topreviews[中崎 透 展『キロ“重いのか遠いのか速いのか、分かれ道、もしくはウチに帰るのか”』/東京]
中崎 透 展『キロ“重いのか遠いのか速いのか、分かれ道、もしくはウチに帰るのか”』
「キロ」、言葉の響きから紡がれるいくつかの物語。
TEXT 立石沙織

  1階カフェスペースにある《二本の足で立ってみる》のためのドローイング
看板を使ったインスタレーションで知られる中崎透。
彼の新作が東京で久しぶりに発表されるということで、東京吉祥寺にあるArt Center Ongoingを訪れた。
ここは1階にカフェスペースがあり、階段を上がった2階に展示スペースが設けられている。

「このガラクタがどうしてゲイジュツと言われるのか?」
それは現代アートにおいてよく聞かれる声である。本展も一見、そう言われかねない類の作品かもしれない。
なにしろ、展示されているものといえば、空間の中心に荒々しく組み立てられた木材(あたかもアスレチックのよう)と、そこに掛けられたフラフープ、無造作に置かれたぬいぐるみやお風呂用の椅子など。
また、壁面にはいくつかのドローイングや写真、小学校の頃使った傘や帽子、どこかで売っていたのであろうタペストリーが掛けられている・・・
それぞれがどのような機能や意味を持っているのか、あるいはそこにどのような共通点があるのか。とにかく、わけがわからないのだ。

けれども、どうしても、細部のあちらこちらに興味が吸い寄せられてしまう。
作品が持つユーモアに思わず顔がほころんでしまう。
細かいところまでじっくりと見ていくと、だんだんこのモノたちの関係性や意味や作品全体の構造などが、少しずつ明らかになってくる。

 
a.《二本の足で立ってみる》2009年b.上靴を履く、《二本の足で立ってみる》
b


荒々しく組み立てられた木材の立体は《二本の足で立ってみる》という作品だ。よく見るとこの木材の立体は、「中崎」と書かれた黄色い上靴を履いているのだった。
立体の上には、ガラクタのようなモノ(フラフープ・ぬいぐるみなど)が乱雑に置かれており、中心に設置されたモニターからは、いくつかの言葉のイメージ映像が流れる。
木材の立体の上に置かれたモノはすべて映像に使用された素材。その扱い方、言葉とモノのつながり方が絶妙だった。中崎流のインスピレーションが魅せる面白さだ。

  言葉を引用した教科書と言葉から生まれた映像、《二本の足で立ってみる》

 
  《キロ》2009年

そしてここで使用されている言葉は、実は作家本人が使用していた小学5年生の教科書から拾い集められたもの。
例えば「下あごが外れたみたいにガクガク」そんな唐突で変な言葉も、実は教科書の中に詰まっていたのかと考えると、ますます可笑しい。

他にも、《キロ》と名づけられた作品群がある。壁面の部分のドローイングや写真、傘や帽子の群である。それらは二種類の「キロ」を見せてくれる。
「帰路」と「岐路」だ。
小学校の帰り道、あの頃毎日のように行われていたそれこそが「岐路」だったのではないかと、思わずしんみりしてしまったりする。実際に作家が使っていたような痕跡があるから、一人の人間の大切な「岐路/帰路」を覗いているような気分になった。

始点 《重いのか遠いのか速いのか》


転がるゴルフボール、中間地点 《重いのか遠いのか速いのか》

終点 《重いのか遠いのか速いのか》

また、《重いのか遠いのか速いのか》という作品も、いくつかの表情を持つ。建物の3階から1階まで部屋中に巡らされたレールの上をゴルフボールが転がってゆくというもので、来場者が自由にボールを転がすことで成立する作品だ。
ゴルフボールという、ある程度重みのあるボールが、ある程度長い距離のレール上を、速度を変えながら落ちてゆく。その音の行方を追ってゆく。
果たしてゴルフボールが表す「キロ」とは「重さ」なのか、「距離」なのか、「速度」なのか。
「キロ」という言葉のさらなる広さに、思わずはっとさせられるのである。

中崎透は、このように言葉のダジャレをきっかけにモノゴトが拡がってゆく面白さを表現することが多い。
そこにはある程度の意図的なゆるさがあって、それを疑いながら注意深く作品を見つめていくと、ズルズルと芋づる式にその作品の面白さが理解できる。まるで作品の奥の奥にある魅力に吸い込まれてゆくかのように。
同スペースが行った作家インタビューによれば、彼は作品のゆるさが生み出す胡散臭さを大事にしているのだという。胡散臭さから好奇心を生む。そして、ショボさによって観る者にストレスを極力与えないようにする。
そうすることで観る者は妙なプレッシャーを感じることなく、作品を注意深く細部まで見ていくことができるという。
そこには美しい表層だけでは表現しえない構図やプロセスがあるようだ。作品の「見た目」は、作品が持つ複数の物語をぐるりと内包できる方法の一つ、と位置づけることができるのかもしれないと感じた。

いくつかの物語には、整合と矛盾がさまざまに存在する。
「一人の人間って矛盾だらけで、つじつまなんて合わないのが自然なんじゃないかと。」
中崎はインタビューでこのように答える。これは自分の作家としてのあり方についての回答ではあるが、それは作品自体にも感じられると思った。
つじつまが合っているようで合っていない、または合っていないようで合っている。実と虚の混在、中崎はその両者の境界線で活動を続ける。とても絶妙なバランスで保たれたその場所こそ、中崎透が作品を通して表現するものであるのかもしれない。
そこには、凝り固まった緊張の糸をゆるめてくれるような、そんなのんびりとした魅力がある。

中崎 透 展
『キロ“重いのか遠いのか速いのか、分かれ道、もしくはウチに帰るのか”』

2009年4月1日(水)〜4月12日(日)

Art Center Ongoing(東京都武蔵野市)

中崎 透
1976年   茨城県生まれ。
2002年   第17回ホルベインスカラシップ奨学生
2005年   武蔵野美術大学スタジオ内にオルタナティブスペース中崎透遊戯室を設立(〜2007)
2007年   武蔵野美術大学大学院造形研究科博士後期課程満期単位取得退学
2007年   茨城県水戸市にオルタナティブスペース遊戯室(中崎透+遠藤水城)を設立
 
著者のプロフィールや、近況など。

立石沙織(たていしさおり)

1985年 静岡県生まれ。大学でアートマネジメントを専攻。
現在、新宿眼科画廊(東京)スタッフをしながら修業中。




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