topreviews[黄金町バザール2010/神奈川]
女子美夏展 2010

なんとなくって…とっても芸術的

TEXT 安東寛

 私は今年は自身のアート活動を躍進させたいと思っている。そこで暑い中、日々精進している美大生達の作品に刺激を受けようと、女子美大の学生達の展覧会「夏展」にお邪魔してみた。


岡華子《生蝶》  ケント紙、パステル、千代紙
 岡の作品「生蝶」は年頃の女の子らしさが出た可愛い作品だ。自分が成長することにより、大人の女性を象徴した蝶が生まれるという、女っぽい大人の女性への成長願望を表現したものだ。
それを「満開の花びらが蝶の羽を形成し蝶が羽ばたいてゆく様子」で表現していて、タイトルも“成長”とかかっていて、ウマイ。蝶の羽に和紙を使っているのも効果的で、華やかさと雅さが融合した“日本女性”の香りを感じる。
また面白いのは花のつぼみが開花し、そこから蝶が生まれていること。女性への成長を二重に強調した表現なのだろうか。
しかし同時に女性への成長の特異さの表現ともとれる。花のつぼみの開花だけなら自然現象的な印象があるが、イモムシから蝶へは、“変態”といわれるだけあって、異なった姿の特別な存在に変身することを意味しているといえよう。
中央の女性は驚きの表情している。それが、予期せぬ出来事が起こっていることを表現しているかのようだ。まるで「ヒーロー物の主人公が自ら変身しておきながら変身後の自分の姿に驚いている」かのように。
年頃の女性にとっての大人の女性に変身...。それは突然の特別なハプニングのように感じるのだろう。そんな複雑な心理を上手に表現している。



浅野淑子《私が死ぬまで私を包む花》 布、ネクタイ、刺繍糸、アクリル絵具、フェルト
 浅野の立体作品は一見してギョッとさせる代物だ。様々な服の切れ端をつなぎ合わせたものに、上から赤い絵具をぶっかけている。
傷害事件現場で発見された被害者の血まみれの衣服にも見え、衝撃的だ。
しかしよく見ると数本のネクタイが足のように組まれ、その間に膜のように服の切れ端が張られ、中央に円形の頭部があり一つの目が鈍く光っている。生き物の形が表現されていることがわかると、捕まって吊り上げられたタコのようにも思えてくる。
しかしこの異様な外見のものが、ほとんどの人が忘れている誰もが世話になった人間の器官を表現していることを知ったとき、突如としてこの作品の重要性に気づかされる。
それは赤ん坊を包む膜、胎盤を表現したものだという。父と母の愛の結晶である赤ん坊を包む膜の表現に、彼女の愛する父と母の衣服の切れ端を用いているのだ。両親のまとっていたものを使って、自分が母の胎内でまとっていた胎盤を再現したというわけだ。
作品にかけられた赤い絵具は母親の血を意味している。
彼女は我々人間が一番初めに、衣服より先にまとったものは、胎盤であることを強調したいのだという。
思えば女性は赤い服を好む。もしかしたら母の胎盤への愛着から来ているのかもしれない。男は反対に黒や青などクールな色を好むのは、自分が所有していないだけあって胎盤の重要性を理解していないからなのだろうか?
生理等の体験を含めて生命を生む存在の女性らしい色は赤。女性が赤い服が好きなのは派手好きで目立ちたいからなどの理由ではなく、最初の衣服の赤い胎盤をまとっていたときの記憶から来ているのかもしれない。
浅野は女性独自の視点を重視したフェミニズムアートに興味があるとのこと。やはり生命を生み出す女性の存在は偉大で、そんな女性の生み出すアート力の力強さを再認識した。


樺澤侑里《ひとりぼっち宇宙ポリス》 アクリル絵具 



樺澤侑里《迷い道》 雲肌麻紙、岩絵具
 樺澤の「迷い道」はふんわりとして美しい作品だ。迷っている状態を美的に表現した感じだ。あいまいで幻想的な光景も、一本一本の細かいち密な線によって出来ていて、“明瞭なふんわり感”が心地よい。彼女のポートフォリオ内の作品にもメルヘンを感じさせる作品が多い。
しかしとなりの彼女の続作に目を移すと、うって変わってはっきりとしたテーマを描いているので戸惑う。それは「正義のヒーロー」をテーマにしたものだ。ヒーローの仮面を被りポーズを決めている人物の周りで、悪役とおぼしき怪獣やヒーローメカなどが踊っている。
この大きなテーマの変化は、あいまいで幻想的な夢から男性的で理論的な夢に関心が移ったからなのだろうか。もしくは抽象画から具象画への作風の関心からなのかもしれない。そうだとしたらなぜヒーローなのだろうか。
このヒーローは、彼女自身だとのこと。だからお面を被ったミニスカート姿なのだ。また自分はかっこいいと思うヒーロー物に周りの人たちは興味を持っていないことをさみしく感じているという。変身しきれていないのは、ヒーロー物の世界そのものを単純に描くことをためらっているからなのではないだろうか。
しかし幻想的なメルヘン世界を魅力的に表現できる彼女のこと、ヒーロー物という男子の永遠のメルヘン世界も彼女なりに描いてくれることだろう。今後の作品でのその答えを期待したい。


