topreviews[大木裕之ACTION/福岡]
大木裕之ACTION




3日間とこれからのアクションのために

TEXT 小山冴子

     

9月25、26、27の三日間。福岡のオルタナティブスペース、art space tetraにて『大木裕之ACTION』と題して、作品上映、トーク、ライブ、そして音楽家とのパフォーマンスを含む3日間のイベントを行った。
大木裕之は映画監督として出発し、ビデオに持ち替えてからは日本全国を、時にはアジアまで巡りながら撮影をし、上映をするたびに編集するというスタンスで数多くの(本当に数多くの!)上映会を行っている。作品は上映の度に「○○mix」という形で提示されるが、それは完成であると同時に、あくまでその時のためのバージョンであり、編集の中の一つのパーツに過ぎないようにも思われる。一つの作品が完成するまでには何年もかかるし、完成がないのではと思うこともある。(実際にビデオに持ち換えてからは、「完成」となった作品はほとんど無い。)作品には『ナム』のように「7月6日」をキーワードにした映画もあれば、毎年決まった日に撮影をして積み上げていくものや、一つの都市をテーマに撮影を続けているものなど、各々独自のルールがあり、いくつかの作品は平行して撮影が進められている。
大木裕之による近年の展覧会では、彼が撮影の合間に(もしくは撮影をしながら)描いていくドローイングが映像とともに展示されることが多いが、そのドローイングを見ると、まるで大木裕之の思考の形跡のように思える。そして同じことは映像作品についても言うことができる。人の名前や出来事や、大木がその時に考えていたキーワード、そういったものがまた次の人物や都市へと線で繋がり、広がっていく。大木裕之と出会った人、都市、そこでの会話、目に留まった物、考えたこと、考えさせられたもの。それらは彼の中にある物語と反応し、関係をつくり、また次の関係へ広がっていく。あるときは、忘れていた記憶の底の出来事が、ある出来事によって拾い上げられ、まるで重要なキーワードとして加わることもある。そしてその全てが彼の映像作品の中に収められていく。

大木裕之はパフォーマーであると、私は思う。彼にとっては「撮る」という行為自体が一つの身体パフォーマンスである。もちろん映像作家/映画監督としては、ビデオを撮るその瞬間に、今撮影された映像がその映画のどの位置に来るのかを、ほぼ無意識に頭のなかで構成しなおしていると本人も語る。しかし大木の撮影の手法は常に即興的であり、そこに「撮影する」という身構えのようなものもない。いつも身一つで対象と、あるいは自分自身と向き合っている。彼がなぜカメラを向けるのか/向けないのか、移動するのか/留まるのか、その時々で編集を繰り返すのは何のためか。作品を作るという行為全体―カメラを向け、編集し、上映するーを、大木裕之は、今自分が位置しているその状況や環境への反応ーアクションーとして行っている。
この企画自体が、大木裕之がパフォーマーとしてどういう動きをするのか、ジャンルをこえて様々なものと対峙したときに、どういう動きを見せるのか、また音楽家であり陶芸家である工藤冬里とのセッションー工藤冬里は愛媛県松山に住む音楽家で、Maher Shalal Hash Bazというバンドで世界的に活躍しており、陶芸家としての顔も持っている。彼は大木裕之の作品『TRAIN』に少しだけ映っており、そこで「マイクロポップ」について大木に話題を振られている。大木にとって気になって仕方のない人物でもあったーに対してどうアクションをするのかを、私が見てみたかったという非常に個人的なところから始まっている。最終日のパフォーマンスについても、私自身まだ消化できていない部分が大きい。ただ最終日に、パフォーマーとしての大木と、映画監督としての大木と、様々な顔を見ることができたと思っている。細かい分析やレビューはまた自分のウェブサイトなどで今後やっていく予定であるが、ここでは簡単に三日間の報告をあげたいと思う。

25日 ACTION01  上映会

大木裕之が映画監督として世にでるきっかけとなった作品『遊泳禁止』(1989年、89分、イメージフォーラムフェスティバル1990審査員特別賞)と、福岡で映像作品を製作する坪根正直の『海風』(2010年、5分)の上映、そして司会を入れてのトークを行った。『遊泳禁止』は、大木が大学在学中に山で住み込みのアルバイトをしたときに撮影されたもので、トークではそのときの話や、現在福岡で撮影をしている映画『LAST CITY』についての話を伺った。

