八木クンの場合は・・・
TEXT 藤田千彩
フランシーヌの場合は、あまりにもおばかさんだったけど、八木良太の場合は「天才だよ!」と学芸員某氏は絶賛していた。
たしかに2006年、
無人島プロダクションではじめて
見たとき、シンプルで分かりやすいのに見たことがない、という驚きを感じた。
1980年生まれの作家が知らない(ありえない)はずのアナログさと、素材を知り尽くしたからこそできる意外性。
このまったく違う側面の2つによって八木の作品は成り立っていると思う。
たとえば「VINYL」という作品は、氷で作られたレコード。
レコードを樹脂でかたどり、その樹脂に水を張る。
冷凍庫などで凍らせると、当然、氷のレコードができあがる。
「わあ、きれい」と見た目に驚いてしまう。
それをプレーヤーに掛けると、なんと、音も鳴る。
レコードというのは、溝に音が入っているらしい。
そういう仕組みなんだ、ということにも初めて気付かされる。
昨年、無人島プロダクションで再び
個展を行い、同時に水戸芸術館のクリテリオムでも展示をしていた。
もちろん両方見に行って、驚愕した記憶がある。
その後、神戸アートビレッジセンター「
Exhibition
as Media」の展示を見た。
私が一番面白かったのは、水戸でも見た作品《WARP》だった。
円形に囲まれたスクリーンに映し出された映像は、頭の周りを回転していた。
映像と私がぶつかりそうな勢いあり、かき混ぜられているようでもあり。
ちなみに関連イベントのトークに呼ばれた私は、そのとき初めて八木に会った。
作品の印象とはちょっと違って、シャイそうな行き場のないような目くばりは、今でも記憶に残っている。
そして2008年4月18日、
ICCでの展示を見た。
これまで見た八木の作品の集大成ともいえる展示は、私にとっては驚きをかきあつめた宝箱のように見えた。
レコード盤をろくろに見立て、粘土を乗せてまわし、陶芸作品を作っていく映像作品《Portamento》。
イヤホンをつけると、そのレコード盤に録音された音(シンセサイザーやホーミーなどの音が単音で入っている)が流れている。
粘土が伸びたり、粘土を押さえる手の力が加わったり、そういう加減でレコードの回転数は微妙に変化する。
その音の伸び縮みを楽しむことができ、単音なのにハーモニーの重なりのように聞こえた。
レコード盤のラベルがピンク色の《MOMO》は、ミヒャエル・エンデの「モモ」の話を、前半と後半に分けて録音している。
レコードは自動で折り返すように設定されているため、最初から聞いて前半、折り返し地点から後半が聞こえる。
しかしイヤホンからは二つの声がする。
それは聞くと普通にしゃべっている前半と、逆さまにしゃべっている後半が同時に話しているのだ。
時間を取り戻す物語だからこそ、の構造といえる。
その他、八木の「回転」をテーマにした作品が小部屋に並んでいる。
メディアアート、インタラクティブな作品が並ぶICCの中でも、比較的分かりやすく、印象に残る作品群だろう。
八木クンの場合は・・・?