topreviews[「あいちアートの森」「アイチ・ジーン」「第19回奨学生美術展」/愛知・大阪・東京]
「あいちアートの森」「アイチ・ジーン」「第19回奨学生美術展」


大崎のぶゆきに見る
空間のありかた2010

TEXT 藤田千彩


白い壁のギャラリーであろうと、家のキッチンであろうと、壁に作品がないよりはあったほうがいい。
あるいは同じ作品でも、白い壁のギャラリーの場合と家のキッチンにある場合では、作品の存在(雰囲気)が異なってくる。
美術作品というものが存在するだけで、とたん高級に(もしくは安っぽく)見えたり、心をなぐさめてくれたり(もしくは他の周りにあるもののほうが勝ってしまったり)、と楽しめるものだから。


「dimension wall」展示風景 写真提供:ギャラリーほそかわ


先日、大阪にあるギャラリーほそかわで大崎のぶゆきの新作《dimension wall》を見た。
壁紙のようなデザイン(絵柄)の映像がギャラリーの壁に投影されている。
白い壁のはずが、照明を落としているため暗い(灰色)の壁に見える。
その暗い(灰色)の壁へ、作品である映像が映される。
映像作品の地色は白いけれど、デザイン(絵柄)は黒い色で描かれている。
時間とともにそのデザイン(絵柄)は、ぶにゅーっと下へ流れていく。
黒い模様から絵具が流れて、画面に絵具があふれていくことで、デザイン(絵柄)はつぶれ、やがて地の白が黒く塗りつぶされていく。
そのさまを見ていると「画面が小さかったらどう見えるかしら」「壁紙のある家の壁に映したらどう見えるのかしら」という想像が駆け巡る。

というのも、大崎の作品《portraits》が、場所によって見え方がまったく異なっていたからだ。
今年、この作品を大崎は3つの会場で発表をした。
鑑賞者である私にとっても、広さ、明るさ、天井の高さなどがまったく違う3カ所で、同じ映像作品を見る機会はそうそうない。
映画のように映像作品を楽しむのではなく、インスタレーションという空間込みで映像作品を楽しむこと。
作品が「場所」に、ものすごい関係や影響を受けること。
ただ作品を発表している「空間」の違いだけで、普段意識しないことや鑑賞によって受ける印象が「そんなに違うのか」とびっくりさせられたのだ。


「あいちアートの森」展示風景 撮影:田嶋紘大

1.「あいちアートの森」の場合

この展覧会は愛知県にゆかりのある作家を集め、愛知県内6カ所で行なわれたアートイベントであった。
そのうちの1会場で大崎の作品が展示された「東陽倉庫テナントビル」は、元ボウリング場、そのあと住宅展示場に改装された、という不思議な経緯の建物であり、大崎作品はその一角で見ることができた。
一角といっても、かなりの広さや部屋数のある会場の、約30作家が展示していた作品をすべて見終えたあとの、行きどまったようなところであった。
奥行きがある、細長い部屋の壁に、映像作品《portraits》が投影されていた。
元ボウリング場のためか天井が高く、かつ、映像を投影するために部屋は真っ暗である。
黒い壁に、女性の肖像画の映像が天地の高さいっぱいいっぱいに映し出されている。
大崎は言う。
「この作品は、このあいちアートの森の現場に合わせてつくりました。
 制作のとき見ていたパソコンのモニターでの印象と、実際インスタレーションされたときの印象が明らかに違って、面白く感じたんです」
天井高3mくらいはあろうか、こんなに巨大な顔や描かれた顔の絵を私は見たことはない。
しかも静止画である絵画ではなく、映像作品であり、それは見ていると女性の顔の絵は上から下へ水に溶かしたように流れ去っていった。
かなりホラー、と私は足がすくんだ。
ピンクに近い紅色、散りばめられたスパンコールといった女性らしい表現でさえも、逆に女性であること、人間の肖像画の表現であることを打ち消していた。
暗闇の部屋の中で、自分が立っている場所から遠く離れた壁で起こっていること。
本来は対岸の火事のように、スクリーンと私が立っている位置の遠い距離は他人事にさせてしまいそうなものだ。
しかしむしろ絵が流れて行くという不安、絵が消えて行くことの恐怖が心に残った。


「アイチジーン」展示風景 撮影:大崎のぶゆき

2.「アイチジーン」の場合

「あいちトリエンナーレ」の関連企画で、愛知県立芸術大学芸術資料館で開かれた展覧会。
会場の広さや天井の高さ、床の素材からして、おそらく一般的に「美術館で見る」ということに近いのだろう。
グループショウのため、会場に入ると一番奥にあの女性像=《portraits》の作品が目に入った。
他の作家の作品をかいくぐり、大崎の作品が投影されている、薄暗くて広い空間に足を踏み入れる。
壁はL字形になっており、2つの作品が投影されていた。
L字形に作品が投影、というのは、2つの作品の画面は向き合うのではなく、右手に《World falls / Swimming the world》、正面が《portraits》が映っていた。
隣の作品の明るさもあってか、《portraits》の女性の顔に「あいちアートの森」で抱いたような怖さは感じなかった。
中世から近代にかけての肖像画からすれば、壁に映る女性の顔のサイズは大きいが、その大きさに驚くような意識はとられない。
《portraits》を大崎がどうやって描いて、どうやって溶かして行くのか、私は実際に知らない。
映された女性の顔は、水の中へ溶けてなくなっていく。
溶けて行くとき、顔の輪郭や筆の跡はぼやけ、下から上へ舞い上がるちりのようなもの、ゆらゆらしながら水と混ざって色は薄くなっていく。
絵具が水に溶けて行く、色があるものが透明になる、という当たり前のことに対しても心が震える。
はかなさも感じつつ、女性の表面つまりお化粧をした顔が溶けて行くさまはきれいだった。
そんな細部に気をとらわれて眺めていたら、顔は顔として認識することもなく溶けていっている。