26日(昼) ACTION02-1 上映会

『優勝ールネッサンスー』(1995-98、88分、製作・JEANS FACTRY、サンダンス映画祭1999招待作品)と、『カム』(2006年〜、)の上映。この日より、大木は会場内に荷物を広げ、まるで自分の部屋のように振る舞っていた。広げられたものは洋服やお金や読み止しの本やCD、脱いだ靴下などもある。『優勝ールネッサンスー』が10年前の映画であるため、そこに今の自分自身や生活をインスタレーションとして提示したのだという。『優勝ールネッサンスー』の上映中、大木は画面が投影されている壁のすぐ脇で、この後上映するための作品『カム』を編集していた。『カム』は2006年の福岡から撮影が始まった映画らしく、開場前に大木はその時の話をしながら、様々なことを連鎖的に思い出しては編集につなげていっているのが印象的だった。この編集分は『優勝〜』が終る少し前に編集が完了し、そのまま『2010.0926 mix』として上映された。

26日(夜) ACTION02-2


 
 
     
福岡を中心に活動するミュージシャン、ダンサーとの音楽イベント。まず最初に福岡で映像作家/カメラマンとして活動を続ける園田裕美と、ダンサーのイフクキョウコによるユニットが登場し、映像と身体とが重なり、ズれ、錯覚をおこさせるような、二人がここ最近取り組んでいる作品を披露した。次の出番は大木裕之であったが、彼はイベントが始まる直前まで自分の部屋と化したテトラの床で寝ており、全く打ち合わせをしていなかった。本人も直前までほぼ何も決めていなかった。だがそれは、共演者たちがどのような振る舞いをするのかを待っていたのだと受け取ることもできる。そしてそれは大木の常日頃のスタンスのようにも思えた。大木は、前の二人が使った小さい布のスクリーンを使って、そこに過去の作品をまず投影し、その後もう一台のプロジェクターで、壁面に、作品タイトルは分からないが別の作品を上映した。大木が直接プロジェクターを動かすことで、二つの画面は交差し、画面は天井や窓や壁や、様々な場所を行き交った。プロジェクションの中での大木裕之の動きと言葉は本人の映像と影と相まってまた別の物語を作りだすようだった。そして演奏はそのまま次の倉地久美夫へ引き継がれる。大木のダンスの中には、あきらかにその前にイフクキョウコがした動きが取り込まれていたように思う。(本人は気にとめていなかった)プロジェクターの投影にはその場にあったビール瓶の影が取り入れられ、また映像が外の光に干渉されたのか、投影している方向と別の位置にピンク色を帯びた画像が映るということもあった。そしてその全てを大木は自分のアクションの中に組み込んでいく。倉地が演奏している間、大木はある時はプロジェクターを動かして、倉地を照らし、あるときは歌を聞いていた。最後に出演した諸岡光男は、大木裕之の作品の音を演奏に取り込んで、それを画像にして転がし、操作するような演奏を見せた。
音楽と映像とパフォーマンスと、さまざまなものが交差し、影響し合うライブイベントとなった。

27日 ACTION03


 
 
 
     
工藤冬里と大木裕之によるパフォーマンス。なぜ工藤冬里か、ということについては、企画した私が二人の作品に少なからず共通したものを見いだし、この二人が一体どんな反応を起こすのか興味があったからだが、工藤冬里とは昨年の展示の際に、大木裕之の作品について、大木裕之自身について、そして、個人的なものと普遍的なものについての話を少しだけどしていて、その話が今回に繋がった部分もある。二人については、イベント前に工藤冬里にあてたメールをとんつーレコード(このイベントの主催は「とんつーレコード」になっている)のホームページにのせてあるので読んでいただければと思う。
工藤は今回「純粋に即興をするのだ」と言った。この回では、前日のライブイベントに参加した映像の園田裕美に記録撮影に入ってもらったのだが、工藤は大木裕之と園田裕美の二人に鈴を付けた。二人が動く事で鈴が鳴り、その「二つ音があればループができるから、それと自分の中に訪れるものが重なるのを純粋に待って、重なった時に即興で演奏す」るということだった。対して大木裕之は、自分の思ったように動く。つけられた鈴を鳴らし、呟きながら壁の黒い汚れを修正し、気になるものを触る。鈴を転がす。園田は撮影に集中しているため動きが慎重で、鈴が鳴らなかったので、2つの音のループによる即興の契機をあきらめた工藤は次にデジタルハリネズミというトイカメラを取り出し、演奏する自分を撮影→PCに取り込んで投影→撮影→投影を繰り返した。そこに大木裕之の作品が重なり、二つの映像は大木によって場で混ぜ合わされ、上映された。

