topreviews[福山えみ「works 04-05」/東京]
福山えみ「works 04-05」


「notitle, 2005」

距離の中からあらわれるもの
TEXT 中島水緒

ある作家の軌跡を定点観測するとき、私たち観賞者はどうしても作品の外見上の変化を取り沙汰しがちである。色彩が鮮やかになったとか、これまでにないモチーフが扱われているとか、過去作との差異にはどうしても意識が向かいやすいものだ。比べて、新作に目立った変化があらわれない場合、「いつも変わらない」ことがネガティブな評価の対象になってしまうことも少なくない。実際は「変わらなさ」の中にもさまざまな様相があり、それが停滞なのか意図的な反復なのか、あるいはもっと別の理由に拠るものなのかを見極めるのは、非常に難しい作業であるのにも関わらず。

5人の写真家が共同運営するTOTEM POLE PHOTO GALLERY(トーテムポールフォトギャラリー)は、新宿という都市の象徴として強烈な磁場を帯びる街にありながら、およそ新宿らしくない、起伏ある道なりや墓地や小さな公園といった風景が続くその先にスペースを構えるギャラリーだ。
このレビューで取り上げるのは、メンバーの一人、福山えみの個展である。目下のところ福山は「月がついてくる」と題されたシリーズを展開しており、2008年からTOTEM POLE PHOTO GALLERYを中心に同シリーズの発表を続けている。今年の5月にも「月がついてくる5」の展示が開催されたばかりで、筆者はここで初めて福山の作品を実見した。人気のない住宅街や何の変哲もない路地、少し寂れて見える建物などを撮影した写真群は、パリの街角を非日常的なイメージのもとに撮り下ろし、シュルレアリストたちから多大な称賛を受けたフランスの写真家、ウジェーヌ・アジェの不在感に満ちたプリントとどことなく似通う。ただし福山の場合、時に大きく傾ぐ視点、不安を掻き立てる仰角の構図などに特徴がある。見る者は不安の正体を求めて次の一点に目を写すのだが、そこでもまた明快な何かが差し出されることはない。

目的地らしい目的地を持たない延々と続く彷徨。撮影場所はさまざまに移り変わるが、旅のロマンティシズムを強調するわけでもなく、どちらかといえば淡々とした調子で景色が映し出される。過去の作品を収録したファイルを参照しても、街の喧噪と現実感を廃棄した静寂の世界は、シリーズを通じて変わらず貫かれている印象を受ける。もちろんこの「変わらなさ」の印象は、すべての写真がモノクロームに統一されていることにも由来しているだろう。情報過多な現実の色彩は抑制の利いた濃淡に翻訳され、天候も時間帯も判別しがたい視覚世界を生み出すのだ。


「notitle, 2005」

そして7月の最終週に開催された今年2回目の個展「works 04-05」。ここでもまた、どこまでも続いていきそうな世界観、変わらぬ質感や温度がキープされていると感じられた。
だが実は、「works 04-05」で展示された写真は新作ではない。福山がモノクロームで撮り始めた2004〜2005年頃の作品なのだという。

なぜ今、このタイミングで過去の作品を展示するのか。写真家の狙いは「月がついてくる」以前の作品を提示することで過去と現在の差異を浮かび上がらせることなのか、それとも現在の探求の原型となったものを改めて検証することにあるのだろうか?
子細に観察すれば当時と現在の違いが見えてくるのだろう、だが2つのシリーズを続けて見て一番興味深かったのは、「月がついてくる」のスタイルの萌芽となるものが既に「works 04-05」にあらわれていることだった。

 
「notitle, 2005」


「notitle, 2005」
具体的に言うとそれは、眼前に広がる景色と自分の身を常に隔てておく距離の取り方である。
「月がついてくる」シリーズでは、被写体と写真家の眼のあいだを遮る要素がしばしば登場する。たとえば柵やフェンス、塀、窓枠など。それらは極端にぼやけることもあり、眼差しの発生を反省的にとらえるような構図と窃視者の視線を生み出している。
一方、「Works 04-05」でも、頭上から垂れ下がる暖簾のようなもの、ドアの覗き窓のフレームなどが、同様の効果をもたらしている。たやすく対象と馴染まず遮断物やフレームを設定し、一定の距離からイメージをつかまえようとする眼差しが2つのシリーズに共通しているのだ。福山の写真に「変わらないもの」を感じるとしたら、何よりもまずこうした距離感に由来すると言えるのではないだろうか。

ところでこうした距離の取り方は、写真家自身によってどの程度意識的にコントロールされているのだろう?
風景と馴染まぬまま場所を移動する写真家の眼は、能動的に、何かにめがけて一直線に向かっていくタイプのものではないかもしれないが、たとえ遠く離れたところからでも、こちら側にサインを送ってくる要素には敏感である。
物陰の隙間から覗く看板、交通整理用のコーン、それに物干し台にかけられたタオルの亡霊的な白さ…。一見何でもない事物が不気味な反映となり、見つめ返す眼差しとなる。これらは写真家の投げかける視線との相互関係において、近さと遠さの間を行き来する距離のなかで捉えられるイメージである。


「notitle, 2005」


いや、もしかしたら囚われているのは撮影者の方なのだろうか?見つめ返す眼差しに似たイメージは複数のプリントに転移し、行く先々のどこまでもつきまとう。ちょうど、引き離そうとしてどれだけ歩いても、空を見上げれば変わらない距離の先に位置して見える月のように。

ある種の揺らぎをはらみながら持続してきた世界が、この先どんな風に着地点を結ぶのか。写真の「魔」にとりつかれたような福山の歩みをこれからも見届けていきたい。

福山えみ「works 04-05」
2010年7月27日〜8月1日

TOTEM POLE PHOTO GALLERY(東京都新宿区)
 
著者のプロフィールや、近況など。

中島水緒(なかじまみお)

1979年東京都生まれ。
雑誌やWeb上で美術展のレビューなどを執筆。




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