topreviews[かくしごと/神奈川]
『かくしごと』
《かくしごと》キャンバス・油彩

愛情が積もり積もって...、爪の山となる
安東寛

 去年の10月私は、以前から学生達の展覧会のレビューを書かせてもらう形で応援させてもらっている、女子美大の学園祭に行った。その中のイベントで、“展示している学生達の作品の評価を来場者の投票によって競う”というアート・コンペティションが体育館で行われていて、そこで私は山本の作品と出会った。
彼女の作品は他の学生の作品と比べて異彩を放っていた。
それは“大量のビン詰めにされた爪”のドローイングや、“自ら噛んだり切ったりした実際の爪の山のオブジェ”などの展示が、インパクトがあったからだ。自分の体の一部を作品化することも変わっていたが、なにより“爪の山”という作品に尋常ならぬものを感じ、思わず会場の係員に「本人に私の名刺を渡してください」とお願いしてしまった。


《Mother's Day》キャンバス・油彩

 
《Mountain of fingernail》爪・石膏

 
 


 そして後日「女子美大の学生3人でグループ展を開く」との連絡があったため、今回会場の新宿のギャラリーまで足を運んだのであった。私はその時点ではまだ、“自分の爪を作品化する彼女の作風”に関しては、「他人より目立つものを作りたい」という、パフォーマンス程度の意味なのだろう、と思っていた。しかし私は彼女の話を聞くうち、爪の山の作品が、「誰もが持っているであろう“幼児期の本能”ともいうべき根源的な感情」を具現化したものであることに気づかされ、山本の世界観に引き込まれていくのであった。
グループ展「かくしごと」の展覧会会場内でひときわ目を引いたのは、“爪の山の中の部屋で抱き合う2人の女性”の絵「かくしごと」、そして“爪の山の上にプレゼント用のリボンを掛けようとしている女性”の絵「Mother's Day」だ。2点とも異様な光景を描いた美しい作品だ。今回の作品も学園祭のときと同様、爪の山をモチーフに描いたインパクトのある独特の作品であるが、爪の山の意味に関しては、説明を受けると意外とすんなり理解できた。大量の爪は、“爪噛みグセ”で噛みちぎった爪が積み重なったもののことだったのだ。
その“爪噛みグセ”とは一般的に、“指しゃぶり”と同様に「幼児期の甘えたい気持ちが解消されないときの精神的ストレスからくる」といわれているもの。彼女の爪の山は、「噛んで捨てて山となった甘えたい気持ちの集積」という意味なのだ。
そしてその“甘えの対象”は彼女の母親だ。彼女のクセが始まったのも、幼稚園のときに母親が働きに出るようになってからだった。それまで甘えられてベッタリできた母がいなくなり、家に一人ぼっちでいなくてはならない時間が多くなったのだ。彼女はそのころから、噛んだ爪を部屋の片隅に集め始め、山ほどの大きさになったら、母に見せてほめてもらおうと思っていた、という。
先ほどの「Mother's Day」は、その山となった爪を母の日にプレゼントする、という意味の作品だ。甘えたい気持ちが山と積まれた、いわば“愛情の証明の結晶” にリボンをかけプレゼントする光景...異常なように見えるかもしれないが、けなげな美しさが溢れている。

 そんな“爪噛みグセ”に関しては、そのクセがあった人も少なくないだろうし、彼女に共感できる人も多いのではないだろうか。しかし彼女の場合は“山となるほど”のもの。
普通の“母親への甘え”のさらに上を行く、特別で複雑な感情を母親に抱いているのだ。
まず彼女の母は彼女にとって、“甘えたい母”であることはもちろん、「アパレルの仕事に出勤する際の母の姿がとてもきれいだった」との理由で“憧れの女性像”でもあるという。また華奢で体が弱いことから“守ってあげたいか弱きプリンセス”。そして母親の母(山本の祖母)が若くして亡くなったため、“新しい母がやって来る”という悲しい境遇であったことで“悲劇のヒロイン”的存在でもある。
さらになぜか、恋人に近いような感情も感じるとのこと...。これだけ複雑な愛情が交差した相手なら、その強い愛情の喪失感を感じれば爪の山もできよう。
 そんな彼女の最も好きな、母といっしょにいる瞬間は、作品「かくしごと」に描かれている、トイレで抱き合っている瞬間だ。彼女は実際、毎年月経のときに異常なほど体調が悪くなり、トイレの中で苦しい時間をすごすことがある。そんなときはトイレから母を呼び、下半身をあらわにしたままの姿で、母に「よしよし」となだめてもらう...。
彼女はその時間が、苦しいけれどとても幸せとのこと。この「かくしごと」は鑑賞者に、“禁断の2人だけの尋常ならぬ美しい世界”を目撃してしまった気分にさせる、危険な魅力を持っている。
 総じて、彼女の作品を鑑賞して感じたのは、“ある女性の深い感情に触れた”といった感覚だった。あまり絵画鑑賞をした気にならなかった、珍しい後味の展覧会であった。
 ところで今回のグループ展に彼女は、ヒロインの母親を招待しているとのこと。彼女は、母への深い愛情の告白的意味を持つ今回の彼女の作品をどのように受け止めたのだろうか...? とても気になる。