このパフォーマンスで存在したのは、撮る者と撮られる者、そしてパフォーマーと監督だった。
撮影者に徹する園田と、撮影される対象になった大木、そして工藤は演奏者であり撮影者であり、撮影される者(自分にも園田にも)でもあった。また工藤によって撮影された作品が提示されたときに見えたのは、大木裕之の監督としてのアクションだった。
映像が二つ重なるとき、大木裕之は片方を隠し、音の調整に指示をだした。その後も続いたパフォーマンスでも、撮影に徹する園田に「もっと動かないのか」「撮影をやめないのか」と投げかけていた。これは大木裕之が監督としてこの場所をコントロールしようとしているように私には思われたし、さらに別の展開へ別の展開へと、出演者を動かそうとしていた。こういったやり方は間違いなく大木裕之の映像作品の手法だ。
連鎖反応のようにして、次から次へ動きが繋がって行く。大木はいつまでもアクションを止めようとしない。このパフォーマンスに終わりはくるのだろうか、と思いかけたころ、はじまってから1時間半ほどして、当初30分あるかないかと言われていたパフォーマンスは客のビールを買いにいく動きによって終了した。

この3日間、特に3日目で何がおこったのか、私はまだ整理できていない。記録も纏められていない。しかしこの3日間をふりかえって、いや、そのはじめの打ち合わせ、もしくはもっと昔、それこそ大木裕之の作品を初めてみたときから、このアクションは始まっていたのではないかと思う。大木裕之と福岡で会う機会があり、その後水戸芸術館の展覧会で作品を見た。2008年に偶然横浜で見たパフォーマンスがきっかけになり、それが自分が今もっている興味の対象とも重なり、大木裕之の言葉や作品と繋がり、このイベントに繋がった。そしてその打ち合わせも、作家の移動の都合などもあって「タイミングが合えば」会って話す、とか、「一つ一つ片付くのを待って」体勢を整えながら動いていったために、実際に2日目のライブの出演者が全て決まって告知ができたのは初日の朝だった。大木裕之は打ち合わせの時も本番の準備の時も、私に言った。「あなたのディレクションが入るんでしょう?」それはものすごいプレッシャーになったし、そう言った本人がそれに対してどのような反応ーアクションーを起こしてくれるのかがさらに楽しみでもあった。
具体的に内容について話が転がりだしてから本番まで2週間もなかったが、勢いよく転がっていくエネルギーと瞬発力があった。思ったことは臆せずに伝えたし、作家もそれに本音で答えてくれたと思う。大木裕之のアクションは、私のアクションを含めて既に始まっていた。今回のアクションはまた次の作品、次の大木のアクションに繋がっていくのだと思うし、見に来た人にも繋がっていってくれればと思う。今後どのように繋がって行くのか、また私自身もどこに繋げられるのか、見ていきたいと思っている。

3日間の簡単なレポートをあげておく。
ここでは触れられなかったが、工藤冬里も音楽家ではあるが陶芸家としての顔があり、舞踏のパフォーマンスがあったり、ドローイングをしたりと、表現方法にこだわらない。大木裕之もしかり。大木裕之は映像作品だけでなく、映像と身体とを結び付けるようなパフォーマンスを近年多く行っている。この二人をぶつけることで一体何かが起こったのか、それはもちろん見た人それぞれに委ねられる。だから私は私に起こったことを書いていくしかない。ここでは3日間の出来事を簡単にまとめた。そしてこれからはこのアクションをもとに、自分なりの解答を、アクションを、たぐり寄せていくしかないと思う。それはとても個人的な所からしか出てこない。しかしその個人的な見解が、いつしか普遍性を持ち得ればとも思う。そう、二人の作品のように。

