、様々な器具を照らし出す(画像4)。あるいはドアを開けた空間の中では、傘のホネや洗濯物干しを組み合わせたオブジェが回転し、床に美しくも不思議な影をぐるぐると投げかけている(画像5)。別の小部屋の中では、床に置かれたドライヤーやファンが吹き上げる風を受けて、風船やカップめんの容器が空中に浮かんでいる(画像6)。かと思えば、磁力により、ピンと張られた糸の先の鈴が空中に静止している。磁力やドライヤーの熱風などの物理的作用を利用しながらも、本来の「用途」や「目的」という重力から解放されたモノたちが自在に演じるサーカス。


(画像7)梅田哲也「はじめは動いていた」 展示風景 撮影:高嶋清俊


さらに圧巻なのは、ビルの吹き抜け空間全体を使って展開されるインスタレーションである(画像7)。光の降り注ぐガラス張りの天井から吊り下げられたポリタンクには、ポンプで徐々に水がくみ上げられ、重みが一定量に達して下降しはじめると、シーソーのように、反対側のロープの先に結び付けられたブルーシートがゆっくりと持ち上げられ、空中で広がる装置なのだ。こうしたダイナミックな試みは、あいちトリエンナーレ(二葉ビルでの展示)や「レゾナンス 共鳴」展(サントリーミュージアム[天保山])に出品された「反イメージ進法」においても見ることができた。このように、様々なモノがロープや配線でつなげられ、物理的作用による連鎖反応を起こしながら運動し、通路や天井裏といった「展示室」以外の空間へと侵入していく梅田作品は、ホワイトキューブの内部/外部の区分を無効化してしまう。そこでは、「ニュートラルで純粋な空間」など存在せず、壁の背後や天井裏に潜む配線、磁石との反応が示唆する鉄骨の存在など、普段は不可視の構造がモノたちの運動(あるいは静止)によって剥きだしにされ、あらゆる空間は微細なノイズを含んだものとして再認識されるのである。

だが、軽やかでユーモアにあふれた仕方で梅田作品が提示するのは、空間の特徴を繊細に読み取ることで可能となる、空間の質的な変化だけだろうか。そこにはまた、「時間」という要素も大きく関わっているのではないだろうか。
そう思ったのは、ペーター・フィッシュリ&ダヴィッド・ヴァイスの映像作品《事の次第》(1987年)との比較によってである。金沢21世紀美術館での彼らの個展にも出品されていたこの映像作品では、例えば斜面を転がり落ちるタイヤが、下で待ち構える物体に衝突し、さらに別の物体の運動を引き起こすスイッチとなり…というように、様々な物体が、落下運動による重力、回転による遠心力、化学反応による熱や発泡作用などによって発生したエネルギーを次の物体に伝え、連鎖反応が次々と展開されていく。アーティスト本人の姿はどこにも登場せず、無機的なモノたちが淡々と進行させていくストーリー。完全な作為が背後に存在するにも関わらず、あたかもモノが自律的に運動しているかのような、ユーモラスな転倒が笑いを誘う。だがそれは無邪気な笑いではない。一つ一つの運動には「次の物体にエネルギーを伝え、動かす」という明確な目的があるものの、出来事の連なり全体は意味も目的も欠いた全くのナンセンスに支配されており、危ういバランスを保ちながら自らの意思で動いているかのようなガラクタ達が、全体像も目的すらも把握不可能な巨大なナンセンスに組み込まれていく様子は、人間社会への皮肉のようにも見えてくる。
このように、物理的作用とエネルギーの伝達が連鎖反応を引き起こし、本来の用途や目的を剥ぎ取られたモノの世界に転倒した秩序がもたらされる様を、人為の介入により成立させている点において、フィッシュリ&ヴァイスと梅田の姿勢は共通している。もちろん両者には、ヴィデオ/インスタレーションという媒体の違いに起因して、記録された時間の経験/直接的な時間の経験、という違いはある。だがそうした違いに加え、出来事の生起をあくまでも滑らかなシークエンスの連続として見せるフィッシュリ&ヴァイスに対し、梅田は、シームレスで均質な時間の流れに亀裂を入れてみせる。例えば、ブルーシートが上へと引っ張り上げられる劇的な瞬間を経験するには、ポンプによる持続的な水のくみ上げという、長く緩慢な時間を経なければならないのである。その約10分ほどの間、モノたちは「いつ動き出すのか」という観客の期待に反して、じっと静止したまま、動かない。ただ流れていく、弛緩した時間。だが水面下では、「水がくみ上げられる時間」は備給され、物体を動かすエネルギーへと転換されていく。梅田は、巧妙なコントロールにより、エネルギーが備給される時間/出来事の生起として凝縮される時間、持続/瞬間、弛緩/緊張という両者を区切る斜線を、まさに断絶として経験させ、均質な時間の流れに対する我々の意識に揺さぶりをかけるのである。
おそらくそこでは、「日常的」でありふれた物体の、ユーモラスで「非日常的」な運動を鑑賞することだけが要請されているのではない。出来事が生起する「空間」と「時間」への意識を顕在化させること。梅田の作品は、我々の経験を基底するものへの再認識を問いかけている。

回転や円環運動が象徴的に示すような、半永久的な時間。空中で静止した鈴や止まったままのミラーボールにおける、静止した時間。エネルギーの備給を経て、弛緩からクライマックスへと一気に出来事が生起する時間。会場のあちこちに同時並行的に共存する作品群は、循環的な時間の流れの中に、休符やビートを刻むかのように存在していた。それらは一体となって、ビルの空間全体に一つの音楽を奏でていた。


梅田哲也「はじめは動いていた」
2011年4月2日〜24日

VOXビル(art project room ARTZONE)(京都市中京区)

 
著者のプロフィールや、近況など。

高嶋慈(たかしまめぐみ)

1983年大阪府生まれ。
京都大学大学院在籍。『明倫art』(京都芸術センター発行紙)にて隔月で展評を執筆。関西をベースに発信していきます。




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