《09/12/11 22:26 TO-》

 



 また今回の出展者の1人佐々木の作品を紹介したい。彼女の作品はうってかわってロジカルで面白い。
彼女は様々な物質を構成している細胞というものに興味があるという。一つ一つの円形の小さな集まりによって物質を構成している、小さくも大きな存在、細胞...。そんな細胞について考えていたあるとき、「文章を一つの物質ととらえると、文章が一つ一つの文字という細胞によって成り立っている...」、そんなイメージを表現したくなったという。
そこで今回の作品では、“携帯のメッセージの一文”をいくつもの文字の細胞によって出来上がっているイメージを描いた。
その文字という平面的存在を、細胞のような立体に近づけるための彼女の手法が面白い。
それぞれの文字をコンピューターソフトの回転機能によって、文字の右端を中心に10度ずつ回転させては一度止める...。そして一回転させて出来上がった円形の文字が、彼女の“文字細胞”なのだ。
一回転させているので元の文字の形は判別できないが、彼女の作品「09/12/11 23:26 TO-」では、“ プリン−[ビックリ!][顔] ”の一文が、文字細胞によって作られているのだ。10度ずつの回転を解いて平面に戻したときに見えてくる暗号のようで楽しい。
 またこれらの文字細胞は回転させたことによりそれぞの形が歯車に似ている。そのため、“歯車の一つ一つによって一文が成立していて、たくさんの歯車で文章が動いている”といった様子を表現しているようで、妙にしっくり来る。なんだかとてもロジカルで、良いところに目をつけた彼女の作品である。


《山・山梨県》木製パネル・油彩

 
《山・神奈川県》木製パネル・油彩


 最後の1人の出展者、朝倉の作品は、小さいサイズながらもダイナミックだ。
それらは、自分が神奈川県や山梨県の山道を歩いているときに見た風景を描いたものだ。
気になるのは、山中にあるとは思えない、ピンクや水色などの色が渦を巻くように山道の風景を構成していることだ。山中のどこでそんな色を見つけたのだろう?と疑問に思う。
しかし彼女の、「山は、いろんな生き物を引き寄せたり追い出したりする、感情を持った巨大に生き物のようである」という言葉にヒントがあるようだ。
もしかしたら、山中で“山の情熱的な感情”の部分を感じたときにピンクで表していたり、“冷酷な感情”を感じたときに水色で表しているのかもしれない。
 例えば「山・山梨県」という作品では、まるで山が噴火を起こしているかのような描写をしている。しかしそれは、山を見たとき、“情熱的もしくは怒り”に似た感情を感じ、噴火に似た表現を用いたのかもしれない。
またこの絵に関しては、彼女はキャンバスである木のパネルを、削ったり叩いたりと、アクションをしながら描いたとのこと。そんな風に彼女は、絵と格闘しながら描くのが好きなのだという。それはまるで絵の対象物の心の扉をノックし、本音や感情を引き出そうと刺激しているかのようだ。
さらに彼女の「色選びを大事に考えて絵を描く」との言葉にも、色という感情をむき出しにして、ぶつかり合って絵を描く姿勢が表れている。そうして完成したときにはお互い理解しあっている、といった描き方をしたいのではないだろうか。私もそんな「絵と分かり合う」描き方で自分の絵を描いてみたいと思った。

 今回のグループ展「かくしごと」は、出展者が三種三様でバランスが取れている感じがした。彼女達の作品は、ダイナミックなもの、ロジカルなもの、人間の感情を表現した繊細なものと、三拍子そろっていて良いトリオといえるだろう。

かくしごと
2010年2月17日(水)〜2月22日(月)
朝倉優佳
佐々木紘子
山本桃花
3人とも女子美術大学 在学中

ギャラリーきらり(東京都)
 
著者のプロフィールや、近況など。

安東寛(あんどうひろし)

1969年 神奈川県生まれ。現在月刊ムーを中心にして執筆活動をする、妖怪と妖精を愛するフリー・ライター。
趣味で色鉛筆画を描いてます。

月刊ムー(4月9日発売)で、"パワースポット紀行・浜離宮"と"「口裂け女」最後の真実"という記事を書かせていただきました。よろしければご覧ください。




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