topreviews[田口健太展 “はじまり”/愛知]
田口健太展 “はじまり”

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a.《目指す》ゼラチンシルバープリント 428×530mm
b.《Portrait #1》ゼラチンシルバープリント 428×530mm
c.《あっち》 ゼラチンシルバープリント  260×200mm
d.左)《はじまりの樹 #1》ゼラチンシルバープリント 1920 × 980 mm 中)《はじまりの樹 #2》ゼラチンシルバープリント 1920 × 420 mm 右)《はじまりの樹 #3》ゼラチンシルバープリント 1920 × 420mm
   

現実と非現実の境界に立ち上がるリアリティ

TEXT 田中由紀子


 
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e.《Mansion 1-1》ゼラチンシルバープリント 260×200mm f.展示風景

 名古屋市の長者町繊維街にオープンしたギャラリーで開催された、田口健太の初個展。
 遠くの山に向かって歩く一人の女性がモノクロームで捉えられた《目指す》からは、まるで見知らぬ土地に降り立ったかのような孤独感が伝わってきた。それでも殺伐とした荒野を進む彼女の後ろ姿には、生きにくさを抱えながら日々を送る私たち現代人が映し出されているかのようだ。
 どこか違和感を覚えるのは、表面の光沢や質感からこの作品が「写真」であることは疑いがないものの、実在する風景を撮影したわけではないからだ。目を凝らすと確認できる木炭のかすれやその濃淡による陰影は、それが「絵画」であることをも示している。
 田口は自身が思い描くイメージや実在の風景を紙に描き起こし、それを転写し印画紙に焼きつけるという独自の技法で制作している。あえてこうした方法をとるのは、写真と絵画の境界を曖昧にすることで現実と非現実の境界を曖昧にし、現実とは何かを考えたいからだという。
 一般的に写真は現実が映し出されたメディアであり、絵画は現実の似姿や想像上のイメージが表されたものと考えられがちだ。しかし、近年では写真の加工や合成は簡単にできるし、撮影者が対象をどう捉えるかという主観が反映されるため、写真であっても現実そのものが映し出されているとはかぎらない。絵画も想像上のイメージはもちろん、実在の人物や風景が写実的に描かれた場合でも、描き手の主観を排除することはできない。ということは、私たちが現実と考える世界には主観というレイヤーが幾重にもかかり、すでに非現実化しているのではないか。
 一方、現実でなければ私たちがリアリティを感じないかといえば、そうともいえない。作品を見て共感したり感動したりするのは、非現実や虚構にも生身のリアリティを覚えるからだ。そうすると、もはや現実とは何かは問題ではなく、私たちが何にリアリティを感じるかが重要なのではないか。
 写真と絵画の境界に立ち上げられた現実にはない世界に、同時代のリアリティを覚えながら、私はそんなことを考えていた。

田口健太展 “はじまり”
2009年10月10日〜11月2日

STANDING PINE-cube(名古屋市中区)
 
著者のプロフィールや、近況など。

田中由紀子(たなかゆきこ)

美術批評/ライター
http://artholicfreepaper.blogspot.com/




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