大木裕之ACTION
2010年09月25日ー27日
art space tetra

9月25日(土) 
19時〜 ACTION 01 screening & talk
上映作品
大木裕之作品『遊泳禁止』(1989年、89min)坪根正直『海風』(2010年、5min)
トーク:大木裕之、坪根正直、池澤廣和

9月26日(日)
15時〜ACTION 02-1 screening
上映予定作品
・『優勝ールネサンス』(1995~1998、88min)
・『カム 2010.0926mix』(2006~、30min)

19時〜ACTION 02-2 Live performance
大木裕之/園田裕美/諸岡光男
イフクキョウコ/倉地久美夫

9月27日(月)
19時〜ACTION 03
大木裕之/工藤冬里

 

 
著者のプロフィールや、近況など。

小山冴子(おやまさえこ)

1982年生まれ。2007年よりart space tetraメンバー。様々な展覧会やイベントを企画する。
2009年より自身のレーベル「とんつーレコード」を開始。現在大阪在住の作家・梅田哲也のCD&DVDセット「○(しろたま)」と、インディペンデント・キュレーター遠藤水城によるインタビュー集「アメリカまで」をリリースしている。特に「アメリカまで」は美術に関わる人には絶対に読んでほしい本。とんつーレコード

今回の大木さん企画をしてみて、自分自身かなり考えさせられました。本文中にも書いていますが、ものすごくタイミングと流れに乗って内容が決まっていったし、自分の思っていることを恐れずにぶつけなくてはならなかったし、そうでないと何も進まなかったと思う。
このようなイベントができるということ、フットワーク軽く動けるということが、自分達でスペースを運営していることの強みだと思いました。
やりたいことをやる。そのためにやっている。
art space tetraでは常にメンバーを募集しています。遠方にお住まいの方でもOKです。  
大木裕之
東京大学工学部建築学科在学中の80年代後半より映像制作を始め、卒業の翌年に製作した『遊泳禁止』がイメージフォーラム・フェスティバル1990年度審 査員特別賞受賞。1991年からは高知県に制作活動の拠点を置くようになり、「ターチトリップ」(1992-93)など、初期の代表作群を立て続けに制作、1995年には 「天国の六つの箱 HEAVEN-6-BOX」(1994-95)で、第45回ベルリン国際映画祭ネットパック賞を受賞。その後も、サンダンス映画祭、ロッテルダム国際映画祭、山形国際ドキュメンタリー映画祭など数々の映画祭で作品が招待上映され、高い評価を得ている。その表現活動は、映像制作のみに留まらず、ライブ上映、インスタレーション、身体パフォーマンス、ドローイングやペインティング作品にまで 及び、1999年の「時代の体温」(世田谷美術館)を皮切りに、国内外の展覧会にも多数参加し、現代美術のシーンでも常に注目を集めている。

工藤冬里/Maher Shalal Hash Baz
70年代から日本のアンダーグラウンド・シーンで活躍する音楽家。ギターの弾き語りから、ブラスをフューチャーした大アンサンブルまで時と場所により形を変え、演奏も様々な人々が参加するグループMaher Shalal Hash Bazは、Pastelsのレーベル、 Geographicから発表した『From A Summer To Another Summer (An Egypt To Another Egypt) 』(2000)、『Blues Du Jour (今日のブルース)』(2003)の2つのアルバムで広く海外にも知られ、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアなどでもツアーを行っている。
工藤の作る音楽は、シンプルで美しいメロディーの楽曲と今にも破綻しそうな演奏の絶妙なバランスが特徴的で、海外のプレスからは「Master of Mistake」の称号(?)を得ている。
2007年にはキャルヴィン・ジョンソン(ビート・ハプニング他)が主宰するアメリカの名門インディーレーベル、Kレコードより『L'Autre Cap(邦題:他の岬)、2009には同じくKレコードより3枚組み237曲の大作『C'est La Derniere Chanson』をリリースしている。
切なく、はかなく、ナイーブで、失敗と希望にあふれたマヘルの、そして工藤の音楽は、「僕達の不完全な日常」にあまりにも似すぎている。




topnewsreviewscolumnspeoplespecialarchivewhat's PEELERwritersnewslettermail

Copyright (C) PEELER. All Rights Reserved.