topreviews[ 堂島リバービエンナーレ/大阪]
堂島リバービエンナーレ


手前:シュー・ビン《魔法の絨毯》2006年、奥:アルフレド&イザベル・アキリザン《アドレス(プロジェクト:アナザーカントリー)》2007-2008年
上:チャーリー・ニジンソン《漂流する人々》2008年、下:ツェ・スーメイ《語られた多くの言葉》2009年


リアリズムの召喚

TEXT 高嶋慈

二つの「反映(リフレクション)」

 ひんやりと薄暗い会場内に足を踏み入れると、まずチョロチョロという涼しげな水音が出迎えてくれる。一見、普通の噴水のように見えるツェ・スーメイの《語られた多くの言葉》に近寄ると、流れているのは透明な水ではなく、真っ黒なインクであることが分かるだろう。歴史の証言として、文学作品として、あるいは愛する者への手紙として記された言葉が、インクという物質に還元され、歴史の奔流をなす様を象徴的に示す、美しさの中に不気味さを湛えた立体作品である。さらに頭上には、本物の「水」が作り出した驚異の光景を舞台にしたチャーリー・ニジンソンの映像作品《漂流する人々》を設置という、心にくい対比。雲や光の移ろいを鏡のように映し出す広大な水面に佇む人影は、神のように超越的な存在にも、孤独に立ちすくむ存在にも見える。水面に映る事物の反映(リフレクション)と、混迷する現実世界の反映(リフレクション)としてのアート―本展のテーマ「リフレクション:アートに見る世界の今」に込められた二つの意味を予感させる、印象的なオープニングだ。


 
シュー・ビン《魔法の絨毯》部分、2006年

ディン・Q・リー《農民とヘリコプター》2006年
   
グローバリゼーションの光と影

 今回が第一回目となる堂島リバービエンナーレは、2006年と2008年の過去二回にわたって開催されたシンガポール・ビエンナーレから、26作家を選抜して構成されている。アートディレクターとしてキュレーションチームを率いるのは、三回とも南條史生氏。本展は既存の展覧会の再構成という形式のため、「ビエンナーレ」という名称にもかかわらず、作家数26人という見やすい規模で、全体的に質の高い作品がそろっている。
 映像作品の多さ、特に政治批判や社会性の強い作品が多いことも本展の特色である。とは言え、視覚的なインパクトが強く、見て楽しめる作品も多い。例えば、シュー・ビンの《魔法の絨毯》。巨大なカーペットに織られた文字は、一見、漢字に見えるがどこか変だ。よく見ると、アルファベットを組み合わせて構成した、新種の文字。異文化どうしの混淆によって新たな文化が生まれる様を、架空の文字に仮託して表現している。
 その背後にそびえるのは、アルフレド&イザベル・アキリザン夫妻による巨大なインスタレーション、《アドレス(プロジェクト:アナザーカントリー)》。海外への出稼ぎ労働者の多いフィリピンでは、バリック・バヤン・ボックスと呼ばれる、生活雑貨や故国の家族へのプレゼントを宅配するサービスがよく利用される。衣類、電化製品、本、おもちゃ・・・様々な物品が記憶や愛情とともに詰め込まれたボックスが積みあげられて、天井のない小さな家になり、鑑賞者は中に入ることができる。「家=home=故郷」を表現したこの作品からは、ディアスポラの状況にありつつも、新たな土地での生活を築き上げていく、たくましくてポジティブなエネルギーが伝わってくる。だが一方で、ここにはアートにおけるグローバリゼーションという問題も読み取ることができる。《アドレス》の制作背景は、作家自身がオーストラリアに移住した経験に基づくという。留学、展覧会、マーケットなど、アートの本場はまだまだ欧米中心で、非欧米地域の作家達は文化的不均衡の中で闘っているのだ。本展出品作家の経歴をざっと見ても、非欧米地域出身の作家には、出身国と現在の在住国とが異なる場合が多い。そうした状況の中から、母国の中にいるだけでは見えてこない、異文化の衝突や軋轢、さらには対話の可能性に敏感になり、表現へと結びつくことが期待される。
 また、戦争という究極の暴力、異文化の衝突が、現地に暮らす人々の生活に与えた影響を考察しているのが、ディン・Q・リーの《農民とヘリコプター》。ベトナム戦争中は殺戮機械として恐怖の象徴であったヘリコプター。だが、戦後に農民達が廃品で手作りしたヘリコプターは、農薬散布や輸送手段として人の役に立つ機械へと変貌した。ベトナム戦争の空爆の様子と農民達の証言を映し出すスクリーンの前には、彼らの話を基に作家が作った実物大のヘリコプターを対置し、迫力あるインスタレーションとなっている。

