topreviews[タムラサトル「POINT OF CONTACT―接点―」/千葉]
タムラサトル「POINT OF CONTACT―接点―」


POINT OF CONTACT―接点―

無意味がぐるぐる回る
TEXT 石山さやか

朝ご飯を食べるのには意味がある。
食べたあと、歯を磨くのにも意味がある。
意味があるから走っている満員電車に毎日揺られ、
毎日意味のある、仕事をする。

世の中に住むおおかたの人たちは、意味があるとされる事をして、日々を暮らしている。我々の周囲を囲む無機物たちも、何らかの意味を持って存在し、働いている。

さて、意味のある電車に乗って柏へ赴く。
にぎやかな駅前通りを抜けててくてく10分あまり歩くと、ギャラリー「Takuro Someya Contemporary Art / TSCA」にたどり着く。
  もともと工場だったというこの空間は、部屋の真ん中が吹き抜けで、左の小さい階段から上へ上がれるようになっている。
その中央の、高い天井からは重そうな鉄球が吊り下げられていた。
鉄球の下には金属の大きな円盤、その傍らには沢山の電球が転がされている。
振り子状に揺れる鉄球の先には、金属の棒。その棒と円盤がこすれると、「ばちっ!」と音がして火花が散る。と同時に、電球も一斉に「ぴか!」と光る。
振り子と自分の間には何もないので、火花が散るたびに体が後ろにのけぞる。ちょっと怖い。
「ばちっ!」「ぴか!」「ばち!」「ぴか!」
つまりこれは、振り子が円盤に触れる度にスイッチが入る、回路なのだな。
昔理科で触った、電池と豆電球の回路図が頭に浮かぶ。
「ぱち」「ぴかー」「…ちっ」「ぴかーーー」
振り子の振れは徐々に小さくなり、やがて止まって接点はつながったままになる。火花は見えなくなり、代わりに電球はあかあかと灯りっぱなしになった。

今回の展示はこんなふうに、全ての作品が「接点」をモチーフにしている。二階には小品がいくつかと、大作が二点ある。
中でも圧巻なのは、階段を上ってすぐの場所に待ち構えている作品だろう。時計の針と文字盤よろしく壁に鎮座している、円形に曲げられた鉄板と、両端が接点の金属棒。そして横には例の電球たち。
不意にスイッチが入ると、円の中心を軸に金属棒が回り出し、火花が弧を描き始める。
下の作品より通電している時間は長いため、電球も長めに灯る。火花と電球に照らされて、こっちまで何かが消耗されそうな迫力だ。「じゃーー」とも「がーー」ともいえない大きな金属音が鳴り響き、建物もあいまって工事現場か何かの制作現場にいるような気分。ただ、音の中心には誰もいないのだが。

一分ほどでこの大きな装置は止まり、しばらくするとまた不意に動き出す。
回りっぱなしにしていると金属の摩耗が激しいのだという。
電球の数や電流の量もこのように、必要に応じた分だけ配置してあるのだそうだ。
「作品には、意味はないのです」と作家のタムラサトルさんは話す。電球の数が18個なのも電流量にぴったりだからその数にしただけであって、それ以外に意味はないのだ、と。

「意味はない」、タムラさんはことさらにそのことを主張する。
回路がつながるだけ、電球がつくだけ。それ以外の意味はない。
そもそも彼は、デビュー時から一貫して「意味のないものをつくる」ことを続けてきた。『コンセプトは特にない、見た人が感じた事がコンセプト』という客任せの作品はよく見るが、「意味はない」のみの一文を押しつけ続ける作家も珍しいのではないか。

そもそも彼は、デビュー時から一貫して「意味のないものをつくる」ことを続けてきた。『コンセプトは特にない、見た人が感じた事がコンセプト』という客任せの作品はよく見るが、「意味はない」のみの一文を押しつけ続ける作家も珍しいのではないか。
彼が今までにつくってきたものは、例えばただ回転するだけのワニだったり、重さちょうど900gなだけのゾウの置物だったりする。
そこに意味は全くないのだが、なんとなくにやにやしながら眺めてしまうおかしみがある。
また意味がないゆえに、どこの国に行っても万国共通で通じてしまうところも、ちょっと凄いと思う。例えば、作家本人が素っ裸で体重計に乗りお茶を飲んでちょうど体重100kgになる短い映像作品は、数字の読める人なら多分誰でも笑ってしまうのではないだろうか。

翻って柏のギャラリーに戻ろう。
大きい円の作品から廊下を渡って向かいには、それをちょうどミニチュアにしたような小さな作品がいくつか配されている。回路がつながると電球が光る仕組みは他の作品とおなじである。
電球も小さければ火花も小さい。線香の先よりか細い火花に、思わず「可憐」だの「はかなげな」だの感傷的な形容詞をつけてしまいたくなる。いやいや!意味などないのだ、形容詞など不要なのだと思い直しつつも、やっぱり可憐としかいいようがないその動きと光に見入ってしまう。
廊下にある二階のもう一つの作品は、細長くつながった鉄板の上を金属棒がチェーンで引きずられながらズズズ…と移動していくもの。止まったり動いたりのその動きは、やっぱり何かに例えたくなるユーモラスさである。

そしてまた壁の大きな作品に戻ってくる。
少し金属臭い匂いと火花を散らせながら、回る金属棒。
どんな電化製品の中にも、この回路が走っているんだな。
いやいや。意味はないんだっけ…。
毎日毎日走り回っては休む、人間みたいだ。
いやいや、意味は…

意味は、ない。
最初にそう突きつけられても、目は光を追い続けてしまう。
頭は思考を止めるどころか、むしろ暴走して行きつ戻りつを繰り返してしまう。

そもそも意味ってなんなのだろう?
なんでそのことに、こだわっているんだろう?
いま自分は、意味のないことに振り回されているのかな?
それとも、意味のあることに振り回されているのかな?

ただただぐるぐる回り続ける無機物の前で、気がつけば自分もくるくると回っているようだった。


タムラサトル
「POINT OF CONTACT―接点―」


Takuro Someya Contemporary Art / TSCA
2007年4月21日(土)−5月27日(日)
 
著者のプロフィールや、近況など。

石山さやか(いしやまさやか)

1981年埼玉県生まれ。
2001年、小沢剛の横浜トリエンナーレ作品「トンチキハウス」にボランティアスタッフとして参加する。
2003年創形美術学校卒業。
フリーター期を経て、現在は都内でDTPデザイナーとして働く日々。




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