topreviews[Art Program Ome 2008 空気遠近法・青梅-U39 /東京]
Art Program Ome 2008 空気遠近法・青梅-U39

遠くから見に行くものか
近くで見るものか

TEXT 藤田千彩

月刊誌とか週刊誌を書いていると、「年末進行スケジュール」に巻き込まれる。
年末年始に印刷会社が休みを取ることにあわせて、出版社も前倒しのスケジュールで雑誌を作るのだ。
おかげでライターである私もスケジュールに巻き込まれ、11月は実にめまぐるしかった。
どこかへ行きたい。
11月最後の日曜日、逃避行先に選んだのは、東京のはずれ「青梅」。
新宿から青梅まで一時間ちょっと。
ちょっとした小旅行気分で中央線に乗った。
青梅駅の1つ手前、東青梅駅。
そこから徒歩5分ほどのところにある、東京都立青梅総合高等学校は、展示会場のひとつである。

撮影:村上慎二
■木島孝文
廊下を「覆う」ように並べられて、久々にアートで威圧感を感じた。
そう、私が最近のアートで足りない衝撃はこういう威圧感。
えらそうではなく、鈍い色に現状に満足しない木島の作品。
そういうものに包まれると、たとえが変だけど「懸命にやってる先輩との飲み会」の雰囲気を思い出す。

撮影:村上慎二
■小林耕二郎
突き当たりの部屋に置かれた立体が「どうやって入れたのだろう」と思わせるくらい巨大だった。
いびつな形だったが、裏にまわるとストンとしていたのは意図的なのだろうか?見せるべきだったのだろうか?
床に置かれた作品と壁にあった作品のほうが、個人的には場所にしっくり合っていた気がする。

撮影:村上慎二
■馬塲稔郎
野外にある井戸のようなものを覗くと、カエルがいた。
井戸のようなもの、というのも、木の色があまりにも若くて「井戸として使っていた」のではなく、「作品のためにつくったこと」がわかりすぎる。
とはいえ、屋外にこういうインスタレーション、子どももおばあちゃんも楽しめそうなカエルというモチーフ、はこうした郊外のイベントでは成功なのではないか。

そして「大きい鉄塔を目指して」歩いた。
小さな町、なじみのない場所なので、鉄塔は見えるけど一本道がずれていた。
途中で関連イベント「4大学学生展プログラム「ポストシアター」」というのもしていることを知る。
雨が降り出しそうな天気だったせいか、人ともすれ違わず、特に商店があるようなエリアでもないらしい。
とにかく鉄塔に向かって歩いた。
そして鉄塔のふもとに人だかりを見つけ、そこにまた会場があった。

撮影:村上慎二
■永澤孝博
小さな学校の校舎みたいな窓際に座って、永澤は誰かをもくもくと描いていた。
その人のポートレイトを描いて、エッチングをつくっているらしい。
作品はともかく、生身の作家がリアルに制作するようすは私もあまり見たことがない。
そしておばちゃんたちの集団が、まるで動物園の動物を見るような感覚で近寄っていたのが印象的だった。

撮影:村上慎二
■木村友香
「BOX KI-O-KU」というスペースは、旧都立繊維試験場という名前でもある。
この場所がどう使われていたか分からないが、木村の作品がある場所は天井が高い(気がした)。
絵画、という平面で大きさが決まっているものをこの空間に展示する勇気がなかったのか、幾枚かの作品はなぜか床置きで裏返しに置かれていた。
そのせいかちょっと挑戦的でもないし、インパクトもないようにも見えた。

撮影:村上慎二
■冨井大裕
私がこれまで見た冨井作品の中でも、比較的大きなもの。
両手を広げたくらい(言いすぎ?)のぷちぷちマット、運動会の玉ころがしのような大きさにまるまった紙、部屋の長辺の幅くらいにつなげられたストロー。
制服を着た高校生3人組が「これって紙?」「どうやってまるめたんだろう」と会話をしていて、なぜかほっとする。
アートは特別なものではなく、身近なものでもあるべきだから。

■山極満博
日常にあるものをつかう、という意味では冨井の作品と近いだろう。
山極の作品は、違和感のある素材で「非現実」を生み出し、「おかしみ」をふくめている。
気づくということに慣れていない人には、通り過ぎていく可能性も高い。
この気づきこそ現代美術の醍醐味であるし、ニュースになるような話題にもっと敏感になると思うのだが。
山極の作品を見ていて、そんな鈍感な自分を反省する。