樺澤侑里《ヘンデルとグレーテル》 アクリル絵具


樺澤侑里《駄菓子屋》 雲肌麻紙 岩絵具
 洋菓子の造形に魅入られている斎藤。彼女の趣味は樹脂粘土によるフェイクスイーツ作りだ。ポートフォリオ内の過去の作品数には圧倒される。これだけの実力ならスイーツの見本作り職人になれそうだ。
そんな彼女の今回の作品は、洋菓子と和菓子をテーマにした2つの絵画だ。洋菓子編は、童話「ヘンデルとグレーテル」のお菓子の家をモチーフにしたもの。兄妹がお菓子の家を見つけたときの様子だが、必要以上にお菓子が描かれているのは洋菓子の造形への彼女の愛情からだ。発色のよいアクリル絵具が使われ、色鮮やかだ。
一方和菓子編は、今では消えつつある駄菓子屋の店先とお菓子選び中の彼女の妹の様子を描いたものだ。洋菓子の作品と対照的に色調も地味でモノトーンにも感じる。
また落ち着いた発色の和式絵具を使用し、対象物も和菓子ではなくお店がメインだ。しかしこちらのほうが、ストーリー性や情緒を感じ、深みがある。
この違いは、洋菓子と和菓子の特性も関係があるのかもしれない。洋菓子がわかりやすい刺激的な甘さのものだとすると、和菓子は甘さ控えめ深みのある味といえよう。またせんべいのような甘くないものも菓子とされ、和菓子の概念に奥深さを感じる。
それはまた、洋菓子が合成着色料をすることが多いのと対照的に、和菓子が自然本来の味や色を大事にすることの起因するのかもしれない。すると画材に関しても同じで、発色のよい洋式絵具は合成着色料で和式絵具は自然素材のイメージがしてくる...。そんな和洋の違いを考えさせられた作品だった。


齋藤優美《なんとなくな世界》


遠藤良実《祖母》 鉛筆画 
 今回の展覧会では対照的な作品が多いが、遠藤のものがその究極といえよう。メインの作品は、彼女の祖母を描いたち密な鉛筆画だ。しかしかたわらに置かれた「なんとなくな世界」と題した絵はがき大の抽象画のファイルのほうが気になった。それにしてもこれが同じ作者によるものとは考え難い。
まるで“落書きの寄せ集め”といった印象の彼女の「なんとなくな世界」。絵のアイデアが浮かびづらいことと作品数を増やしたいという、なんとなくでない切実な理由ではじめたものだとのこと。
ポートフォリオを見ると、基本的に人物のリアルな描写を得意としているようだ。しかし彼女は、ただリアルに描く作品でもなく、かといって“なんとなく”な感じなだけの抽象的なものでもなく、その中間に位置するような表現を模索しているのだという。
彼女の鉛筆画のシリーズは、家族をテーマに描いてゆく予定で、祖母はその最初の作品。次回の“母”からはリアルとなんとなくを合わせた独自の表現で挑戦するつもりとのことで、それが楽しみだ。
彼女は正確に描くことに楽しさを感じるそうで、それは正確な似顔絵を描いて高評価をもらうことと同じといえよう。“なんとなく”をはじめたことは、彼女の絵を描きはじめ、落書き的なものを楽しんでいた子供のころの心境に戻ってみたいとの、もう1人の自分の声からなのからかもしれない。


女子美夏展 2010
2010年8月20日〜22日、27日〜29日

art gallery, on the wind(神奈川県横浜市)

岡 華子
浅野 淑子
樺澤 侑里
齋藤 優美
遠藤 良実

 
著者のプロフィールや、近況など。

安東寛(あんどうひろし)

1969年 神奈川県生まれ。現在月刊ムーを中心にして執筆活動をする、妖怪と妖精を愛するフリー・ライター。
趣味で色鉛筆画を描いてます。




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