topreviews[田中恭子×L PACK×人場研(みずみずしい日常)/長野]
田中恭子×L PACK×人場研(みずみずしい日常)

「みず」から生まれる
TEXT 立石沙織

  松本駅を出てすぐのところ

5月になり、季節が本格的に暖かさを増すと、様々なアート系イベントが全国の至るところで開催されるようになってきた。
今回訪れたのは長野県松本市である。松本はとくに「工芸」という文化に力を入れており、5月は一ヶ月間、「工芸」をキーワードに様々なイベントやワークショップを開催する。この期間は「工芸の五月」と呼ばれ、いくつかの企画が運営される。
その関連として企画された、人場研(まんばけん)による「みずみずしい日常」は印象深い。
これは、湧き水と日常生活が密接にある松本の特徴に注目し、それを工芸で彩ることでまちの楽しみ方を提案する企画。市民にとっては日常となっている「水場」のすばらしさを見つめなおし、現代の暮らしの中でこれまでとは違う新たな機能や価値を生み出そうという試みだ。
確かに松本の街を歩くと道の脇にはきれいな湧き水がささやかにながれ、至るところで井戸のある「水場」を発見することができる。四方を山に囲まれた松本だからこそ得られる自然の恵みである。
「みずみずしい日常」の中にも街の様々な場所を使っていくつか企画が設けられていたが、残念ながら長期滞在ができなかったためすべての企画に参加することはできなかった。
そこで今回は5月の上旬の「みずまつり」で展示された作品の一つを取り上げたい。

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1.6種類の水+6種類をまぜた水、合計7つの装置が設置される/2.琥珀色の雫が落ちる/3.溜まった珈琲


水のあふれる井戸があり、どっしりとした蔵が佇んでいる。そこは歴史ある旧家の庭先で、池上邸という名にちなんで、「池上喫水社」と名づけられていた。
もう何十年も眠っていたと思われる蔵の空間を使って、人場研、ガラス作家・田中恭子、カフェユニットL PACKによる、ガラスと珈琲のインスタレーション作品が展示されていた。

蔵の中は照明器具がなく、ほの暗い。音もない。
ひっそりとした蔵の中でわずかな陽の光をあつめて、田中恭子のガラスの珈琲装置がきらりと光を放っている。

天井からテグスで吊るされた装置は、病院で扱われる点滴の器具によく似ている。
水を入れる部分、珈琲豆を入れる部分、珈琲を溜める部分それぞれの容器と、それらをつなぐ管はすべて吹きガラスで作られ、一点一点違った表情をしている。
細いガラスの管は、ときにピアノ線のようにピンと張りながら、ときにホルンのように緩やかに弧を描きながら、床に置かれた丸い容器の口へと落ちてゆく。その落ちてくる感覚には、緊張感がありながらもいろいろなリズムが感じられる。
絶妙なバランスは、計算だけでは成しえない、場の偶然や奇跡によって完成しているのだ。
静謐な中から、ガラスの呼吸や動きの音が聞えてくるように思われた。

このガラスの珈琲装置とL PACKの手で焙煎された豆、松本市内6箇所の湧水を使い、8時間もの時間をかけて珈琲が抽出される。
黒く艶めいた珈琲豆は、清らかな湧水をじっくりと吸い込んでいく。すると琥珀色をした液体が1滴1滴と時を刻むように落ちてくる。そして少しずつ丸い容器に珈琲が溜まっていく。雫のときは琥珀色をしていたのに、ビンの中に溜まると漆黒に近いほどの深い色をしている。

透明なガラスの管を伝って流れ落ちる珈琲のしずくが、一滴また一滴と時を刻んでいくこと、それは蔵の時間を循環していくこと。
蔵の時間が再生していく様子が目に見えるようだった。ひんやりとしたガラスの管を流れる珈琲は、蔵の血液のようにも感じられた。
その様子をただ見つめているだけで何時間も過ごせてしまえそうな安心感に包まれた。

珈琲試飲セット(ミルクプリン付き)   地図「みずまきあるき」(水で濡らすとその部分が水色になる)


これは「観る」だけに留まらない。
抽出している空間をじっくりと堪能したあとは、蔵の外でその中の2種類の珈琲を飲み比べ、その違いを味わうのだ。
私が試したものは、一方は苦味も酸味もやわらかでとても飲みやすいのだが、もう一方は水の味が舌に残るほど強く、珈琲の味と水の味が分離していた。その違いは明らか。
今回は2種類しか試すことができなかったが、6種類すべて味が違うそうだ。同じ松本から生まれるものでも、湧く場所によってそれぞれ水質が違い、それが珈琲の味に影響しているとのこと。水と珈琲の関係の奥深さに感嘆してしまう。
これはどこか「言葉」や「人」にも重なるような気がした。
場所によって微妙に変化のある水は、まるで方言のようである。日本各地で言葉が違えば少しずつ人の雰囲気も変化するように、水の湧く場所によって珈琲の味も変化する。場所や環境の違いがいかに人に影響しているか、そのことについて再考させられた。

これらの体験を通してみると、作品の重要な「背景」に気づく。それは、場所のリサーチを何度も重ね、その事情を把握し理解した上でガラスと珈琲が結びついていたということ。
それをより分かりやすく提示するものとして、人場研による「みずまきあるき」があった。地図に「水場」の場所を印しながら街を巡り歩けば、池上邸の蔵の中の吊るされた6種の湧き水の空間が、街の縮図のようにも感じられることだろう。

これは、人場研(企画)、作品を制作した田中恭子(ガラス)とL PACK(珈琲)、この3者が揃ったからこそ成立したインスタレーション作品なのである。土地や環境とガラスと珈琲とが意図的に結びつけられたことによって、作品は松本という土地の魅力まで表現できる幅を持ち、観る者の体験は二重にも三重にも膨らんでいったのではないだろうか。
私が見ることができたのは、プロジェクトの中のほんの一部に過ぎない。さまざまな試みがされた「みずみずしい日常」の中すべてを見れば、水と日常に対するさらに多くの切り口を発見できたのかもしれない。すべて参加できなかったことが悔やまれる。今後もみずみずしく豊かな松本に期待したい。

田中恭子×L PACK×人場研(みずみずしい日常)
2009年4月29日(水)〜5月10日(日)

みずまつり『池上喫水社』

工芸の五月
http://kougeino5gatu2009.blog73.fc2.com/

みずみずしい日常
http://event.telescoweb.com/node/9630

田中恭子
1982年   福井県生まれ
2006年   多摩美術大学美術学部工芸学科ガラスプログラム卒業
2006年   あづみ野ガラス工房参加 (〜現在)

L PACK
小田桐奨+中嶋哲矢によるカフェユニット
2007年   アート、デザインイベント、ワークショップを中心に活動開始
「オープンハウス展」(みかんぐみ曽我部邸 / 神奈川)
2008年   「カフェイン水戸 P-project」(茨城)
2009年   「黄金町バザール」(神奈川)で期間限定のカフェをオープン など

人場研(まんばけん)
一ノ瀬彩、河村藍、齋藤雅宏、野田直希
「みずみずしい日常」を企画・実施
2005年結成
 
著者のプロフィールや、近況など。

立石沙織(たていしさおり)

1985年 静岡県生まれ。大学でアートマネジメントを専攻。
現在、新宿眼科画廊(東京)スタッフをしながら修業中。




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