撮影:村上慎二

そして同じ敷地の別スペース「SAKURA FACTORY 北ブース」へ。
地図がなくても、きっとこっちだろうなとアート臭がするほうへ歩いた。

撮影:村上慎二
■久村卓
歯車が回転する機械音のするアニメーション映像を眺めることに。
その後ろにある織機と思われる機械に、かつて、といっても、いつまで使われていたのか分からないが(実際そこはかなりクリーンな空気で、モノは古いが場所としては古くない気がした)、ここが工場であったのだろうと思わせる。
私みたいなヨソモノには重ね合わせる記憶はないが、なにかしらの想像は起こさせることはできる。

撮影:村上慎二
■平野健太郎
こういう場所で一番つらいのが絵画である。
なぜなら場所に負けてしまい、音が出る、動く、といった他の作品にも負けてしまうからだ。
平野の作品も「なぜここにこの絵画があるのか」と逆に違和感を覚えてしまった。
本当はキレイなのだろうが、本当は大きいのだろうが、負けてしまう要素が大きすぎてもったいない、本当にもったいない。

撮影:村上慎二
■山本篤
黒いカーテンがあって、「ここより奥は荷物が置いてて入らないで」なのか、「この奥には映像作品があります」なのか、迷って手を伸ばした。
映像だった。
田中功起以降の映像作家に、単調さにおかしさを求める映像作品が増えていて、「リズム」とか「センス」を問われる。
山本の作品は映画のような物語をふくませて面白そうだなと感じたが、リズムとセンスが少し足りない気がした。

撮影:村上慎二
■高橋和臣
曽根裕のようなスケール感を覚える。
私が見ていたとき、なぜかおばさんもおねえさんも触っていった。
本来、作品は触ってはいけないものだが、触るという五感の一つに反応したくなったのだろう。
触っていった人たちにどのくらいアートに対する意識があるのか分からないが、鑑賞は目だけではないということに気づかされる。

そしてまた外に出る。 ここだろうか、という「旧女子更衣室」と呼ばれる廃屋(失礼!)に入る。

■南条嘉毅
これまでの場所が、一見古いのにしみくささを感じなかったが、この「旧女子更衣室」の二階はずっとしめきっていたような匂い、朽ちた木の匂い、くさすぎるわけではないが古さを嗅覚で知らせてくれた。
「作品はどこに」と思いながら、古い家具の合間を歩き回る。
私の期待している作品は、他の作家同様絵画だったり、立体だったり、というモノ。
でも二階にはそういうものはなく、掃除した「跡」はあった。
手を加えることが創作なら、この「跡」も作品なのかもしれない。

撮影:村上慎二

こうした町を使ったイベントは多く開かれているが、今回気づかされたことが3つある。

 1.町の人たちも見に来ている
 2.小旅行に来た主婦たちも見に来ている
 3.遠方のアートファンも見に来ている

主催者としては誰にどう見せるか、ということも意識しているのだろうが、私がすれ違った人たちは必ずしもアートに関心がある人たちばかりではなさそうだった。
そうやって「自分たちの身近にアートがある」と知ってもらうことが、町イベントでは必要なことのような気がした。
そして今回の画像を取り寄せしたとき、私が初めて知ったことがある。
この展示が「39歳以下の作家」と区切っていたということ。
男女の性差も感じない、アンチエイジングな時代に、見る人(対象)の限定もないイベントなのに、この年齢という枠を設けていることが意味をなさないように感じたのは私だけだろうか?


Art Program Ome 2008 空気遠近法・青梅-U39
2008年11月9日(日)〜24日(月)

青梅織物工業協同組合施設
東京都立青梅総合高等学校・講堂
 
著者のプロフィールや、近況など。

藤田千彩(ふじたちさい)

1974年岡山県生まれ。
大学卒業後、某通信会社に勤務、社内報などを手がけていた。
美学校トンチキアートクラス修了。
「美術手帖」2009年1月号では、p48-9、p70-1、p76-7、p94-7、p132-3、p144-7を、「NODE」では「岡安泉さん」を、「トーキョーアートナビゲーション」では「エッセンス」「ビジョン」「スポット」を、書いてます!!冬休みにご一読くださいませ。
お仕事の依頼 → chisaichan@hotmail.com




topnewsreviewscolumnspeoplespecialarchivewhat's PEELERwritersnewslettermail

Copyright (C) PEELER. All Rights Reserved.