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[テーマ展「廣田緑:交換プロジェクト2007 〜アジアの記憶〜」/愛知]
テーマ展「廣田緑:交換プロジェクト2007 〜アジアの記憶〜」
未来に向けた新たな関係を築く
「交換プロジェクト」
TEXT 田中由紀子
缶バッジやティッシュペーパー、ブレスレット、写真など、約700点に及ぶ品々は、チープな日常品から所有者の愛着を感じさせる物までじつにさまざま。色とりどりの小さな座布団にひとつずつのせられ、展示室の中央に床置きされた様子は、遺品が祭られているかのような印象だ。それらは、名古屋市出身でインドネシア在住の造形作家、廣田緑が「交換プロジェクト」により入手した品々だ。
「交換プロジェクト」とは、2006年にフィリピンで開催された彼女の個展の来場者が、各々の持ち物と引き換えに作品であるヒト形のオブジェを持ち帰るというもの。2度の個展で、900体が交換された。
床に並べられた物のなかで、とくに目を引いたのは、ほかよりも大きな座布団にのせられた、実がついた一房の稲だった。これは、個展の翌年に廣田がフィリピン・ギブガン村へ赴き、村人の家々を訪問して100体のオブジェとの交換を行った際に、農業を営む老人から得た品。彼は裕福な暮らしをしていたわけではなく、差し出された稲は貴重な収入源だという。突然、見知らぬ外国人が、何でもいいから交換してほしいと訪ねてきたら、私なら価値がわからないオブジェと引き換えに、お金と等価である稲を出すだろうかという思いが脳裏をよぎった。
老人の住むギブガン村は、太平洋戦争時の「バタアン死の行進」と呼ばれる捕虜移送と関係する土地。祖父を通じてその戦場体験を肌で感じていた廣田が、3年前にフィリピンを訪れた時に旧日本軍による捕虜移送について知り、日本人の自分にできることを何かしたいとこのプロジェクトを思い立ったという。とはいうものの、彼女の展示には反戦を声高に叫んでいる感じはなく、戦没者を悼む気持ちにあふれていた。
しかし、交換という行為や交換物を「作品」として成立させているのは、追悼の念や負の歴史への贖いだけではない。戦争の傷跡や記憶が色濃く残るこの地の人々と、交換をとおしてコミュニケーションをとることにより、過去を乗り越え、未来に向けての新たな関係を構築したいという願いが、このプロジェクトをアートにしているのだ。その証拠に、戦争の直接的な記憶を持つであろう先述の老人が大切な稲を差し出したのは、突然現れた一人の日本人との出会いが、六十余年抱き続けた日本人や戦争に対する思いに、何らかの変化を及ぼしたからだろう。
アートというと絵画や彫刻、映像などの造形物といった認識がいまだに根強いが、作品を契機に生じた鑑賞者の思考や価値観の揺らぎや変化そのものが、アートなのではないだろうか。交換に応じたほとんどの人は、当時は廣田の意図が理解できなかっただろうが、オブジェを見るたびに彼女との出会いややりとりを思い出し、その意図をあらためて考える者もいるはずだ。その意味で、背を丸めて瞑想するかのように目を閉じるヒト形のオブジェは、いまも現地の人々の内面にアートを生み続けているにちがいない。
(写真は全て会場風景)
テーマ展「廣田緑:交換プロジェクト2007 〜アジアの記憶〜」
愛知県美術館 展示室6
(名古屋市東区)
2007年11月13日〜2008年1月14日
著者プロフィールや、近況など。
田中由紀子(たなかゆきこ)
編集関係の仕事をしながらコツコツ評論などを書いてます。
http://www.geocities.jp/a_rtholic/
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