「第19回奨学生美術展」大崎のぶゆき作品展示風景 写真提供:佐藤美術館

3.「佐藤美術館 第19回奨学生美術展」の場合

過去、大崎は奨学生として佐藤美術館を運営する財団から支援を受けていたため、この展覧会にOBとして参加することになった。
この美術館は普通のビルの天井高であるし、他の作品は絵画のため会場自体が明るい。
大崎作品《portraits》は展覧会場の角、少し暗くなっているような、3人入ればいっぱいというスペースに置かれていた。
これまで見て来た中で一番、部屋の大きさも投影される映像のサイズも小さかった。
大崎の言葉を借りると「他の《portraits》の作品のように、モニターで発表しているような大きさ」であり、「小さいと鏡を見ているよう」でもある。
そうなると画面(女性像)の細部ではなく、全体に目を向けてしまう。
描かれた肖像画、絵が存在すること、ここにある絵が溶けて行く、上から下へ流れて行く、周囲の水とまざり形や色が消える、やがて画面は白くなる。
そのプロセスを明確に把握できるのも、画面サイズが小さいからであろう。
作品をぼーっと眺めてしまう。
自分がお風呂で洗顔して、顔の化粧が溶けて行くさまを見たとき。
泣きじゃくって、目の周りのアイメイクがどろどろになってしまったとき。
自分の体験でお化粧が溶けて行くことは恥ずかしい、汚いことだと思っていた。
しかし描かれた絵のせいかもしれないが、こんなに女性の顔やメイクが溶けて行くことをキレイに見られる、なんてありえない。
いろいろなことを思い出してしまうのも、この女性像ときちんと向き合える距離、見せ方だったからだと思う。


masayoshi suzuki galleryでの展示風景 写真提供:大崎のぶゆき


作品《portraits》は映像インスタレーションという表現であるため、見る場によって受ける意識や感情はそれぞれ異なっているはずだ。
例えばこの3つのモニターでの作品は、愛知・岡崎にあるmasayoshi suzuki galleryでの展示風景である。
モニターにうつる肖像画が動くという仕組みは、2008年に全国巡回をした「液晶絵画展」での、ジュリアン・オピーの作品にも見受けられた。
大崎の作品はオピーとはもちろん異なるが、モニターで見せること、部屋が明るいこと、3人の溶けて行くスピード(あるいはループする時間)が異なることなどから、特に違和感なく見ることができた。
しかし今回私はたまたま同じ女性の肖像画が溶けて行く《portraits》を、大きさ・広さ・天井の高さがそれぞれ違う3会場に身を置くことができた。
大崎は言う。
「会場の大小、画面の大小ではなく、『顔が流れて行くことを体感すること』を意識しました。
だから映像自体を見せるのではなく、インスタレーションを体感する装置として考え、発表しているんです。
映し出された映像の大きさではなく、サイトスペシフィックに展示しています」。
彼が言うように空間に包まれることで、(絵画でも立体でもその感覚はあるのだろうが)各々の味が違う映像を見たような、摩訶不思議な感覚を知ることができた。
空間に左右されるのだろうか、空間を左右するのであろうか。
女性像が女性らしく見えるのか、女性をも超えて対峙できないものに見えるのか。美術作品が空間を生かすこともあれば、逆に空間で作品の見え方が違ってくることもある。
さまざまな疑問のシーソーがゆらゆらしながら、空間と作品の関係について、いまだ私は答えを探している。
そして同時に、大崎の他の作品、あるいは他の作家の作品についても、置きかた、見せかた、見えかたがとても気になるようになったのは確かである。

(注)大崎のコメントは2010年12月8日に電話にてヒアリングしたものである。
大崎の「崎」、正しくは  です。


「あいちアートの森」の大崎のぶゆき作品
2010年1月5日〜3月7日
※会場によって会期は異なる。
東陽倉庫テナントビルほか


「アイチ・ジーン」
2010年9月14日〜10月3日
愛知県立芸術大学芸術資料館(愛知県長久手町)


「第19回奨学生美術展」
2010年10月23日〜12月17日
佐藤美術館(東京都新宿区)

大崎のぶゆき・田中朝子展「volatile colors -揮発する色-」
masayoshi suzuki gallery(愛知県岡崎市)
2010年5月8日〜6月7日


「dimension wall」
2010年11月29日〜12月18日
ギャラリーほそかわ(大阪府大阪市

 
著者のプロフィールや、近況など。

藤田千彩(ふじたちさい)

1974年岡山県生まれ、東京在住。アート+文章書き。年末年始はトークイベントばかりやってます。




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