 
セルジオ・プレゴ《裁判所21号法廷》2008年

会田誠《日本に潜伏中のビン・ラディンと名乗る男からのビデオ》2005年
   
シンガポール・ビエンナーレの再構成

 こうした政治性、社会性の強い作品が多いことは、過去二回のシンガポール・ビエンナーレの特色を引き継いでいる。シンガポール・ビエンナーレのもう一つの特色は、宗教寺院や旧市庁舎・軍事施設など、ホワイトキューブ以外の場所での展示が多く、設置場所の性格を考慮して制作された、サイトスペシフィック性の強い作品が多かったことにある。従って、シンガポールから大阪へと展示のコンテクストの移動に伴い、コミッションワークとしての作品が持っていた意味合いが変化したり、批判性が薄れてしまう可能性が出てくることは否めない。
 そう感じたのは、セルジオ・プレゴの映像作品《裁判所21号法廷》。これは、火薬を爆発させた瞬間を、ぐるりを取り巻く数十台のカメラで撮影し、その静止画をアニメーションのように連続上映した映像で構成されている。タイトルは、シンガポール旧市庁舎内の最高裁判所の部屋番号を示しており、シンガポールでの上映は、実際の撮影現場と同じ部屋で行われた。このためシンガポールの観客は、時間が凍結したかように不気味に立ち昇る煙の中に、テロによる爆発の残像や暴力の顕現を感じ取るだけでなく、シンガポールの歴史の中でこの場所が担ってきた重い役割についても考えをめぐらせることになっただろう。しかし展示場所が日本へと移されることで、場所固有の記憶や歴史への反省といった意識よりも、不定形の煙を彫刻のように実体化した映像のマジックの方に目がいきがちになる。あるいは、煙の不気味な姿にキノコ雲のイメージが重ね合わせられるかもしれない。
 反対に、日本という新たな展示場所の性格があぶり出されていることを感じたのが、会田誠の《日本に潜伏中のビン・ラディンと名乗る男からのビデオ》。この映像作品の中で会田自身が扮するビン・ラディンは、もはやテロ活動を引退し、日本酒に舌鼓を打ちつつ、日本の政治への批判を語る。本人のソックリぶりが笑いを誘う中に、いかなる政治的メッセージも去勢化してしまう、日本という国の生ぬるさが批判されている。


福田龍郎《Infinite Islands》2003-2006年
リー・キーボン《バチェラー:二重の理論》2003年



 
クレア・ランガン《メタモルフォシス》2007年
 
ファハド・モシリ&シリン・アリアバディ《スーパーマーケット営業》2006年。日用品のパッケージをもじってアメリカの経済的・軍事的支配を皮肉る、イラン出身の作家。これは「Shoot First / Make Friends Later」と読める。

スーハ・ショーマン《神の御名において止めよ》2008年。パレスチナ出身の作家。様々な記録映像を組み合わせ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれのメッセージと宗教が引き起こす悲劇について問いかける。
   
本展のオリジナル性「環境」「水」

  本展が過去二回のシンガポール・ビエンナーレと異なる点は、同時期開催の「水都大阪2009」や堂島という地域性を意識して、「環境」「水」に言及した作品を多く紹介している点にある。冒頭で紹介したツェ、ニジンソンの他にも、例えば、デジタル処理をほどこした福田龍郎の写真《Infinite Islands》は、地球環境の美しさを改めて提示しつつ、珊瑚礁の海をコンクリートで固めて人工的なプールにしてしまいかねない、人類の愚かしさに警鐘を鳴らす。
 またリー・キーボンの《バチェラー:二重の理論》では、哲学の本が水槽の中でクラゲのようにゆっくりと泳いでいる。目標を見失い、行き場のないまま彷徨う現代人の姿が、皮肉まじりに表現されているかのようだ。クレア・ランガンの映像作品《メタモルフォシス》では、川辺の光景から始まり、嵐、舞い散る雪と変貌を遂げた水が、大河となって海へ流れ込む様が、幻想的なブルーの色調の中に描かれる。声高な主張はないものの、詩的な映像世界は陶酔感を誘い、なかなか立ち去り難かった。

 参加作家のうち、アジア地域の作家が半数以上にのぼる本展。政治、社会、文化など骨太の主題を扱った作品群は、現代における新たなリアリズムと言えるだろう。ますます加速するグローバリゼーション、絶えない紛争など、現代が混迷を極めている時代だからこそ、アートには安易な慰撫ではなく、「リアリズムの召喚」という役割が求められていることを、本展を通して強く実感した。文化的考察の中に、ユーモアや想像力をどう盛り込み、視覚言語として表現するか―会場を一巡りすると、それぞれの作家がそれぞれの視点から、この課題に挑戦していることが伝わってくる内容であった。

※本文使用写真の撮影はすべて執筆者によります。
 使用写真の作品は、Creative Commons 表示・非営利・改変禁止2.1日本ライセンスでライセンスされています。

堂島リバービエンナーレ
2009年8月8日〜9月6日

堂島リバーフォーラム(大阪市福島区)

参加作家:会田 誠(日本)、アルフレド&イサベル・アキリザン(フィリピン)、アクタン・アブディカリコフ(キルギス)、ジェーン・アレキサンダー(南アフリカ)、イーラン・イー(マレーシア)、トマス・オチョア(エクアドル)、ホセイン・ゴルバ(イラン)、シュー・ビン(中国)、スーハ・ショーマン(パレスチナ)、ツェ・スーメイ(ルクセンブルグ)、レオニド・ティシコフ(ロシア)、ドリック・ピクチャー・ライブラリー(バングラディッシュ)、チャーリー・ニジンソン(アルゼンチン)、福田 龍郎(日本)、セルジオ・プレゴ(スペイン)、イサック・ベルビック(ボスニア・ヘルツェゴビナ)、ツーニェン・ホー(シンガポール)、松蔭 浩之(日本)、ファハド・モシリ&シリン・アリアバディ(イラン)、フリオ・セサール・モラレス(メキシコ)、アイザック・モントーヤ(スペイン)、クレア・ランガン(アイルランド)、ディン・Q・リー(ベトナム)、リー・キーボン(韓国)、クリスティナ・ルーカス(スペイン)、ジョシュア・ヤン(シンガポール) (順不同、五十音順)
 
著者のプロフィールや、近況など。

高嶋慈(たかしまめぐみ)

1983年大阪府生まれ。
大学院で近現代美術史を学びつつ、美術館でのインターンを通して実務を経験中。
堂島ビエンナーレの会場はかなり暗く、ブレない写真を撮ろうと一苦労。




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