topreviews[絵画の春 伊藤雅恵 上田奈保 傍嶋崇 馬場健太郎  四人展 /神奈川]
絵画の春 伊藤雅恵 上田奈保 傍嶋崇 馬場健太郎  四人展

絵具がチューブから出た後
TEXT 藤田千彩

スーパーで野菜を眺めているとき、いつも思うことがある。
同じ野菜を使っても、違う料理が出来上がる。
同じ野菜を使っても、違う人だと、違う料理や味になる。
面白いなあ。

当たり前のことだが、絵画もそうだ。
同じ絵具を使っても、違う人だと違う作品が出来上がる。

ペインター4人による競演を見た。
80年代から盛んに作家を紹介してきた老舗・鎌倉画廊。
ひっそりとした鎌倉山という住宅街にあるが、画廊のドアを開けるとそこには満開の花が咲きほこっていた。

 
伊藤雅恵
左:「しみるようなこと」130 x 130 cm 2008年、油彩、キャンバス
右:「もうひとつの動き 91 x 73cm 2008年、油彩、キャンバス
a
 
私の目に飛び込んできたのは、伊藤雅恵の色だった。
色をほめてはいけない、と誰かに教わったけれど、色もセンスだと思う。
私の好きな系統の青、紫、赤、黄色が、画面で弾けている。
きっと花や花束を描いているのだろう。
しかし花の持つたおやかさではなく、凛としている姿だ。
放射線状に広がる花びらたちは、
「春です、さあ新生活を楽しみましょう」
という何かのキャンペーンのセリフのように、背中を無意識に押してくれるようにも感じられる。
なおかつ私の心に居心地のよい色だから、安心も加わる。
伊藤の絵画空間に、私は心身ともに身をゆだねて見ていた。

そうこうしているうちに、鎌倉画廊の地下部分の展示スペースが目に入る。
2人の作家の作品が向き合っている。

上田奈保の作品《東の風後西の風曇り時々晴れ/Easterly, Later Westerly winds,Cloudy occaisionally fair》は、タイトルとはうらはらだと思った。(画像=a)
グラデーション、というわけではなさそうだが、左から右にかけて、白から赤に変化していくさま。
中央に「DANGER」の文字は、防波堤かなにかだろうか?
白い部分や右中央部あたりに、らせん状に絵具が盛り上がっている。
「DANGER」の境目あたりには上から下へ、画面中央部には右から左へ、垂らしこみがある。
風は右(東?)から左(西?)へ、波も「DANGER」を越えてなびいたのだろうか?
そして左の白い部分は、波しぶきか?
奥(画面上部)は岩、海、そして空だろうか?
上田が見た(想定した)ものとは違うだろうが、
私はふと、伊豆諸島に旅行したときに見た、小さな港の光景を思い出す。
忘れていた自然の風景、失った過去の出来事・・・。
この作品を見ているだけで、想像力が勝手に働いていく。
私の中でさまざまなことがフラッシュバックしていき、涙が出そうだった。

b
傍嶋崇
「ニチジョウ」220x181cm、2007年、油彩、キャンバス
 
振り返ると馬場健太郎の《Hopeful Ship》がひかえていた。(画像=b)
緋色の画面から、波しぶきが聞こえたからだ。
クールベのような波は、さっきまでいた伊豆諸島の港の波とは違う。
むしろ私のふるさと、瀬戸内海の小島に打ち寄せるような、波。
向こうに見えるのは、きっと四国。
雲がかかってるけど、もうすぐ晴れる。
と勝手に決めつけて、さざなみの音に耳を澄ませる。
ぼんやりした塗り方は、近ごろ多い気がするが、馬場の作品はどうだろう。
どちらかというとぼんやり度よりも、集中させたい部分をよりよく見せたいから画面全体をぼんやりさせている気がした。
つまり、この作品では波のように横に連なる部分を際立たせるために、空であろう上部、私が四国だと思っている部分をぼんやりさせている。
見て欲しいのは波の部分なのだ。
と断言したかったが、空の部分、四国の部分のゆくえも気になってしまう。
つい「これから天気はどうなるんでしょうね」とつぶやいてしまった。

こうして作品の中に自分を投げ打っていたら、画廊の方がお茶を出してくれる。
現実に引き戻される。
そうだった、私は波の見える場所にいるのではなかった。

らせん階段をとんとんと上がり、傍嶋崇の作品を見つめる。
アスファルトに引かれた線のよう、が最初の印象。
キャンバスは、線というより面で仕切られている。
ぬりえのような感覚で塗っているのだろうか、面は同じ方向の筆運びで塗りつぶされている。
細かい部分がないせいで、つまり単に塗っているだけのせいで、妙な安心感を得た気持ちにもなる。
会ったことがない作家だが、はっきりしているんだろうな、と思った。
ただ、油絵具という素材のせいだろうか、「この作家はしつこくねちっこいのではないだろうか」と思ってしまった。
これまでの3人の作家は作品の中に自分が入っていってしまったが、傍嶋の作品は向き合って話し合いをしているようで、それはそれで楽しい。
私は作品といくつか勝手に会話を交わし、話しやすいと勝手に思った。
(実際傍島と会ったときに、うじうじしてるような人だったらどうしよう?ピカソもはっきりしている人だと私は思っているけど、うじうじしている人だったりしたのだろうか?作品と向き合うときそういう想像も巡らせてしまう)

企画者である美術ジャーナリストの名古屋覚によれば「画家たちは、とりわけこの4人の画家たちは、色と形で、飽くことなく『春』を追い求めている。絵画の春は、永遠の春である」とのこと。
私には色や形だけでなく、さらに描かれたなにか、あるいは見る者を魅きつけるなにか、が彼ら4人には備わっていると思う。
それはテレビ番組でいうところの演出や台本、広告でいうところのPR方法だろうが、嘘を本当のように見せかける技術のうまさ。
それを持ち合わせつつリアルに伝えることを、きちんと分かっているからだ。
絵画というフィクション、絵具がチューブから出ただけの物体、というのに。
私は鎌倉で見たこの4人の春を忘れないようにしたい。


絵画の春
伊藤雅恵 上田奈保 傍嶋崇 馬場健太郎  四人展


鎌倉画廊(神奈川県鎌倉市)
2008年3月29日〜5月10日
 
著者プロフィールや、近況など。

藤田千彩(ふじたちさい)

1974年岡山県生まれ。
大学卒業後、某通信会社に勤務、社内報などを手がけていた。
美学校トンチキアートクラス修了。
現在、「ぴあ」「週刊SPA!」「美術手帖」などでアートに関する文章を執筆中。
chisaichan@hotmail.com




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